かくも豊かな疑問――『飛ばないトカゲ―ようこそ! サイエンスの「森」へ―』(小林洋美)(3)

次は、本の題名になっている「飛ばないトカゲ」である。
 
Donihueらは、ハリケーンの本場、カリブ海の小島で、アノールトカゲの一種、サザンバハマズアノールを観測した。
 
たまたま2つのハリケーンが続けて上陸したので、「ハリケーンによる影響や回復について調べるまたとない機会だ」と考えたのである。
 
つまり「飛ばないトカゲ」というのは、「ハリケーンでは飛ばないトカゲ」、という意味なのだ。

「生き残り個体の体は小さく、体の大きさに比べて指先のパッドが大きく、前肢が長く、逆に後肢が短いことがわかった。この形態は枝にしがみつく能力と関係があるのかもしれないと考え、サザン四七匹に風を当て、観察した(図・動画)。」
 
トカゲがしがみついている図と、章タイトルの下にQRコードが載っていて、ケータイでトカゲがしがみついているのが分かる。本の世界も変わったものだ。
 
そうして得た結論は、次のようである。

「指先のパッドが大きく、前肢が長く後肢が短く、体サイズが小さい個体は、強風に耐えられる形態なのかもしれず、ハリケーンという極端な気象が自然淘汰を起こした初めての証拠かもしれない。」

「証拠かもしれない」と、断定口調ではなく、仮説にとどめておくのがいい。
 
末尾の一段は、考えさせる。

「『唯一生き残ることができるのは変化できる者である』とか、誰かが進化論の誤用をまき散らして開き直っているのを横目で見つつ、私はトカゲを見つめて考えたい。形態の多様性と環境要因(今回はハリケーン)との相互作用がもたらす変化。これこそが自然淘汰だなあ、と改めて思う。」
 
自然淘汰の意味は、そういうことなのだ。

次の「お尻に目」は面白い。
 
トラやライオンやヒョウは、待ち伏せタイプの狩り、つまり背後から獲物を襲う。そこでJordanらは、農場のウシのお尻に、目と、クロス(×印)と、何もしてないもの、3種類を用意して、ライオンとヒョウに襲わせた(3種のウシの、お尻の図版が出ている)。
 
実験の行程が細かく出ているが、使ったウシの数がすごい。およそ2000頭である。

「その結果、目を描かれたウシは一頭も襲われなかった。クロスを描かれたウシは四頭ライオンに襲われ、処理なしのウシはライオンに一四頭、ヒョウに一頭襲われた。目を描かれたウシはクロスや処理なしのウシよりも有意に襲われにくかったのだ。さらに、クロスを描かれたウシは処理なしのウシよりも有意に襲われなかった。」
 この「有意に」というのがよくわからなくて、意味深である。どのくらいの割合であれば、「有意に」というのが使えるのだろうか。
 
それはともかく、背後から獲物を襲う動物に対して、後ろに目があるとどうなるか、と考えはするけども、実際に確かめてみるのは、さすが自然科学者だ。
 
しかしながら、この「お尻に目」を、どういうふうに考えるかが問題だ。

「奇妙に目立つクロスや目がお尻にあることで、ライオンは狩りをやめたのではないか、さらにそれが目模様ならば、『獲物に見つかった=狩りをやめる』と『だませた』ことでそのウシは襲われなかったのではないかと、Jordanらは考えている。」
 
ウシのお尻に目があった、あるはずのないところにあった、それでびっくりしてウシを襲わなかった、と考えるか、後ろにある目で、襲いかかる動物を、本当に見た、と考えるか。
 
これは目を模造品とするか、本物の目とするかで、まったく違った結論になる。結局、ライオンに聞いてみなければ分からないことだ。
 
最後にオチが付いている。
 
夫が買ってきた漫画、『ゴールデンカムイ』に、「おばけ川」という民話が出てくる。

「『化け物が出るという川のほとりで、男は魚を焼いていた。遠くで音がして足音が近づいてきたので、服を脱ぎ、尻に焚き火の炭で大きな目を描き、化け物の来るほうに尻を向けて股下からのぞいた。すると化け物は逃げていった』という話だった。〔中略〕ちょうど今回の論文を紹介しようと思っていたところだったので驚いた。」
 
これは図版として、漫画の1コマが載っている。もちろん尻まくりして、尻に目球を描いてあるところだ。