説得はされなかったが、やりきれない――『カーストーアメリカに渦巻く不満の根源―』(イザベル・ウィルカーソン)(1)

さて、問題の『カースト』である。

読み始める前は、ここで言う「カースト」は、アメリカにおける差別の比喩だと思っていた。読み始めてみると、アメリカの黒人差別は、比喩ではなく「カースト」そのものである、というのがイザベル・ウィルカーソンの主張であった。

彼女はそれを証明しようとして、孤軍奮闘する。
 
いや、発売たちまちベストセラーというから、「孤軍」ではないのかもしれない。もちろん読者は黒人、というよりも、著者にならって正確に言えば、「アフリカ系アメリカ人」が主であったろう。
 
そんなことはない。それ以外の白人や黄色人種もけっこう読んでいる、となれば、「カースト制」が打ち破られる日も近いかと思うが、この本を読む限り、そう言うことはありそうもない。
 
著者はここで、インドのカーストと、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害と、アフリカ系アメリカ人の人種差別を、同列に置いて論じている。
 
私は、これはさすがに無理だと思ったが、しかしA5判450ページの本の厚みがあれば、腕力のある著者なら、私を説き伏せることなど朝飯前であろう、とも思う。
 
だから著者の理屈に屈しないよう、頑張ってかたくなな読書の姿勢をとったのである。
 
しかし結論から言うと、著者は冷静に議論を進めるのではなく、いったん原稿に取りかかれば、悲しみ、悲憤、恐怖、怒り、そのほかの感情を押し殺すのが、精いっぱいだったようだ。
 
まずは2016年の大統領選挙から見ていこう(なおこの本では、オバマやトランプといった大統領は、なぜか固有名詞では語られない。これがどういう効果を持つのかは、私には分からない)
 
2016年の選挙速報の後、ある人々は、自分の思っていることを言いやすくなったと感じた。むかし失われた社会秩序が、戻ってきたと感じたのだ。

「昔ながらの秩序、先祖たちの時代の閉鎖的なヒエラルキーに戻るという感覚は、まもなく憎悪犯罪や集団暴力の波となって国中に広がり、大きく報じられた。大統領就任式の直後、カンザス州で白人の男がインド系のエンジニアを射殺した。男はそのエンジニアと、同じくインド系の別の同僚に向かって『俺の国から出て行け』と言いながら撃った。」
 
こういう感覚、「俺の国から出て行け」と言いながら発砲する感覚は、日本人には無縁だろう。

「翌月、身だしなみのよい白人の陸軍退役軍人が、黒人を殺すことを使命としてボルティモアからバスでニューヨークに行き、タイムズスクエアで六十九歳の男性のあとをつけて剣で刺し殺した。この退役軍人は、ニューヨーク州でテロリズム容疑で起訴された最初の白人至上主義者となる。」
 
翌2017年はアメリカ近現代史上、集団暴力による死者の数が、もっとも多くなった。

「ラスヴェガスでの事件で最多の死者が出たのに続き、国中の公立学校、駐車場、街頭、大規模店で銃乱射事件が起きた。二〇一八年の秋、ピッツバーグのシナゴーグで礼拝していたユダヤ人一一人が殺され、米国国内で起きた反ユダヤ主義の犯罪としては最悪のものになった。」
 
まだまだ、こういう例はいっぱいある。
 
問題は、なぜトランプが大統領になったとたん、こういう犯罪、黒人や有色人種を殺したり、銃を乱射して無差別に人を殺す犯罪が増えたのか、である。
 
大統領が変わったからと言って、凶悪な犯罪が大量に噴き上げてくる、ということは、通常はありそうにない。
 
そこで、イザベル・ウィルカーソンは考えた。これはよくある人種差別ではない、アメリカ建国の前から存在する、カースト制が発動したのだ。