究極の読書――『霧中の読書』(荒川洋治)(4)

「離れた素顔」は、「飛び地」の話である。飛び地とは、「同じ行政区画なのに離れたところにある地域のこと」。
 
吉田一郎『世界の飛び地大全』(角川ソフィア文庫)という本があって、世界中に散在する飛び地の、位置と沿革を記したものだ。
 
ふーん、本の企画としては、成り立たないわけじゃないんだろうが、しかし読者を想定するとき、どんなふうに言うんだろう。この本の刊行を決定したときの、企画会議を見てみたい。
 
それはともかく、本はすでに出て、荒川洋治は興味を惹かれ、購入した。
 
そこで問題。世界最大の飛び地はどこにあるか。

答えはアメリカのアラスカだ。しかしこれを飛び地というのは、あまりにもデカすぎる。
 
面白いのは、飛び地の中に、飛び地のある例。

「アラブ首長国連邦に囲まれたオマーン領の飛び地マダのなかに、アラブ首長国連邦の飛び地ナワがある。飛び地のなかの、飛び地なのだ。ああ、これは、どう考えたらいいのだろうか。」
 
飛び地が入れ子になっている。こんな例は他にないらしい。
 
とはいえ、あまり悩まずに、そのまま受け取るほか、ないんじゃないか。
 
荒川洋治の、全体を読んだ感想。

「飛び地には、いくらか謎めいた印象があり、その地形にも惹きつけられる。」
 
僕は飛び地には、それほど惹きつけられない。それよりも、飛び地に惹きつけられる荒川洋治に、不思議な興味を感じる。

「幻の月、幻の紙」は、荒川洋治がやっている詩の出版社、紫陽社の話だ。
 
1972年に村上一郎の『草莽論』が出た。明治維新前後の革命の話だ。本の表紙は漆黒で、本文は字体がきれいで読みやすい。
 
1973年、大学を出た翌年、荒川洋治は先輩と出版社を始めた。印刷のことは何も知らないので、『草莽論』の奥付にある印刷所に原稿を持っていき、ひとつひとつ『草莽論』と同じになるように伝えた。
 
こうして郷原宏の第一詩論集、『反コロンブスの卵』が出来上がったが、これは紫陽社ではない。紫陽社はまだ存在していない。
 
その後、荒川洋治は会社勤めをしつつ、1974年に単独で紫陽社を始め、「四五年間に、新人の第一詩集を中心に二七〇点の本を制作、出版した。清水哲男、則武三雄、井坂洋子、伊藤比呂美、近年では蜂飼耳、日和聡子、中村和恵などの詩集だ。」
 
僕は、井坂洋子の『朝礼』と、伊藤比呂美の『姫』という詩集で、紫陽社を知った。そのころ、どちらも評判になった。本は鮮烈な印象を与えた。
 
紫陽社のすべての本のおおもとに、『草莽論』があるのだ。

「それらはすべて前記の同じ印刷所でつくられた。『草莽論』は、ぼくの小さな出発を支えてくれた大切な本だ。」

「平成期の五冊」は、吉行淳之介『目玉』以下、いくつか並んでいるが、その中で、小山田浩子『庭』というのを知らなかった。著者の名前は聞いたことがあるが、読んだことはない。

「小山田浩子『庭』(新潮社・平成三〇年)は「庭声」「名犬」「蟹」「緑菓子」などを収めた近作集。世代、時代、個人の間の距離と時間が消えうせる、不思議な世界を映し出す。文章の傾斜と、速度が印象的。」
 
どういう作品を提出すると、こういう批評が成立するのか。これは読んでみたい。

(『霧中の読書』荒川洋治、みすず書房、2019年10月1日初刷)