インド人は「出身地、言語、宗教、カースト」の、4つのアイデンティティで規定される、というのを読んでも、実際のところは想像力が及ばず、よくわからない。
それでも宗教による見取り図は書いておこう。ヒンドゥー教徒・79.8%、イスラム教徒・14.2%、キリスト教徒・2.3%、シク教徒・1.7%、仏教徒・0.7%、ジャイナ教徒・0.4%で、圧倒的にヒンドゥー教が多い。
カースト制度についてはよくわからない。
中学校のときに習った、バラモン(司祭)、クシャトリア(王族・武士)、ヴァイシャ(商人)、シュードラ(農民・サービス)の4つの階層の下に、ダリット(またはアウトカースト・不可触民)と、アディヴァシ(先住民)と呼ばれる、2つの最下層が存在する。
しかし特定の宗教を信じることと、カースト制度が、どのようにリンクしているのかは、ここには書いてない。だから、まったく分からない。
例えば、「インドでは、高級官僚や学者、ITエンジニアなどの知的エリートは、上位カースト、とりわけバラモンが圧倒的に多い。一方、インドの財閥にバラモンはきわめて少なく、商業カーストのヴァイシャが中心である」、というのを読んでも、ふーんと言うしかない。
高級官僚やITエンジニアに、バラモン(司祭)が多いというのは、なにか特別のお祓いでもしているのか、それとも「バラモン=司祭」という訳語が変なのか。
だから著者が力を入れて言う、「インドは世界最大の民主主義国家である」という言葉も、眉唾に聞こえる。だってこれだけ階層が段階別に分かれているのに、民主主義国はないだろう。
それとも、バラモンからアウトカーストまで、1人1票という点では同じだから、民主的な国だと言いたいのか。ちょっと違うと思うけどなあ。
ただし総選挙では、有権者9億人が電子投票を行ない、投票最終日の翌日には結果が判明する、というところは、IT大国インドらしい。日本では与党の自民党と公明党が、投票率をできるだけ低く抑えようとするから、電子投票などとんでもないことである。
今のモディ首相は、「インド人民党」が2014年に政権を取って成立した。
それまでは「インド国民会議派」が、日本の自民党のように政権を維持し続けていた。「国民会議派」は農村の貧困層や、イスラム教徒などのマイノリティを支持母体とする、ガンディー家のファミリー政党である。
ただし最初のマハトマ・ガンディーとは、まったく無関係である。これは知らなかったなあ。
「国民会議派」は、農村の低所得者向けに、政策の中心に貧困対策を据えていた。だから一国の経済全体のパイを大きくできず、汚職も蔓延して、国民の支持を失ってしまった。
これはそうではなく、都市型のビジネスマン層が厚みを増してきて、政党も農村型から都市向けに変わっていった、ということではないか。私はそういうふうに解釈するが、インドの実情はどうなっているのだろうか。
なおモディ首相には家族もいないし、個人的な蓄財もないという。まあこの辺は、話半分に聞いておくほうがいい。仮に家族がおり、蓄財にも励んでいる、ということを聞いても、それがどうしたとなるだけである。
「第2章 モディ政権下のインド経済」は、インド株に関心のある人間には、もっとも興味深いところだ。
インドは名目GDPでは、世界第5位の経済大国であり、強みは巨大な中間層の存在である。約3人に1人が、年収50万ルピーから300万ルピーの世帯収入を得る。これは80万円から480万円にあたる(1ルピーを1.6円として計算)。
これが中間層にあたっており、大都市では2人に1人が中間層に該当する。といっても、80万円から480万円では、購買力にずいぶん差が出てこよう。1つ指標になるのは、2022年には自動車販売台数が、日本を抜いて世界第3位となったことである。
しかし問題もいろいろある。もっとも大きな課題としては、インフラの未整備が挙げられる。電力の供給不足や、道路整備の遅れなど、問題は山積みで、公共事業の遅れや、予算の超過などは日常茶飯事である。これは日本でもどこでも、同じことであろう。
労働者の生産性の低さも問題で、多国籍企業で、インドへ製造拠点を移すのは、携帯電話の生産を除いては、まだ少ないのである。
ここらあたりが、考えどころである。