黒川博行の、形式的には新しい小説とはいっても、刑事のコンビが出てくれば、言葉の掛け合いが出てこないはずはない。
若い舘野雄介とベテランの玉川伸一の、丁々発止の会話。
「奥さんに話しかけるんですか」
「箸、ビール、飯、漬け物〔つけもん〕……。話しかけるがな」
「それは玉さん、会話とちがいます。飯、風呂、寝る、といっしょですわ」
「言葉は短きをもって良しとする。刑事〔でか〕の第一条や」
「夫婦仲、いいんですか」
「わるうはないやろ。空気みたいなもんや」
「もし、奥さんが出て行ったらどうします」
「んなこと、考えたこともない」
「もし、出て行ったら、です」
「即、認知症やな。ボーッと口あけて、その辺を徘徊する」
「そら、奥さんのことが好きなんです」
「あたりまえや。よめはんとわしは恋愛結婚やぞ」
引用が長くなって恐縮だが、このくらいないと、黒川博行の大阪弁の味は分からない。
もう一カ所、「明徳」という貸金業の看板を掲げている徳永という男と、玉川の会話。
「徳永さんよ、あんたの知り合いに外国人ギャングはおるか」
「いきなり、なんや。んなもん、おるわけないやろ」
「ほな、明徳の客に外国人ギャングは」
「あのな、ギャングに金貸して、どない回収するんや。トカレフで撃たれるがな」
いつもの刑事コンビの漫才や、容疑者との掛け合いに比べれば、今回はその回数がぐっと少ないし、笑いの程度も抑えている。そのぶん、犯人との闘争に力点を入れている。
こういう、隅々まで張りつめた気配と自在の按配が、プロ作家、黒川博行の腕の見せどころである。
帳場すなわち特別捜査本部の、費用に関する言及もある。警察ものでは、いろんなところで描かれてもいいのに、僕は初めて見た。
「特別捜査本部は最大四十日間で解体されるのが慣例とされている。本来は二十日間、さらに二十日間延長できて四十日。特捜本部事件の捜査費は大阪府からではなく国費が使われるため、その日数になる。捜査本部が解体されれば一課は退き、あとは箕面北署の事件になるが、警視庁の判断で帳場は継続され、捜査員の超過勤務費、車両費、出張費等の捜査費は国費と府費でまかなわれる――。」
なるほどそうかと納得されるが、人によっては、そんなことどうでもいいやんか、となるかもしれない。でもこういうところは、建物の基礎工事と同じで、ツメをしっかりしてある方が、面白いと思う。
箱崎は、最初に過払い金マフィアを殺して、金塊を強奪したのだが、その金塊を売り捌いたところから足がつく。
しかし箱崎は、まだ平気である。殺人事件と金塊を、直接繫ぐものはないからだ。
それでも捜査の網は、刻一刻と絞られてくる。
終わりの80ページくらいは、まったく目が離せない。本を持つ手が汗ばんでくる。読む方の僕の動悸が、じかに聞こえてくる。
最後に箱崎は、成田発マニラ行きの飛行機に乗る。
「出国審査は緊張した。係官は箱崎を一瞥し、パスポートに眼を落とす。査証欄に出国スタンプが押されたときは思わずあたまを下げた――。」
しかし――。
なおフィリピンは、日本と協定を結んでいないので、犯罪人は一度そこに逃げ込めば、逃亡者天国だという。
しかしこのところ、ルフィとかキムといった大物が(どこが「大物」だかよく分からないが)、フィリピンから日本に強制送還されている。これはどういうことなのか。最後の最後に大きな疑問が残った。
(『悪逆』黒川博行、朝日新聞出版、2023年10月30日初刷)