究極の読書――『霧中の読書』(荒川洋治)(3)

「流れは動く」は、西東三鬼の俳句について。
 
山本健吉『現代俳句』を、高校時代に松尾稔先生が薦めておられたので、読んでみた。とりわけ面白かったのは、山口誓子と西東三鬼。その西東三鬼である。

「西東三鬼は、岡山県津山市生まれ。シンガポールと東京で歯科医を開業。東京・神田の共立病院歯科部長のとき、患者を通して俳句を知る。そのとき三三歳だから出発はおそい。」
 
そんなこともすっかり忘れていたが、句は今も鮮烈に浮かんでくる。

  水枕ガバリと寒い海がある

  おそるべき君等の乳房夏来〔きた〕る

  中年や遠くみのれる夜の桃

  露人ワシコフ叫びて柘榴打ち落す

  広島や卵食ふ時口ひらく

ここに取り上げられている句は、僕でも口を突いて出てくる。

「際立つ句が、次々に見つかる。こうした名句の内側をたどる。あるいは周りの句の表情を見つめる。どちらも楽しい。さらに、それらがとけあって別の景色に変わることもある。人の視界を大きく開く。そんな作品を西東三鬼は書いた。」
 
最後の文章の、「人の視界を大きく開く」というのが、たまらない。

「底にある本」は国語辞典の話。ここで荒川洋治は、驚くべきことを言う。

「ことばや、ことばの使い方に、ぼくの場合は、まちがいが多い。あやしいと感じたときは、文字やことばを、辞典でたしかめなくてはならない。正しいと思っていたことが、くつがえる。それでわずかでも、ものを知ることになる。自分の力だけでは、文章は一歩も進まないのだ。」
 
そういうふうに言葉に磨きをかけ、彫琢を凝らしているから、深く人を感動させる文章が生み出せるのだ。
 
そのときに使う辞書は、『広辞苑』の他に、久松潜一監修『新装改訂 新潮国語辞典 現代語・古語』である。
 
いや、これは知らなかった。名前を聞くのも初めてである。

「現代語と古語をともに収録するので、とても便利。古語辞典にいちいち手を伸ばさなくても済む。毎日のように使うので、本がくたびれてきた。この辞典は現在発行されていないが、古書店でもまず見つからない。」
 
まいったな。現在、発行されてなくて、古書店でも見つからないとなれば、ほとんどお手上げである。
 
著者はそれでも、古本屋で見つけた。それだけでなく、その前の『改訂 新潮国語辞典』も見つけた。

「編者のことば」は旧版でも、同じである。

「従来の国語辞典が『現代語』と『古語』を区別して、別々に出ている(古語は『古語辞典』、現代語は『国語辞典』という名で)のは、『辞典の本来あるべき姿からいっても』十分ではないこと、『二つを切り離して扱うのは、学理的にも問題の多いこと』であり、『古語と現代語とを有機的に結び合わせて説くのでなければ』意味はない、と。」
 
この扱い方についての、荒川洋治の意見はこういうものだ。

「そこから、この辞典がつくられたとある。国語辞典の理想が実現していることになる。だからとても大切な、意味のある辞典なのだ。」
 
手放しの絶賛である。
 
しかし新潮社は『新装改訂 新潮国語辞典 現代語・古語』が、時代とともに売れなくなって、発行をやめてしまった。
 
これもコンピュータ―全盛の弊害だろう。

僕だって分からない言葉は、パソコンかケータイで引くだけで、言葉の意味をじっくり溯って味わうことは、なくなってしまった。
 
だいたい紙の辞書でなければ、その周辺も含めて読むということは、成り立ちようがない。