いやあ、面白い! だが――『異常〈アノマリー〉』(エルヴェ・ル・テリエ)(6)

それよりも、この小説を何度も読んでいて、奇妙なことに気づいた。ある特定の箇所を読んでいると、どこかへ迷い込いこむような気がするのだ。

「すべてはこの瞬間、つまり十六時二十六分三十四秒プラス百分の二十秒におきたんです……。ありえないことはまだまだ続きますよ。」
 
ここから見開きをまたいで、つごう2ページを繰り返し読むうちに、部屋の中が徐々に揺れ出して、ついには大きな地震かと思い、目を瞑った。
 
しばらくして目を開けてみると、その男はずっとそこにいるように、立っていた。

「これが『アノマリー(Anomaly)』ということなのだな。」
 
私は驚いてはいたが、一方こうなることも、わかっていたような気がした。

そういう相手の気持ちを忖度し、僕も、「とくに驚くべきことではないね」と言った。
 
しかしそうは言っても、この事態をどう考えればいいか、自分で方向性を持っておかないと、まずいことになりはしまいか、と私は思った。

「それは僕も同意見だ。」
 
相手は優しい眼をして言った。たぶん私も、同様の表情をしていたはずだ。だって自分に語り掛けているのだから、当たり前だ。
 
そのとき、妻が帰ってきて、2人とも緊張の極みとなる。

「ただいま」と、リビングのドアを開けた瞬間、彼女は驚愕し、震え出し、矢継ぎ早に、呆けた表情になる。
 
私が「アノマリー(Anomaly)」について説明している間、それは40分くらいかかったが、妻は一言も発することはなかった。

「そういうわけで、僕も君の夫なんだ。」
 
そういっても、妻は応えない。応えようがなかったのかも知れない。
 
その日、妻は沈黙したまま食事を作り、「私は別の部屋で寝る」と、一言だけ言った。
 
私ともう1人の自分は、身体に違いがあった。

ブログでも再三言っているように、私は半身不随で、杖をつけば歩くことはできるが、一度転ぶと一人で元へは戻れず、だから危なっかしくて、独りで外へは出られない。
 
それに対し僕は、やはり半身不随だが、杖を突けば、外へ1人で出かけられるくらいの回復ぶりである。そしてこれは、妻の熱心なリハビリのおかげだと思っている。

2人の夫を持って3日目に、僕がそのことを言って感謝すると、妻は控えめだったけれど、嬉しそうな顔をした。
 
しかし妻は、必要なこと以外は、あまり口を利かなくなった。
 
3週間が経ったころ、私は決断した。3人の緊張が、特に妻の緊張が、限界に達していると見えたのだ。

「私と君のどちらかが、出ていくしかない。」
 
僕もそう思っていたところだ。なにしろ僕らは、同じ人格、同じ性格なのだから、考えることもよく似ている。

「僕が出ていくよ。この9年、脳出血で緊急入院して以来、妻が駆けずり回って金を作り、それから長いリハビリをともにしていたのは、君の方だ。それに君が妻と暮らすのであれば、結局は、僕と暮らすことになるのだから。」
 
それに対し、私はしばらく考えてからこう言った。

「出ていくのは私だ。ただし、出て行って、二度と会わないんじゃない。東海や信州あたりの老人施設に入り、2か月に一度、妻が訪ねてくれればいい。もちろん君は来ないでくれ。来たら大混乱になる。
 妻はもう十分、私に一方的に尽くしてくれた。脳出血以後の私の命は、妻がくれたものだ。いつか君が、妻の献身的な介護とリハビリで、1人で出かけられるようになったと言ったとき、妻は本当にうれしそうだった。だからもう十分だよ。」
 
翌朝、私が起きたとき、男はどこかへ去っていた。手紙が2通、私宛のと、妻宛てのが、残されていた。
 
私宛のものは、読まなくても分かった。だってもう1人の自分が、書いたものだから。
 
妻はその手紙を読んだ後、こう言った。

「私は、どちらが私と暮らすことを望んでも、相応の用意をしておいたの。もちろんあなたでよかったと思ってる。でも、仮にどちらであっても、あなたを選ぶことに変わりはないんだもの。」


なお、「訳者あとがき」に、この作品の形式と文体について、大変重要な指摘がある。

「一つの作品がロマン・ノワール、心理小説、恋愛小説、SF、諷刺小説、テレビドラマのシナリオ風テキストなど多彩なジャンルの文章で構成されているのだ。加えて詩、メール、新聞記事、聴取記録、書簡など形態の異なるテキストが挿入されており、文章および文体の面から見ても異例の作品と言えるだろう。」
 
そういうわけで、この作品は面白いけれども、ずっと緊張しつつ読んだ。

(『異常〈アノマリー〉』エルヴェ・ル・テリエ、訳・加藤かおり、
 早川書房、2022年2月15日初刷、12月15日第7刷)