藤井聡太が八冠を取った。竜王・名人・王位・王座・棋王・王将・棋聖・叡王である。
1つタイトルを取るたびに、必ずそうしてきたわけではないが、藤井聡太の関連本をできるだけ読んできた。
今回は名人を取ったところまで。その道のりを噛み締めて、再体験できるものがいいと思い、この本を選んだ。朝日新聞の日曜朝刊の連載を、まとめたものに加筆したものである。
そう思って読み始めたのだが、これはどうも失敗したようだ。
新聞は事実を正確に伝えることが、まず第一の使命としてある。そこに、タイトル戦周辺のことなどが、付け加わっていく。つまりそれは、アベマTVの中継その他で、私が全部知っていることだ。
将棋の中継は長い。朝9時前から始まって、夜まで、場合によっては夜中まで続く。2日制のタイトル戦では、最初の日は封じ手で終わるが、2日目は決着がつくまで、場合によっては夜中まで、延々と続く。
その間、棋士はどうしているかというと、将棋盤を挟んでひたすら考えている。
将棋の指し手は、2人分合わせても、だいたい100手前後。考えずにただ指していれば、10分で決着がつく。つまり中継の時間は、将棋指しが、ただ考えているのみなのだ。
だから解説者(これはプロがやる)と、聞き手(女流棋士が務める)が、大変重要になる。棋士がこれほど喋ることが上手くなった時代は、ないのではないか。
と同時に中継している間、つまり朝から晩まで、棋士の生態を微に入り細を穿ち話すものだから、新聞記者が取材で聞くことは、TV中継で解説者が全部しゃべっている。
特に藤井聡太に関しては、小さいころ指し手を考えていてドブに落ちた話から、今でもキノコが嫌いだということまで、全部明るみに出ている。
と思って、やや退屈しながら読んでいたのだが、途中から、あの時はこうだった、ああだったと、自然に熱が入ってきて、やっぱり面白く読んでしまった。
畠山鎮の言葉に印象的なのがある。
藤井聡太が、師匠の杉本昌隆に勝った夜、解説をしていた畠山が、「杉本さんが実戦とは違う手を指していたら?」と尋ねると、長時間の対局で疲れていたはずの藤井が、眼を輝かせて検討し始めたという。
「『将棋からエネルギーをもらっていると感じた』と畠山。『将棋を食べて(成長の糧にして)いるようだった』とも。多くの棋士の成長を見守った畠山だからこそ感じとれた、藤井の成長の瞬間だったのかもしれない。」
この項のタイトルは「将棋を食べてるようだ」。
また「終電まで続いた三浦の反省会」における三浦弘行の言葉。
これは第14回朝日杯将棋オープン戦の決勝で、三浦と藤井が戦ったときのこと。午前10時から、藤井は渡辺明と準決勝を戦い、最終盤、鮮やかな逆転勝ちを収め、その余韻が収まらないうちに、午後から決勝が始まった。
藤井と三浦の決勝も、力のこもった捩じりあいになり、お互い秒読みの中で、乱戦を制したのは藤井だった。
大盤解説の前で、三浦が言った言葉、「藤井さんなんで、しょうがないですね」は、忘れられない。
ここは中継で私も見ていた。この情景全体が、忘れられないものになった。
この本は、名人を取り、7冠を取ったところまでを、もう一度追体験させる。そして改めて私たちは、藤井聡太という稀有な人と、同時代を生きていることの不思議さを考えさせる。
「『ラスボス』が口にした謙虚すぎる言葉」という項目で、豊島将之が信じられないことを喋っている(『ラスボス』はもちろん豊島のことである)。
「いろんな方と対局してきましたけど、藤井さんは特別な才能を持った方だと感じています。自分はわりと一般的な棋士だと思っているので、対局できるだけでありがたいことです。」
史上4人目の名人・竜王位に就いた天才の中の天才、豊島将之が、自分は一般的な棋士だけど、藤井は違うと言っている。そして周りの棋士たちや、私たち素人までもが、たしかにそうだなあ、と認める「謎」が、藤井聡太にはあるのだ。
その「謎」が解き明かされるときが来るまで、藤井聡太からは目が離せない。
(『最年少名人への道―藤井聡太のいる時代―』
朝日新聞将棋取材班、朝日新聞出版、2023年9月30日初刷)