失われた「山荘」を求めて――『富士日記の人びと―武田百合子を探して―』(校條剛)(1)

去年の暮れに、田中晶子が大動脈乖離で、5時間の緊急手術を受け、そのまま入院した。

私の方は半身不随で、食事・洗濯・掃除などは一切できないから、朝昼晩と毎日三度、そのためにヘルパーが入った。
 
その少し前、元新潮社の校條剛〔めんじょう・つよし〕さんから、私のブログ宛てにメールをいただいた。
 
それは『飛ぶ夢をしばらく見ない』の回で、校條さんは、山田太一からその原稿を受け取り、『小説新潮』に掲載したのだ。それで懐かしくなって、私にメールを下さった。
 
ところが私は、女房が入院していてそれどころではない。家に入ってくるヘルパーも気を遣うだろうが、三度三度食事を出される私も、そのヘルパーに対して気を遣う。一日をへとへとの思いで送り、校條さんに返事を書かなくてはと思うが、出来ない。
 
返事のメールを書いたのは、年が改まって、1月も下旬になってからであった。
 
そういう話を、元文壇バーのマダム、「アンダンテ」の高江奈津子さんと、メールでしていたら、そう言えば校條さんの『富士日記の人びと―武田百合子を探して―』が出ていて、書店に行ったら最後の1冊が残っていたので、買ったわよ、という話だった。
 
そういう引っ掛かりのある本、つまり因縁のある本は、是非とも読まねばなるまい。
 
そう思って読んだが、これはいかにも編集者の書いた本だった。というと悪口と取る向きもありそうだが、全く違う。むしろ逆である。

うまくは言えないのだが、作家に接近するとき、編集者はその作家の書いたものを、ことさら俎上に載せることはしない。
 
それはそうだ。作家にしてみたら、書いたものをああだこうだ言われることは、たまらない。ちょっと考えればわかる話だが、読者は書いたものを良しとして、ファンになるわけだから、作家と会う際、それを俎上に載せる以外に方法はない。
 
しかし編集者は違う。作家と読者を分ける境目があるとすれば、編集者はどちら側にいるか。とうぜん作家の側にいて、しかもしばしば作家の家族よりも、著者に近いところにいる。
 
この本の場合、武田百合子はなくなっているのだが、それでも校條さんは、できる限り、彼女を眼前に浮かび上がらせようとする。それが、「武田百合子を探して」というサブタイトルの意味である。
 
校條さんは編集者生活をまっとうし、そのあと京都の大学での教授職も終え、近年セカンドハウスを、『富士日記』の舞台である武田泰淳の山荘の近くに、所有することになった。

「『富士日記』のあの人間臭いドラマがたった二キロ先の樹林帯のなかで展開されていたと知ったときに、私の胸のなかに生まれたのは過ぎ去ってしまった時間を懐かしむ強い哀惜感だった。と同時に、あの生き生きとした幸福な時間をもう一度蘇らせることが出来ないかなという痛切な願いも胸中に湧いてくるのだった。」

「痛切な願い」を、自分が書くことによって、目の前にはっきりと打ち出し、それを読者と共に味わいたい、これは文章を書くための動機の、まさに王道である。
 
しかし時は、休みなく過ぎていく。かつての武田泰淳と百合子の、家族の賑わいや、喜びや悲しみ、おいしいものを食べたときの満足感、木々を透かして降り注ぐ光と、透明な空気の感動的な魅力……、それはもう永遠に取り戻せない。
 
しかし、と校條さんは言う。

「過ぎ去った時間は逆戻し出来るのである。〔中略〕失われた時が蘇るのである。これが、文芸の魔力であり、人間に許された唯一の時間遡行方法である。不思議なことに、事物と人物の形象を物理的に残す映像的なコンテンツにおいては、実は『過去』が鮮明に意識されてしまう。文字という記号の組み合わせが醸し出す『リアリティ』こそが時を超えて『今、そこにあるもの』として認識されるのだ。」
 
さすがは『小説新潮』元編集長、その確固たる姿勢があってこそ、多くの読者を巻き込んでいけるのだ。