AIの描く世界――『ChatGPTの先に待っている世界』(川村秀憲)(2)

ChatGPTなどの「大規模言語モデル」が登場した以上、仕事の風景は変わらざるを得ない。
 
たとえば大量の人を雇わないといけないコールセンターは、ChatGPTに取って替わられ、人は最少、または無人になるだろう。

「単純なコーディング(プログラミング言語でコードを記述する作業。コードはコンピューターへの命令)や決まった仕様どおりの作業などは、人工知能が担うことが可能となり、人間の役割は大きく変わることになるでしょう。」
 
ここら辺のことは、従来から言われていたことである。
 
今ちょっと考えただけでも、たとえばタクシーは、自動運転と、ChatGPTのロボット運転手で、まかなえそうだ。
 
宅配便も、タクシーのような訳にはいかないだろうが、人手はかなり省力化できる。
 
医療のうち風邪に類するものは、ChatGPTのロボット先生で間に合いそうだ。風邪の症状の裏に、重大な病が隠れているって? 大丈夫、ロボット先生は検査も、人間よりも入念で万全だ。
 
一般の小学校・中学校は、生徒が多様で難しいかもしれないが、目的の定まった学校、たとえば自動車学校から、司法試験に通るための法科大学院まで、目的とそこに至る階梯がはっきりしているのであれば、人が先生である必要はないのではないか。

というように空想の上では、人は限りなく追い立てられてゆく。
 
なおコンピューターの技術は、一挙に世界に広まるので、いわば世界的に下剋上が起きやすい、と著者は言う。
 
これはどういうことかというと、たとえば著者は最近、バングラディシュに行くことが多い。バングラディシュは貧しく、技術も発達していないというのが、日本人一般のイメージではないか。でも、実際には違う。

「バングラディシュでは英語が広く普及しており、多くの人が日本人よりも高レベルの英語能力を持っています。インターネットを通して彼らはアメリカの最新の論文を自由に読むことができ、人工知能の研究開発も、先進諸国と比べても遜色ないレベルです。」
 
恐ろしいことに、と川村先生は言う。日本のように歴史の古い、伝統的な産業が生き残っている国は、世界で一斉に開発競争をすると、ヘンなしがらみが残っていて、それに足を取られて先へ進めないことが、しばしば起きてくるということだ。
 
だから日本のみなさん、気を付けましょう、と言ってみたってしょうがない。自民党右派などという、こびりついたゴミがもっとも取りにくい。だからこういう栄枯盛衰が、世界的規模で起こりつつあるのだろう。
 
この本では半分、「技術的なこと」が書いてある。そうしないと、話が進まないからだ。たとえばこういうところ。

「文章を生成する人工知能の場合、目的関数は『生成される文章が人間が書いたように自然であること』などと設定することができます。そして、この目的に向かって、人工知能の『学び方』や『考え方』を調整していきます。先ほど説明した学習のプロセスは、言い換えると目的関数の最適化を行っていると言うことができます。」
 
文章はすらすら読める、なるほど。しかし言っていることが分かるかというと、わからない。手がかりがないから、ふわふわと雲の上を歩くようだ。
 
この本にはこういうことが、半分入っている。そこのところは飛ばして、社会的な結論だけを書くので、そのつもりでいてください。
 
なお先の文章には、数行おいてこうある。

「目的関数を最適化するという課題は、人工知能の得意分野です。〔中略〕このような作業はいずれ人工知能が人の能力を上回っていくと予想できます。実は、世の中の多くの課題はこのような形で表現・解決できるので、人工知能の対象領域は今後もどんどん広がっていくでしょう。」
 
だから人は、そういうところにとどまってはいけないのだ、となるような気がするが、人間は、著者が思っているほど高級なものではない。