かくも豊かな疑問――『飛ばないトカゲ―ようこそ! サイエンスの「森」へ―』(小林洋美)(1)

女性が書く自然科学の本は面白い。郡司芽久の『キリン解剖記』も、田島木綿子の『海獣学者、クジラを解剖する。』も、今思い返してもわくわくする読書体験だった。
 
今度は『飛ばないトカゲ』である。もともとトカゲは飛ばないから、何を言っているのか分からない。そこがまた面白いところだ。
 
と思っていたら、これはトカゲの本ではなくて、自然科学の、ほんとに短いエッセイを集めた本だった。サブタイトルの「ようこそ! サイエンスの『森』へ」が、本の構成をそのまま語っている。
 
がっかりだなあ。でも定価2750円もする本だから、読まないわけにはいかない。

そう思って読んでいくと、なんと、これはこれでめちゃくちゃ面白いのだ。
 
最初に書いておくと、挿画・題字・本文イラストは、漫画家のとり・みきが描いている。編集者も、これが面白さ満載であることを伝えたくて、読者に直接わからせるべく、とり・みきを起用したのだ。あるいは著者から出た意見かもしれない。
 
この本は二部からなっていて、Ⅰ部は「論文の森の『イグ!』」、Ⅱ部は「続・モアイの白目」という題である。

「イグ!」は、イグ・ノーベル賞のイグで、要するに「イグ・ノーベル賞を取りそうな論文」をエッセイのタネにして、東大出版会のPR誌『UP』で紹介したものである。
 
なぜそんなことをしたかというと、著者の小林洋美は、『眼科ケア』という雑誌に、「モアイの白目」というタイトルで連載を持っており、それを書籍化して東大出版会から出したところ、それが好評だったので、『UP』でも同じ形式で始めたのだ。
 
すると第Ⅱ部の「続・モアイの白目」は、もうわかるだろう。『眼科ケア』で引き続き連載しているものを収録したのだ。
 
まず最初は「シマシマ作戦」。シマウマのシマは何のためにあるのか。

「研究者たちはシマウマの縞模様に一五〇年以上も前から魅了され、その機能について議論し続けてきたのだから。白黒の縞模様は天敵の目をくらますのだ、社会的なやりとりに使われるのだ、白色と黒色部分の温度差により気流が生じ体温が下がるのだ、虫に刺されにくいのだ、と。」
 
ここを読んで、私は考え込んでしまった。150年以上も前から、というのは、たぶんその頃から、シマウマの縞模様は何のため、という論文が現われたのだろう。
 
考えてみれば、暇なことだ。自然科学の人は、150年以上も前から、こんなことを考えていたのだ。
 
と同時に、シマウマの縞模様は何のためにあるのだろうと、その目的を考えずにはおかない、ということが面白い。
 
これは、神様が目的があって作った、とする考え方であろう。だいたいシマウマが、自分でデザインして作ったのではない以上、誰かが目的があって、作ったに違いないのだ。
 
そういう考え方があるとして、一方に、何も考えない、つまりシマシマの動物はいっぱいいたのだけども、全部滅びてシマウマだけが残った、とする考え方もある。ここでは神は、必ずしも出てこなければならないということはない。
 
自然科学は西洋のものだから、神を前提にして、色々な目的を、ああでもない、こうでもない、と考えずにはおかない。
 
そして150年以上の研究から、どうやらこれは、「虫に刺されにくい」という可能性が、いちばん有力だとわかってきた。

「シマウマの体毛は短く薄く、毛部分の厚みは二ミリに満たない。一方、ツェツェバエやアブの針の長さは三ミリ以上あるので、シマウマは簡単に刺されてしまいそうなのだが、シマウマは他の哺乳類よりも病気にならないし、ツェツェバエの体液からもシマウマの血液は発見されにくいのだ。これはシマシマ効果かもしれない。」
 
そういう研究が2010年代に出た。
 
すると別の研究者らが、それを受けて、こういう実験をした。

「アブ対策として黒ウシに白色塗料で島を描いたのだ。塗料のにおいが影響する可能性もあるので、別の黒ウシには黒色塗料で縞を書いた。すると、白色塗料で縞模様になった黒ウシにアブがとまった回数は、何もしていない黒ウシや黒色塗料の黒ウシの半分以下だったのだ。シマシマ効果、すごいなあ。」

そしてシマシマに塗った、牛の図版まで出ている。 

面白いですねえ。しかもこれが、3ページのエッセイに収まっている。見事というほかない。