山田太一が死んだ――『飛ぶ夢をしばらく見ない』(山田太一)(2)

『飛ぶ夢をしばらく見ない』は、女が会うたびに若返っていく、ということを除けば、他はシリアスな話だ。
 
そう思いつつ読んだが、しかし女の若返りも含めて、じつはすべてがシリアスな話だとすれば、どうか。
 
何を言っているのか、分からないと思う。では、具体的に考えてみよう。
 
山田太一は助監督のころから、将来妻になる女性と付き合っていた。

書くものには、そういう女性との色っぽい話は、ほとんどないが、『その時あの時の今―私記テレビドラマ50年―』には、20代の失敗談として、その女性との話が出てくる。
 
木下恵介監督の下についたとき、夜、ロケ地を抜け出して、その女性と一晩を過ごし、こっそり帰ってきたのだ。

それは先輩の助監督に見つかって、叱責を食らうが、木下恵介監督は不問に付す。そういう失敗談のエッセイなのだ。

山田太一とその女性は、結婚する前から惚れ合って、身も心も結ばれていた。
 
そして時は流れて、50歳をいくらか超えたとき、ある夜、ふと妻の寝顔を見る。その顔を見たとき、山田太一は驚く。30歳を出たばかりの顔に、戻っているのだ。
 
起きてからの会話。

「君は寝ている顔がきれいだね」
「どういうこと?」
「とても50歳には見えない。せいぜい30歳すぎにしか見えない」
「それは、ありがとう。でもそう言われても、素直に喜ぶ気にはなれないわね。なんか突拍子もなくて」
「でも、本当だよ。君が起きてなくて、眠っているのは残念だ」
「はいはい。それよりも、今日の予定の確認はしたの」
 
山田太一は本当のことを言っているのだが、妻はなかなか本気と取らない。
 
それから数カ月たって、また徹夜明けに妻の顔を見る。何と今度は、20歳すぎに見える。
 
しばらくその顔を見ていると、妻は突然、目をつぶったまま、にっこり笑った。夢を見ているのだ。
 
何だか奇蹟のような瞬間で、ああ、この顔にさわりたい、いっそキスしたい、と思う。
 
しかし、妻の寝顔が20歳すぎの顔だったので、それに触ってキスをした、などと言っては、いかに妻とはいえ、不審者を見る目になるだろう。認知症のはじまりか、と。これ以後は、寝室を別にするとも言い出しかねない。
 
山田太一は、寝顔に触りたいという衝動を必死にこらえ、その顔を見ていたにちがいない。
 
そのとき、天啓が下ったのだ。この女の得も言われぬ美しさは、自分一人のものだ。妻自身にさえも分かっていない。しかしそれを、逆転させる手がある。それが、『飛ぶ夢をしばらく見ない』を執筆することだった。
 
そしてまた、第二の天啓がやってくる。女が30代から20代へと若返っていくなら、その先はどうなる。こうして最後は、幼女になって人ごみに紛れて消える、という決定的な場面を得たのだ。

(『飛ぶ夢をしばらく見ない』山田太一、
 新潮社、1985年11月20日初刷、1986年8月15日第8刷)