こんな芸術家がいたのだ!――『津田青楓―近代日本を生き抜いた画家―』(大塚信一)(1)

この本は著者の大塚信一氏から頂いた。直接頂くとお礼の気持ちもあって、舌鋒が鈍りがちになるが、そこは曲げずに厳しく書評したい。
 
大塚信一さんは、岩波書店の社長をされた後、『理想の出版を求めて』と題する本で、ご自身の仕事を振り返られた。
 
それは私が編集担当で、トランスビューから出版した。
 
どうしてそういうことになったか、というと、その4年ほど前に、やはりトランスビューから鷲尾賢也さんの『編集とはどのような仕事なのか』を出していただき、その書評を大塚さんにお願いしたのだ。
 
講談社の元重役である鷲尾さんの本を、岩波の元社長である大塚さんが書評する。しかも2人とも、世間的に偉そうな肩書を取れば、残る生身は「編集者そのもの」、人文出版の好敵手として互いに認め合った中なのだ。
 
大塚さんの書評は『図書新聞』を舞台に実現したが、その仕掛け人は、元小沢書店社長でこのときは図書新聞顧問の、長谷川郁夫さんだった。長谷川さんはこのとき、徹底して表に出ることを避けられたので、お2人にはそのことは言わなかったのだが。
 
書評が出た後で、大塚さん、鷲尾さんと食事をした。どちらも丁々発止、私はただ聞いているだけで、素晴らしい食事会だった。
 
それから2年ほどたったとき、岩波のSさんと会う機会があり、酒の入った席だったので、いろいろと駄法螺を吐いた。
 
そこで、大塚さんと親しかったSさんに、大塚さんはけしからん、岩波の社長まで務めた人が、日本の出版界が右往左往しているときに、沈黙を守るとは何事か、と調子に乗って吹きまくった。
 
トランスビューなんて吹けば飛ぶような会社で、どんなに吹いても、大塚さん自身は、耳に入ったとしても、相手にされないだろうと思ったのだ。
 
それから何カ月かが過ぎて、突然電話が来た。

「大塚ですが」という話の内容は、驚くべきものだった。「君に、大塚は何をしていると言われたから、一冊書いてみたよ。読んでくれますか。」
 
本当に宝くじに当たったようなものだった。本の企画は黙っていてはできない、編集者が必死で原稿取りをやらない限り、実現しないものだ、と鷲尾さんの『編集とはどのような仕事なのか』に書いてある。まったくその通りだ。
 
大塚さんの電話は、一生にただ一度、神様が頭を撫でてくれたのだ、と思わずにはおられない。
 
こうして『理想の出版を求めて―一編集者の回想1963-2003―』が出て、それが好評だったので、その後も立て続けにトランスビューから、大塚さんの仕事が世に出た。

『山口昌男の手紙―文化人類学者と編集者の四十年―』

『哲学者・中村雄二郎の仕事―〈道化的モラリスト〉の生き方と冒険―』

『河合隼雄―心理療法家の誕生―』

『河合隼雄 物語を生きる』

『松下圭一―日本を変える 市民自治と分権の思想―』
 
どれも実に行き届いた本だ。当たり前である。著者は名うての、超一流の編集者なのだ。他に何を望むべきだろう。
 
私はせいぜい小見出しをつけるくらいで、ひたすら楽しんで仕事をしていた。
 
その後、『反抗と祈りの日本画―中村正義の世界―』と『長谷川利行の絵―芸術家と時代―』が出たが、私は愚かにも、大塚さんが美術の世界を扱うのは、いわば余技に類すると思っていた。それほど大塚さんは、私の前では、まず編集者として立っていたのだ。
 
こんど『津田青楓―近代日本を生き抜いた画家―』を読んで、ここに全く新しい著者がいることを思い知った。馬鹿だった。大塚さんを見る眼は、ガラリと変わらざるを得なかった。