最高の本――『唯脳論』(養老孟司)

山田太一の『月日の残像』を終わりまで朗読したので、この次の朗読は、養老孟司の本でなければ釣り合いが悪い。
 
で、『唯脳論』である。35年も前の本なのに、読んでいると、まるで昨日書かれたように新しい。
 
ここですでに、人工知能の話が出ている。養老さんは、「人工知能が人間を置き換えるというのは、単なる誤解に過ぎない」という。機械はヒトの脳ほど、いい加減なものではない、という。

「それなら、ヒトの脳を置換するものはないか。それはもちろんある。あると思う。それはなにか。ヒトの脳を包含する脳である。」
 
それがChatGPT を超えるAIで、テスラのイーロン・マスクCEOは、この2年のうちに、完成品をご覧にいれよう、と言っている。

『唯脳論』の予言が、それが現われてから、35年を超えたあたりで現実になる。見てみたい気もするが、イーロン・マスクが言うのでは、見たくない気もする。この人は本当にいけ好かない。しかしそんなことは関係なく、来年には見ることになるだろう。
 
次は「言語の周辺」の章から。

「注視ニューロン」という細胞が、サルの視覚系にあることが知られている。訓練したサルの脳には、対象を注視している間、放電しているニューロンが検出される。これを注視ニューロンといい、注視ニューロンが出ているのは、じっとしたサルがいいという。
 
ここで突然、時代劇作家の名が出てくる。

「中里介山の『大菩薩峠』に、サル回しのサルの正しい選び方が書いてある。それには、キョロキョロしないサルを選ぶことだ、という。こういうサルを始めから使えば、注視ニューロンが捕まるかもしれない。」
 
なるほど。しかし養老さんは、真面目なんだろうな?

「介山によれば、こういうサルは滅多にいないからサル回しが苦労する。そもそもサルというのは、勝手にキョロキョロするものであり、注視ニューロンが多いサルは、サルの秀才かもしれないが、なんとなくサルらしくない。つまり、脳にはそういうところがある。」
 
含み笑いしつつ、やっぱり最後は正論に返る。どういう状況に置かれた脳が、本当の脳なのか。この辺りが脳の実験の難しいところだ。
 
次は「形とリズム」。

「『形の神髄はリズムである』。そう言ったのは、私ではない。哲学者の中村雄二郎氏であり、亡くなられたが、解剖学者の三木成夫氏である。つまり、視覚対象の抽象化が行き着く果てまで、『形』を徹底的に考える。そこで、だしぬけに『リズムだ』と膝を叩く。悟りが開ける。ここのところがなんとも言えない。名人伝である。」
 
私にはこの文章の方が、養老孟司の「名人の技」に思える。

『唯脳論』は、自分が70年生きて来て出会った、もっともすぐれた本である。内容の独創性、構成、文体、組み方、装幀、すべてにおいて、これを凌駕するものはない。

(『唯脳論』養老孟司、青土社、1989年9月25日初刷、1992年5月1月5日第9刷)