先月、12月の後半、妻の田中晶子が具合が悪く、自分で救急車を手配し、事情を話して乗りこんだ。僕には、狭心症ではないか、と言っていた。
その後、救急隊員の指示で、関東中央病院に運ばれる。
原因は心臓の側の動脈乖離で、そのまま緊急手術。
僕は半身不随で身動きが取れないから、子供が、といっても大人だが、付き添いで五時間の手術に付き合った。
長男はコンピューターの会社にいる。年末の忙しい時期に、困ったことになった、と思っただろう。仕事が立て込んでいるときに、と。
手術の前に、主治医の話がある。母親の手術における致死率は……。
そのうちに次男もやってくる。2人して、黙って耐えている。その光景が目に浮かぶ。
僕はそのころ、晩飯は妻がいないと用意できないなあ、と半ばあきらめて、することがないので朗読をした。何かしないではおられない。
いつもの定例のやつは、非常事態で、なんだか読む気がしない。本棚をあちこち見ていくうちに、寺田博さんの『昼間の酒宴』を見つけた。
版元は小沢書店、長谷川郁夫さんが社長をしていた。装幀は司修さん。著者、出版社、装幀家の、ゴールデン・トライアングルだ。
本のタイトルは、冒頭の「昼間の酒宴」からとられている。
週1回午後に、お茶の水の西洋料理店「ランチョン」で、吉田健一氏を囲んで、寺田さん、青土社の清水康(康雄)氏、集英社「すばる」の安引宏氏、長谷川郁夫さんらが集まって、ジョッキを傾けながら、話を聞く会があつた。
会の最後に、店の主人が、沸騰したリプトンティ―に、サントリーオールドをダブルでなみなみと注ぐ。熱いウィスキーティーで、たちまち酔いが回った。
寺田さんはそこで、吉田健一から小説の原稿をもらった。『金澤』の第5章の原稿を受け取ったとき、「私は自宅へ持ち帰り、句読点の少い氏の文章に接する時いつもするように、大きく息を吸ってから、文章の呼吸に自分の息を合せるようにして読んだ。〔中略〕文意が頭に入るにつれて陶酔感があった。あまり味ったことのない詩的な体験というものにふれた思いがした。」
ナマ原稿の魅力、迫力である。
ここには書かれていないが、優れた原稿の場合は、原稿手入れも楽しい。実に愉しい。編集者もちょっとだけ、お手伝いしている気分になる。
次の3本は中上健次のことだ。新宿の酒場で初めて会ったとき。
「新宿のモダンジャズ喫茶店に入りびたっていたこと、羽田で貨物の積み下ろしの仕事をしていること、ドストエフスキーや大江健三郎のこと、そして、彼の母系一族のことなどを低声で語った。いつかこの一族のことを大河小説で書いてみたいという言葉が、強く私の耳に残ったことを覚えている。」(「新人作家との八年」)
中上健次は最初から、大きなテーマを持っていたのだ。
それに対し寺田さんは、どういうふうに対応したか。
「その夜の私は抽象的に激励の言葉を羅列しただけだった。」(同)
やっぱり寺田さんは厳しい人だ。自分に対して厳しい、という意味だ。
母系家族のことを、なぜもっと具体的に聞かなかったのか。そうすれば、芥川賞を受賞した後、多忙になった中上健次に、原稿依頼することの困難を、多少とも緩和できたかもしれないのに。
寺田さんは、必ずそう思っていたはずだ。
妻の手術は、夜になって、成功したという電話が、長男からあった。