未だ不定形――『インド―グローバル・サウスの超大国―』(近藤正規)(3)

あとは、インドの現状はこうである、という話で、ともかく経過報告というかたちで読むしかない。この先はどうなるか分からない。

矛盾したところも一杯あって、まとまったことは書きようがない。以下、目についたところを抜き書きする。
 
インドは移民送金額で、世界第1位を占め続けており、その額はコロナ禍でも減っていない。そこには、アメリカのITエンジニアなど、高度なスキルを持つ人材がいる。一方、サウジアラビアなど中東産油国では未熟練労働者が、インド本国へ稼ぎの大部分を送金している。

ここにはその割合は書いてないが、海外送金を全部合わせると、世界第1位というのだから、どこからの額も厖大になるだろう。インド人は世界中にいる、としかいいようがない。
 
またモディ首相の経済面での評価は高いものの、トップクラスの経済学者の中には、厳しい批判もある。
 
金融工学の権威、ラグラム・ラジャン教授は、インド準備銀行の総裁として数多くの業績を上げたにもかかわらず、モディ首相と折り合いが悪く、3年の任期を更新せずに、古巣のシカゴ大学に戻った。

ラジャン教授は2019年の講演で、「モディ政権になってから首相府(PMO)の権限が一段と強化されたが、官僚たちはモディ首相に反対意見を述べられず、失敗を恐れてリスクをとらず、行政は機能していない」、と痛烈な批判を述べた。
 
コロンビア大学のアーヴィンド・スブラマニアン教授も、モディ政権で主席経済顧問を務めたが、任期半ばで辞任している。「その後、インド政府の主席経済顧問には、国際的には知名度が高くないエコノミストばかりが就いている。」
 
アマルティア・セン教授やアビジット・バナジー教授(二人ともノーベル経済学賞受賞者)も、モディを批判する。その大意は、農村が放っておかれて、貧しすぎるというのだ。
 
2019年3月には、インドを代表する108人の学者が、著名学術誌『エコノミック・アンド・ポリティカル・ウイークリー』に連名で、モディ批判を載せた。題は「滅茶苦茶な経済統計」というもので、「失業率を始めとする公式統計に関するインド政府の態度に対して異議を唱えたものである。」
 
著者はこの章の最初に、モディ政権の主な実績として、「インフラ整備」「投資環境の改善」「汚職撲滅」を挙げておいて、その後にこのような批判がくるのだから、読者はどちらに軸足を置いたらいいのか、分からない。
 
たぶん著者も、一方に軸足を置くことは危険だ、と言いたいのではないか。あるいは著者にも、よくわからないのか。
 
しかしモディ首相は人気がある。原稿なしでスピーチを行なう、演説会での盛り上がり振りは、まるでロックスターのコンサートである。
 
モディ首相に、有力な対抗馬がいないこともある。著者の周りのリベラルなインド人でも、ほかに見当たらないというので、モディを次期首相に推す人が少なくない。
 
もう1つ、理由がある。

「インドでは高等教育を受けたエリートが政治家になりたがらず、官僚出身の政治家も少ない。」
 
このあたりは日本とよく似ている。しかしそこから先が違う。
 
要するにインドから飛び出て、アメリカやヨーロッパで活躍したい人が多いのだ。これは収入だけ考えても、少なくとも10倍以上にはなるから、当然のことだ。

未だ不定形――『インド―グローバル・サウスの超大国―』(近藤正規)(2)

インド人は「出身地、言語、宗教、カースト」の、4つのアイデンティティで規定される、というのを読んでも、実際のところは想像力が及ばず、よくわからない。
 
それでも宗教による見取り図は書いておこう。ヒンドゥー教徒・79.8%、イスラム教徒・14.2%、キリスト教徒・2.3%、シク教徒・1.7%、仏教徒・0.7%、ジャイナ教徒・0.4%で、圧倒的にヒンドゥー教が多い。
 
カースト制度についてはよくわからない。

中学校のときに習った、バラモン(司祭)、クシャトリア(王族・武士)、ヴァイシャ(商人)、シュードラ(農民・サービス)の4つの階層の下に、ダリット(またはアウトカースト・不可触民)と、アディヴァシ(先住民)と呼ばれる、2つの最下層が存在する。
 
しかし特定の宗教を信じることと、カースト制度が、どのようにリンクしているのかは、ここには書いてない。だから、まったく分からない。
 
例えば、「インドでは、高級官僚や学者、ITエンジニアなどの知的エリートは、上位カースト、とりわけバラモンが圧倒的に多い。一方、インドの財閥にバラモンはきわめて少なく、商業カーストのヴァイシャが中心である」、というのを読んでも、ふーんと言うしかない。
 
高級官僚やITエンジニアに、バラモン(司祭)が多いというのは、なにか特別のお祓いでもしているのか、それとも「バラモン=司祭」という訳語が変なのか。
 
だから著者が力を入れて言う、「インドは世界最大の民主主義国家である」という言葉も、眉唾に聞こえる。だってこれだけ階層が段階別に分かれているのに、民主主義国はないだろう。
 
それとも、バラモンからアウトカーストまで、1人1票という点では同じだから、民主的な国だと言いたいのか。ちょっと違うと思うけどなあ。
 
ただし総選挙では、有権者9億人が電子投票を行ない、投票最終日の翌日には結果が判明する、というところは、IT大国インドらしい。日本では与党の自民党と公明党が、投票率をできるだけ低く抑えようとするから、電子投票などとんでもないことである。
 
今のモディ首相は、「インド人民党」が2014年に政権を取って成立した。

それまでは「インド国民会議派」が、日本の自民党のように政権を維持し続けていた。「国民会議派」は農村の貧困層や、イスラム教徒などのマイノリティを支持母体とする、ガンディー家のファミリー政党である。

ただし最初のマハトマ・ガンディーとは、まったく無関係である。これは知らなかったなあ。

「国民会議派」は、農村の低所得者向けに、政策の中心に貧困対策を据えていた。だから一国の経済全体のパイを大きくできず、汚職も蔓延して、国民の支持を失ってしまった。
 
これはそうではなく、都市型のビジネスマン層が厚みを増してきて、政党も農村型から都市向けに変わっていった、ということではないか。私はそういうふうに解釈するが、インドの実情はどうなっているのだろうか。
 
なおモディ首相には家族もいないし、個人的な蓄財もないという。まあこの辺は、話半分に聞いておくほうがいい。仮に家族がおり、蓄財にも励んでいる、ということを聞いても、それがどうしたとなるだけである。

「第2章 モディ政権下のインド経済」は、インド株に関心のある人間には、もっとも興味深いところだ。
 
インドは名目GDPでは、世界第5位の経済大国であり、強みは巨大な中間層の存在である。約3人に1人が、年収50万ルピーから300万ルピーの世帯収入を得る。これは80万円から480万円にあたる(1ルピーを1.6円として計算)。
 
これが中間層にあたっており、大都市では2人に1人が中間層に該当する。といっても、80万円から480万円では、購買力にずいぶん差が出てこよう。1つ指標になるのは、2022年には自動車販売台数が、日本を抜いて世界第3位となったことである。
 
しかし問題もいろいろある。もっとも大きな課題としては、インフラの未整備が挙げられる。電力の供給不足や、道路整備の遅れなど、問題は山積みで、公共事業の遅れや、予算の超過などは日常茶飯事である。これは日本でもどこでも、同じことであろう。
 
労働者の生産性の低さも問題で、多国籍企業で、インドへ製造拠点を移すのは、携帯電話の生産を除いては、まだ少ないのである。
 
ここらあたりが、考えどころである。

未だ不定形――『インド―グローバル・サウスの超大国―』(近藤正規)(1)

来年、2024年から新NISAが始まる。
 
私たち夫婦は年金暮らしで、住んでいるマンションは賃貸だから、貯蓄はかなり急激に目減りしてゆく。寿命が尽きるのが先か、預金が尽きるのが先か。
 
そこへ新NISAの「朗報」である。これについて、7,8月はかなり必死になって勉強し、計画を立てた。と言っても、本を2,3冊読んで、ネツトで関連する内容を読んだだけだが。投資信託の米国株式S&P500か、全世界株式オールカントリーか。
 
いろいろ調べていく中で、インド株が狙い目だ、というのが目についた。

でも、インド株って、どんなものがあるんだろう。だいたい株そのものを、やったことがないのだから、インド株といっても、かいもく見当がつかない。
 
そのときこの本が、目に飛び込んできた。べつにインド株の話をするわけではないけれど、インドを全体的に理解するのには役立つかもしれない。
 
著者の近藤正規氏は1961年生まれ。アジア開発銀行、世界銀行でインドを担当、インドのすべての州と連邦直轄領を訪れ、論文を多数執筆、専門はインド経済、開発経済学、と著者紹介にある(短く抜粋)。
 
オビ表には「インド経済研究の第一人者が/『強さと脆さ』/を徹底解明」とあり、オビの背には「財閥、IT産業から/外交、格差問題まで」とある。これは是非とも読まねば、という気になるでしょう。
 
で、読んでみたのだが、うーん、どうしたもんかなあ。

とりあえず「はじめに」から読んでいくことにする。

「22年にインドは為替レートで換算した名目国内総生産(GDP)で世界第5位、物価水準を考慮したGDPでは世界第3位の経済大国となっている。2023年には人口で中国を抜いて世界第一位になったインドは、ますます存在感を強めている。」
 
細かいことは分からないが、経済でも、人口でも、世界のトップを争うところまで来ているらしい。
 
ちなみに地球の総人口を70億とすれば、インドは14億、つまり2割はインド人、5人に1人はインド人、ということになる。
 
これは中国も同じである。やはり14億だが、微差でインド人が抜いたと推定される。ここまで厖大な数になると、きちんとは測れない、ということらしい。推定する以外に方法がない。
 
しかしその次にこう書いている。

「とはいうものの、インドの1人当たりの所得はいまだに年2200ドル(28万6000円。1ドル130として計算、以下同)程度で世界139位にすぎず、貧困と格差問題は深刻である。経済成長の反面、地域間、男女間、カースト間、宗教間で格差が縮小せず、大気や水質の汚染も深刻である。インドの農村を実際に訪れてみれば庶民の苦しい生活実情は容易に見てとれる。」
 
どう考えればいいのだろう。日本の格差ですらよく把握できないのに、14億を全体として思い浮かべるというのは、私の頭ではとうてい無理である。
 
まあとにかく読んでいこう。その前に、全体の章見出しを挙げておくのがいいだろう。

 第1章 多様性のインド――世界最大の民主主義国家

 第2章 モディ政権下のインド経済

 第3章 経済の担い手――主要財閥、注目の産業

 第4章 人口大国――若い人口構成、人材の宝庫

 第5章 成長の陰に――貧困と格差、環境

 第6章 インドの中立外交――中国、パキスタン、ロシア、米国とのはざまで

 第7章 日印関係――現状と展望

 当面、知りたいことを網羅していていうことがない。それはそうなのだが、1人の人が書くには、欲張り過ぎた気もする。

それでも謎は残る――『最年少名人への道―藤井聡太のいる時代―』(朝日新聞将棋取材班)

藤井聡太が八冠を取った。竜王・名人・王位・王座・棋王・王将・棋聖・叡王である。

1つタイトルを取るたびに、必ずそうしてきたわけではないが、藤井聡太の関連本をできるだけ読んできた。
 
今回は名人を取ったところまで。その道のりを噛み締めて、再体験できるものがいいと思い、この本を選んだ。朝日新聞の日曜朝刊の連載を、まとめたものに加筆したものである。
 
そう思って読み始めたのだが、これはどうも失敗したようだ。
 
新聞は事実を正確に伝えることが、まず第一の使命としてある。そこに、タイトル戦周辺のことなどが、付け加わっていく。つまりそれは、アベマTVの中継その他で、私が全部知っていることだ。
 
将棋の中継は長い。朝9時前から始まって、夜まで、場合によっては夜中まで続く。2日制のタイトル戦では、最初の日は封じ手で終わるが、2日目は決着がつくまで、場合によっては夜中まで、延々と続く。
 
その間、棋士はどうしているかというと、将棋盤を挟んでひたすら考えている。
 
将棋の指し手は、2人分合わせても、だいたい100手前後。考えずにただ指していれば、10分で決着がつく。つまり中継の時間は、将棋指しが、ただ考えているのみなのだ。
 
だから解説者(これはプロがやる)と、聞き手(女流棋士が務める)が、大変重要になる。棋士がこれほど喋ることが上手くなった時代は、ないのではないか。
 
と同時に中継している間、つまり朝から晩まで、棋士の生態を微に入り細を穿ち話すものだから、新聞記者が取材で聞くことは、TV中継で解説者が全部しゃべっている。
 
特に藤井聡太に関しては、小さいころ指し手を考えていてドブに落ちた話から、今でもキノコが嫌いだということまで、全部明るみに出ている。
 
と思って、やや退屈しながら読んでいたのだが、途中から、あの時はこうだった、ああだったと、自然に熱が入ってきて、やっぱり面白く読んでしまった。
 
畠山鎮の言葉に印象的なのがある。
 
藤井聡太が、師匠の杉本昌隆に勝った夜、解説をしていた畠山が、「杉本さんが実戦とは違う手を指していたら?」と尋ねると、長時間の対局で疲れていたはずの藤井が、眼を輝かせて検討し始めたという。

「『将棋からエネルギーをもらっていると感じた』と畠山。『将棋を食べて(成長の糧にして)いるようだった』とも。多くの棋士の成長を見守った畠山だからこそ感じとれた、藤井の成長の瞬間だったのかもしれない。」
 
この項のタイトルは「将棋を食べてるようだ」。
 
また「終電まで続いた三浦の反省会」における三浦弘行の言葉。
 
これは第14回朝日杯将棋オープン戦の決勝で、三浦と藤井が戦ったときのこと。午前10時から、藤井は渡辺明と準決勝を戦い、最終盤、鮮やかな逆転勝ちを収め、その余韻が収まらないうちに、午後から決勝が始まった。
 
藤井と三浦の決勝も、力のこもった捩じりあいになり、お互い秒読みの中で、乱戦を制したのは藤井だった。
 
大盤解説の前で、三浦が言った言葉、「藤井さんなんで、しょうがないですね」は、忘れられない。
 
ここは中継で私も見ていた。この情景全体が、忘れられないものになった。
 
この本は、名人を取り、7冠を取ったところまでを、もう一度追体験させる。そして改めて私たちは、藤井聡太という稀有な人と、同時代を生きていることの不思議さを考えさせる。

「『ラスボス』が口にした謙虚すぎる言葉」という項目で、豊島将之が信じられないことを喋っている(『ラスボス』はもちろん豊島のことである)。

「いろんな方と対局してきましたけど、藤井さんは特別な才能を持った方だと感じています。自分はわりと一般的な棋士だと思っているので、対局できるだけでありがたいことです。」
 
史上4人目の名人・竜王位に就いた天才の中の天才、豊島将之が、自分は一般的な棋士だけど、藤井は違うと言っている。そして周りの棋士たちや、私たち素人までもが、たしかにそうだなあ、と認める「謎」が、藤井聡太にはあるのだ。
 
その「謎」が解き明かされるときが来るまで、藤井聡太からは目が離せない。

(『最年少名人への道―藤井聡太のいる時代―』
 朝日新聞将棋取材班、朝日新聞出版、2023年9月30日初刷)

いやあ、面白い! だが――『異常〈アノマリー〉』(エルヴェ・ル・テリエ)(6)

それよりも、この小説を何度も読んでいて、奇妙なことに気づいた。ある特定の箇所を読んでいると、どこかへ迷い込いこむような気がするのだ。

「すべてはこの瞬間、つまり十六時二十六分三十四秒プラス百分の二十秒におきたんです……。ありえないことはまだまだ続きますよ。」
 
ここから見開きをまたいで、つごう2ページを繰り返し読むうちに、部屋の中が徐々に揺れ出して、ついには大きな地震かと思い、目を瞑った。
 
しばらくして目を開けてみると、その男はずっとそこにいるように、立っていた。

「これが『アノマリー(Anomaly)』ということなのだな。」
 
私は驚いてはいたが、一方こうなることも、わかっていたような気がした。

そういう相手の気持ちを忖度し、僕も、「とくに驚くべきことではないね」と言った。
 
しかしそうは言っても、この事態をどう考えればいいか、自分で方向性を持っておかないと、まずいことになりはしまいか、と私は思った。

「それは僕も同意見だ。」
 
相手は優しい眼をして言った。たぶん私も、同様の表情をしていたはずだ。だって自分に語り掛けているのだから、当たり前だ。
 
そのとき、妻が帰ってきて、2人とも緊張の極みとなる。

「ただいま」と、リビングのドアを開けた瞬間、彼女は驚愕し、震え出し、矢継ぎ早に、呆けた表情になる。
 
私が「アノマリー(Anomaly)」について説明している間、それは40分くらいかかったが、妻は一言も発することはなかった。

「そういうわけで、僕も君の夫なんだ。」
 
そういっても、妻は応えない。応えようがなかったのかも知れない。
 
その日、妻は沈黙したまま食事を作り、「私は別の部屋で寝る」と、一言だけ言った。
 
私ともう1人の自分は、身体に違いがあった。

ブログでも再三言っているように、私は半身不随で、杖をつけば歩くことはできるが、一度転ぶと一人で元へは戻れず、だから危なっかしくて、独りで外へは出られない。
 
それに対し僕は、やはり半身不随だが、杖を突けば、外へ1人で出かけられるくらいの回復ぶりである。そしてこれは、妻の熱心なリハビリのおかげだと思っている。

2人の夫を持って3日目に、僕がそのことを言って感謝すると、妻は控えめだったけれど、嬉しそうな顔をした。
 
しかし妻は、必要なこと以外は、あまり口を利かなくなった。
 
3週間が経ったころ、私は決断した。3人の緊張が、特に妻の緊張が、限界に達していると見えたのだ。

「私と君のどちらかが、出ていくしかない。」
 
僕もそう思っていたところだ。なにしろ僕らは、同じ人格、同じ性格なのだから、考えることもよく似ている。

「僕が出ていくよ。この9年、脳出血で緊急入院して以来、妻が駆けずり回って金を作り、それから長いリハビリをともにしていたのは、君の方だ。それに君が妻と暮らすのであれば、結局は、僕と暮らすことになるのだから。」
 
それに対し、私はしばらく考えてからこう言った。

「出ていくのは私だ。ただし、出て行って、二度と会わないんじゃない。東海や信州あたりの老人施設に入り、2か月に一度、妻が訪ねてくれればいい。もちろん君は来ないでくれ。来たら大混乱になる。
 妻はもう十分、私に一方的に尽くしてくれた。脳出血以後の私の命は、妻がくれたものだ。いつか君が、妻の献身的な介護とリハビリで、1人で出かけられるようになったと言ったとき、妻は本当にうれしそうだった。だからもう十分だよ。」
 
翌朝、私が起きたとき、男はどこかへ去っていた。手紙が2通、私宛のと、妻宛てのが、残されていた。
 
私宛のものは、読まなくても分かった。だってもう1人の自分が、書いたものだから。
 
妻はその手紙を読んだ後、こう言った。

「私は、どちらが私と暮らすことを望んでも、相応の用意をしておいたの。もちろんあなたでよかったと思ってる。でも、仮にどちらであっても、あなたを選ぶことに変わりはないんだもの。」


なお、「訳者あとがき」に、この作品の形式と文体について、大変重要な指摘がある。

「一つの作品がロマン・ノワール、心理小説、恋愛小説、SF、諷刺小説、テレビドラマのシナリオ風テキストなど多彩なジャンルの文章で構成されているのだ。加えて詩、メール、新聞記事、聴取記録、書簡など形態の異なるテキストが挿入されており、文章および文体の面から見ても異例の作品と言えるだろう。」
 
そういうわけで、この作品は面白いけれども、ずっと緊張しつつ読んだ。

(『異常〈アノマリー〉』エルヴェ・ル・テリエ、訳・加藤かおり、
 早川書房、2022年2月15日初刷、12月15日第7刷)