文学が命懸けであった時代――『昼間の酒宴』(寺田博)(2)

次は「点描」と題する、中上健次との日々を、断片的に綴ったもの。おおむね、書き出しは〈某年某月〉である。
 
この中に寺田さんが、中上健次に瓶で殴られて、血を流した話が出てくる。
 
新宿の酒場「茉莉花」に一人で行くと、中上健次が、「新潮」の坂本忠雄編集長と編集部員の鈴木力と飲んでいたので、同席した。
 
中上健次と議論になり、こちらが先に絡んで、売り言葉に買い言葉となった。かなり酔っ払っていた。

「ふと頭部に衝撃を感じたと思うと、みるみるうちにシャツや背広がまっ赤になった。ガラスの破片が散って、ミネラルウォータ―の瓶で殴られたことがわかった。打撲による直接の傷はなかったが、割れたガラスの破片が落ちる時、頬を切って、血のめぐりがよくなっていたせいで、出血量が多く、実害より大げさに見えたらしい。」
 
すぐに救急車が呼ばれ、運ばれた病院で19針縫ったという。

「翌朝、夫人が会社に謝りにこられ、却って恐縮した。議論そのものより、中上健次の作品を置いて会社を移ったことについての忿懣が底流にあったかもしれない。」
 
冷静なものだ。信頼を裏切ったことについては、「未だに忸怩たる思いがある」と寺田さんは言う。
 
もちろんこれで、お互いの信頼が崩れることはない。
 
そのあとの〈某年某月〉にこんなことが書かれている。

「ある時突然電話が来て、頼みたいことがあるので会いたいと中上健次が言った。『天の歌 小説 都はるみ』の出版記念会をやるので司会役をやってほしいという。」
 
当日は、水上勉や安岡章太郎にスピーチを頼んでいるので、司会役には寺田博がふさわしいという。

「当日は盛会で、都はるみさんと一緒に歌う中上健次は幸せそうだった。こちらもはるみさんの歌を近くで聴くことができ、大いに楽しませてもらった。」
 
あのころ年末になると、編集者は著者を誘って、カラオケ大会をやっていた。寺田さんもうまかったが、そのころ「群像」の編集長をしていた辻さん(下の名前は忘れた)は、本当に上手かった。この人は中途で講談社を辞めたが、少し前に新聞に訃報が出ていた。
 
僕は新宿の「英〔ひで〕」で、偶然一度だけ中上健次に会ったことがある。
 
口開けで、カウンターの席で一人で飲んでいると、中上健次が入ってきて、一つ置いて隣に坐った。
 
そのころ中上健次は、傍若無人で通っており、いろんな人が殴られた、という噂があった。なかには女性の文芸編集者で、鼻筋を折った人もいるという。
 
でも僕は、そういうことは気にならなかった。

初めて会った中上健次は真摯で、人の話をよく聞き、たちまち打ち解ける人だった。ほとんどの話は忘れたが、一つだけ覚えている。

話の成り行きで僕が、文学作品はそれだけで独立してある、という言い方をすると、それは危険だ、はんぶん信仰になったらまずい、というふうなことを言った。
 
そのとき中上健次は、人と待ち合わせていた。しばらくすると、待ち人が来て、一緒に飲んだ。待っていたのは、つかこうへいだった。

{(『昼間の酒宴』寺田博、小沢書店、1997年1月30日初刷、3月30日第2刷)