プラトンの弟子であるアリストテレス、この人はすべてを見つめ、すべてを考えつくそうとした哲人である。この人は、プラトンの文学的な資質とは正反対の、自然科学的な手法で、自らの学を築いた。
と言っても、何が何だかよく分からないだろう。私にも分からない。説明する方も、膨大な壁に立ちすくんでしまう。
本書に取り上げられたところを、断片的に紹介しておく。
まずアリストテレスは、2300年も昔に、地球が丸いことを認識し、しかもその大きさは、他の星と変わらないと考えた。
どういうことかというと、太陽の光を地球が遮ることによって、月食が引き起こされ、そのとき月面を動く地球の影は、常に丸いことから、地球の形が球状であることを推理していた。
日本でいえば紀元前3世紀(だからまだ日本ではないが)、弥生時代が始まったころだ。そう考えると、ちょっと呆然としてしまう。
アリストテレスがすごいのは、天界も見ているが、地上の生き物も、克明に凝視していることだ。
「動物学では、ゾウ・ラクダ・ウシ・ウマから始まって、ツバメ・ドバト・ツル・キツツキ、またサメ・コイ・ナマズ・ウナギ、そしてクモ・ハチ・アリなどに至るまで、五〇〇種以上の動物を、徹底した観察、解剖などによってその体制、生態、生殖、性格を記述し、合理的な分類を行ったことで、動物学の祖と言われる。」
大変なものである。しかも生き物は、動物・昆虫に限らない。その事実が確認されるのに、2000年以上かかった例が、いくつもあるという。
「有名なものでは、サメには卵生や卵胎生(胎内で産卵し、孵化後に産み落とす)があることが知られるが、アリストテレスは、サメの一部の種には胎生のものがあって、へその緒が胎児と母胎とを結んでいる旨を記述して」いる。このことは、19世紀の発生学者が、ようやく確認した。
地上のことは、生き物に限ったことではない。人間にも探求の手を広げ、政治学や倫理学を研究し、弟子たちの協力も得て、ギリシアの158に上るポリスの、国制と歴史を調査し、より優れた政治とは何か、を探求している。
また『詩学』という本では、叙述の位相を変えて、「芸術論」を展開している。
「そのキーターム、『カタルシス』は、ソクラテス以来の『魂の浄化』という意味を『芸術による心の解放』に変え、今日の日本でもなお、一般に使われる用語となっている。」
そうか、「カタルシス」は、アリストテレス由来だったのか。
しかしアリストテレスのやった仕事は、ここに挙げただけでも、異常な量と質である。一生をその仕事で割り振ってみれば、どう考えても、全部のことができたはずはない。
そういうことは、ヨーロッパの学者が、とっくに計算しているだろう。それでも「アリストテレス全集」の仕事に、ケチがつかないのはなぜか。私には本当に分からない。
あるいは、人間の歴史にただ一人現われた、「超人」だったのだろうか。
余談になるが、「超人」のうち「スモール超人」は、たまに現われる。野球における大谷翔平、将棋における藤井聡太、いずれも「スモール超人」であり、「スモール」だからと言って、子供は真似をしてはいけない。
しかし、まだ「ラージ超人」は見たことがない。ひょっとするとアリストテレスは、人類史上ただ1人の「ラージ超人」かもしれない。
そのことと並んで、私にはもう一つ疑問がある。
紀元前のギリシアに現われた哲学者たち、ソクラテス以前の哲人たちと、ソクラテス、プラトン、アリストテレスの系譜は、なぜ途中で途絶えたのか。
もちろんそれがローマに継承され、ゆくゆくはキリスト教がヨーロッパを覆い、中世が始まって、「知」は千年にわたり、その伝統を放棄する、という概説は承知しているつもりだ。
しかし再び、ルネッサンスが訪れ、キリスト教の枠を食い破ったとき、もうギリシアは表舞台には出てこない。
あれだけ数多くの哲学者を出し、ソクラテス、プラトン、アリストテレスという、今も世界に輝く最高の哲人たちをだしながら、どうしてその風土は絶えてしまったのか。
あるいは、同じギリシア人とはいっても、民族が代替わりしているのか。私には、どうしても分からない。
光の当て方で歴史は一変する――『知の歴史―哲学と科学で読む138億年―』(渡部佳延〉(5)
そして次に最大のエース、ソクラテスの時代が来る。彼は哲学の目標を、180度変えてしまう。それまでの哲学者が、もっぱら「自然」を相手に考えていたのに、ソクラテスは、探求の目標を「自己」に変えたのである。
「まさに、デルフォイのアポロン神殿の入り口に刻まれていた格言『汝自身を知れ』を地で行ったことになる。」
これにはびっくりした。私は、ソクラテスが自力で哲学の方向を変えた、と思っていたが、その前に「アポロン神殿の入り口」に、「汝自身を知れ」と刻んだ者がいたのだ。
これは、著者が問題にしてないのはもちろん、古来、それが何者かは疑問とされなかった(たぶん)。それって、おかしくはないか。
それはともかく、一応ソクラテスの言い分が、「汝自身を知れ」ということだとして、この「汝自身」も究極、隅々までわかっているか、と問うたら、よくわかりません、という以外にない。
「自己」の危うさがはっきりするのは、フロイドの登場から後だろうが、フロイドの時代以降を生きる私たちには、自己はどこまで行っても、すべて分かったとは言えないものなのだ。
すると私たちは、自分の外部も分からないが、著者の言う「意識の絶対的内部性」も、内実は怪しいもの、とならないだろうか。
その弟子、プラトンの本名は、アリストクレスという。へーえ、知らなかったよ。
「『プラトン』とは、肩幅の広さ、ないしは額の広さからつけられたあだ名だという。並木のプラタナスは、ギリシア語で『幅の広い葉』を意味するが、これと同語源であり、『広ちゃん』いったところだろうか。」
いやあ、面白い。でも、「広ちゃん」は上品すぎる。「でっかち」あるいは「頭でっかちクン」くらいのところではないか。
プラトンといえば「イデア論」。現実の身の回りの美しい花とは別に、美そのもの、「美のイデア」があるとされた。
「この世の個々の美しいものは、この美のイデアに関与する限りで、限定的、相対的、不完全に美しいのであり、それに対して美のイデア自身は完全で、永遠で、絶対的な美なのである。」
つまり現実には、存在しないものだ。これはかなり私たちの、美しいものを見る見方を、決定していると思う。
だから逆に、「花の美しさというようなものはない、美しい花があるだけだ」、と小林秀雄が言ったとき、みんなびっくりしたわけだ。イデアに囚われ過ぎてはいけないよ、目の前のものも、よく見なければ、というわけだ。
プラトンの中でも有名なのは、「洞窟の比喩」だろう。
「そこでは、我々人間は生まれつき洞窟の中で手も足も首も縛られ、洞窟の奥の壁しか見ることのできない存在に譬えられている。後ろには火が燃え、我々にはその前を通るものの影のみが目の前の壁に映って見えるだけなのだが、我々はその影をこそ真実在だと考えて疑わない。」
人間には真実が見えない。「洞窟の比喩」では、真実は美しいもの、価値あるものとされるが、観念には恐ろしいものも入っている。その恐ろしい観念が、ひとたび戒めを解かれて、現実を覆うようになったら……。これは古くは渡辺一夫、今なら養老先生が好んだ話だ。
たとえば16世紀の宗教戦争、あるいは20世紀のナチスのユダヤ人虐殺。いずれも観念が現実になったとき、恐ろしいことが起こるのだ。
しかしプラトンは、美の真実在を問題にする。
「一人の人間がいましめを解き、まぶしさに眼をくらませながら、洞窟の外に出て、すべての真実を知る。
そこはイデアの世界であり、中心で輝く太陽こそが善のイデアである。彼は戻って人々に、あなた方がこれまで見てきたものは『影』にすぎないのだと告げるが、人々はそれを信じず、彼を捕らえて殺してしまう。」
実によくできた話だと思いませんか。この死刑になった知恵ある者こそ、ソクラテスなのである。
「まさに、デルフォイのアポロン神殿の入り口に刻まれていた格言『汝自身を知れ』を地で行ったことになる。」
これにはびっくりした。私は、ソクラテスが自力で哲学の方向を変えた、と思っていたが、その前に「アポロン神殿の入り口」に、「汝自身を知れ」と刻んだ者がいたのだ。
これは、著者が問題にしてないのはもちろん、古来、それが何者かは疑問とされなかった(たぶん)。それって、おかしくはないか。
それはともかく、一応ソクラテスの言い分が、「汝自身を知れ」ということだとして、この「汝自身」も究極、隅々までわかっているか、と問うたら、よくわかりません、という以外にない。
「自己」の危うさがはっきりするのは、フロイドの登場から後だろうが、フロイドの時代以降を生きる私たちには、自己はどこまで行っても、すべて分かったとは言えないものなのだ。
すると私たちは、自分の外部も分からないが、著者の言う「意識の絶対的内部性」も、内実は怪しいもの、とならないだろうか。
その弟子、プラトンの本名は、アリストクレスという。へーえ、知らなかったよ。
「『プラトン』とは、肩幅の広さ、ないしは額の広さからつけられたあだ名だという。並木のプラタナスは、ギリシア語で『幅の広い葉』を意味するが、これと同語源であり、『広ちゃん』いったところだろうか。」
いやあ、面白い。でも、「広ちゃん」は上品すぎる。「でっかち」あるいは「頭でっかちクン」くらいのところではないか。
プラトンといえば「イデア論」。現実の身の回りの美しい花とは別に、美そのもの、「美のイデア」があるとされた。
「この世の個々の美しいものは、この美のイデアに関与する限りで、限定的、相対的、不完全に美しいのであり、それに対して美のイデア自身は完全で、永遠で、絶対的な美なのである。」
つまり現実には、存在しないものだ。これはかなり私たちの、美しいものを見る見方を、決定していると思う。
だから逆に、「花の美しさというようなものはない、美しい花があるだけだ」、と小林秀雄が言ったとき、みんなびっくりしたわけだ。イデアに囚われ過ぎてはいけないよ、目の前のものも、よく見なければ、というわけだ。
プラトンの中でも有名なのは、「洞窟の比喩」だろう。
「そこでは、我々人間は生まれつき洞窟の中で手も足も首も縛られ、洞窟の奥の壁しか見ることのできない存在に譬えられている。後ろには火が燃え、我々にはその前を通るものの影のみが目の前の壁に映って見えるだけなのだが、我々はその影をこそ真実在だと考えて疑わない。」
人間には真実が見えない。「洞窟の比喩」では、真実は美しいもの、価値あるものとされるが、観念には恐ろしいものも入っている。その恐ろしい観念が、ひとたび戒めを解かれて、現実を覆うようになったら……。これは古くは渡辺一夫、今なら養老先生が好んだ話だ。
たとえば16世紀の宗教戦争、あるいは20世紀のナチスのユダヤ人虐殺。いずれも観念が現実になったとき、恐ろしいことが起こるのだ。
しかしプラトンは、美の真実在を問題にする。
「一人の人間がいましめを解き、まぶしさに眼をくらませながら、洞窟の外に出て、すべての真実を知る。
そこはイデアの世界であり、中心で輝く太陽こそが善のイデアである。彼は戻って人々に、あなた方がこれまで見てきたものは『影』にすぎないのだと告げるが、人々はそれを信じず、彼を捕らえて殺してしまう。」
実によくできた話だと思いませんか。この死刑になった知恵ある者こそ、ソクラテスなのである。
光の当て方で歴史は一変する――『知の歴史―哲学と科学で読む138億年―』(渡部佳延〉(4)
そこから一気に紀元前5000年前後の、最初の文明のあたりまで飛ぶが、その前に著者が、人間の特異な点として挙げているものを見ておく。
「通常の動物では、進出地の環境に合わせて遺伝子が変わり、別の種になり馴化する、サピエンスは全く同じ『ホモ・サピエンス』のままで進出した。土地にあった行動をとる、即ち、新しい衣服を作り出し、住居を変え、食べ物を変えて、自らの遺伝子型に全く変更を加えないまま進出したのである。到底生物の常識とは相いれない、恐るべき知による適応力であった。」
そうか、人間だけが、他の生物の常識から外れているのか。ふつうは遺伝子型を操作することによって、その場所に適応してゆくのか。
それは何を意味するのか。ここから私の空想は広がっていくが、半分与太の類いだからねえ。しかし、神はおのれに似せて人のかたちを作った、というのはなるほど一理ある、とついつい納得しそうになる。
第四章は最初の文明の話であるが、ここでは「書き文字」の発明が大事だ。
シュメールの最初期の粘土板には、絵文字と数が記されている、つまりそれは、商品カタログみたいなものだったという。
しかし私には、疑問が残る。最初それは、神との交信手段ではなかったか。
著者の言うことを、そのまま聞いてみよう。
「つまり文字は、本来実用のツールであったのだが、やがて文字を音声を表す記号に転換させて、会話を写し取る文字体系として自立する。」
こうも言えるが、そうではない方法も考えられる。最初は神に向かって、魂の叫びを訴える、というような。
これは水掛け論で、どこまで行っても出口はない。
ともかく著者の言うことを、最後まで聞いてみよう。
「かくして文字は管理上の記録から始まって、数百に及ぶ神々の名、彼らの関係・階級・記録を記す神話的記述、さらには神々の住み処とされた天界を観察した記録へと記述範囲を広げ、紀元前二一〇〇年にはついに、最古のテキストとして『ギルガメシュ叙事詩』を生み出すに至る。それは、第五代ウルク王とされる半神半人の英雄ギルガメシュの冒険譚である。」
どちらにしても『ギルガメシュ叙事詩』は、文字の形で残った。ここまで来れば、もう現代とは地続きだ、とは言えないにしても、少なくとも途切れてはいない。
なおこの本には書いてないが、書き言葉と話し言葉が一致する、つまり視覚言語と聴覚言語が一致するということは、人間の脳の絶妙さの現われであり、いわば奇蹟ともいえることらしい。
養老先生の本など読むと、そう言うことが書いてある。たしかに、他に当てはまる動物はいないようだ。
そこからまず「神話」の時代が幕を開け、次に「哲学」の時代に入る。
「神話」では飽き足りなくなった人々が、2600年前、ギリシア圏内で、どこまでも「ロゴス(理知)」に従って行こうと、努力を始めたのだった。
そこにはおなじみの(おなじみでない人もいるが)、タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネス、クセノファネス、ピュタゴラス、ヘラクレイトス、パルメニデス、エンペドクレス、デモクリトスらがいて、それについての概説がある。
この中ではどうしても、ピュタゴラスとデモクリトスに親しみを感じる。ピュタゴラスの定理は、小学校の算数と、中学の数学を、鮮やかに分けるものであった。
またデモクリトスは、原子(アトム)論の先駆けとして有名である。とはいっても、今の原子論とどこまで結び付けられるか、だれもが疑問に思うところだろう。質は問題にされても、量は問題ではない、そういう議論を結び付けちゃっていいのかね。
ほかにも素朴な疑問としては、なぜこの地域に、「ロゴス」の旗を立てた一派が、現れたのだろう。突然「自然」が、謎として迫ってきたわけでもないだろう。まったく不思議なことだ。
もう一つ、ヤスパースが『歴史の起原と目標』の中で述べていることだが、紀元前500年を中心とした数世紀に、世界で同時に「知の黎明期」がおとずれている。
「『枢軸時代』と名づけられたこの特権的時代に挙げられた知のビッグネームたちの名は、ギリシアではホメロスのほかパルメニデスからプラトンに至る哲学者たち、インドではウパニシャッドの哲人やブッダ、中国では孔子、老子、荘子等々である。」
著者はそこでこう書く。
「それは人間がようやく、存在の全体たる宇宙と人間自身を根本から見詰め、深々とした思考を巡らせることで、初めて時間を越える真理を摑み取ろうとした時代だった。」
そうも言えるが、それにしては世界中で、時代の平仄が合い過ぎている。紀元前500年という時代は、それから後の人たちが、巨像を張り付けやすい時代だったのだろう。
もちろんこれは、貶めて言っているのではない。そういう時代を持てたというのは、限りなく幸福なことである。
「通常の動物では、進出地の環境に合わせて遺伝子が変わり、別の種になり馴化する、サピエンスは全く同じ『ホモ・サピエンス』のままで進出した。土地にあった行動をとる、即ち、新しい衣服を作り出し、住居を変え、食べ物を変えて、自らの遺伝子型に全く変更を加えないまま進出したのである。到底生物の常識とは相いれない、恐るべき知による適応力であった。」
そうか、人間だけが、他の生物の常識から外れているのか。ふつうは遺伝子型を操作することによって、その場所に適応してゆくのか。
それは何を意味するのか。ここから私の空想は広がっていくが、半分与太の類いだからねえ。しかし、神はおのれに似せて人のかたちを作った、というのはなるほど一理ある、とついつい納得しそうになる。
第四章は最初の文明の話であるが、ここでは「書き文字」の発明が大事だ。
シュメールの最初期の粘土板には、絵文字と数が記されている、つまりそれは、商品カタログみたいなものだったという。
しかし私には、疑問が残る。最初それは、神との交信手段ではなかったか。
著者の言うことを、そのまま聞いてみよう。
「つまり文字は、本来実用のツールであったのだが、やがて文字を音声を表す記号に転換させて、会話を写し取る文字体系として自立する。」
こうも言えるが、そうではない方法も考えられる。最初は神に向かって、魂の叫びを訴える、というような。
これは水掛け論で、どこまで行っても出口はない。
ともかく著者の言うことを、最後まで聞いてみよう。
「かくして文字は管理上の記録から始まって、数百に及ぶ神々の名、彼らの関係・階級・記録を記す神話的記述、さらには神々の住み処とされた天界を観察した記録へと記述範囲を広げ、紀元前二一〇〇年にはついに、最古のテキストとして『ギルガメシュ叙事詩』を生み出すに至る。それは、第五代ウルク王とされる半神半人の英雄ギルガメシュの冒険譚である。」
どちらにしても『ギルガメシュ叙事詩』は、文字の形で残った。ここまで来れば、もう現代とは地続きだ、とは言えないにしても、少なくとも途切れてはいない。
なおこの本には書いてないが、書き言葉と話し言葉が一致する、つまり視覚言語と聴覚言語が一致するということは、人間の脳の絶妙さの現われであり、いわば奇蹟ともいえることらしい。
養老先生の本など読むと、そう言うことが書いてある。たしかに、他に当てはまる動物はいないようだ。
そこからまず「神話」の時代が幕を開け、次に「哲学」の時代に入る。
「神話」では飽き足りなくなった人々が、2600年前、ギリシア圏内で、どこまでも「ロゴス(理知)」に従って行こうと、努力を始めたのだった。
そこにはおなじみの(おなじみでない人もいるが)、タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネス、クセノファネス、ピュタゴラス、ヘラクレイトス、パルメニデス、エンペドクレス、デモクリトスらがいて、それについての概説がある。
この中ではどうしても、ピュタゴラスとデモクリトスに親しみを感じる。ピュタゴラスの定理は、小学校の算数と、中学の数学を、鮮やかに分けるものであった。
またデモクリトスは、原子(アトム)論の先駆けとして有名である。とはいっても、今の原子論とどこまで結び付けられるか、だれもが疑問に思うところだろう。質は問題にされても、量は問題ではない、そういう議論を結び付けちゃっていいのかね。
ほかにも素朴な疑問としては、なぜこの地域に、「ロゴス」の旗を立てた一派が、現れたのだろう。突然「自然」が、謎として迫ってきたわけでもないだろう。まったく不思議なことだ。
もう一つ、ヤスパースが『歴史の起原と目標』の中で述べていることだが、紀元前500年を中心とした数世紀に、世界で同時に「知の黎明期」がおとずれている。
「『枢軸時代』と名づけられたこの特権的時代に挙げられた知のビッグネームたちの名は、ギリシアではホメロスのほかパルメニデスからプラトンに至る哲学者たち、インドではウパニシャッドの哲人やブッダ、中国では孔子、老子、荘子等々である。」
著者はそこでこう書く。
「それは人間がようやく、存在の全体たる宇宙と人間自身を根本から見詰め、深々とした思考を巡らせることで、初めて時間を越える真理を摑み取ろうとした時代だった。」
そうも言えるが、それにしては世界中で、時代の平仄が合い過ぎている。紀元前500年という時代は、それから後の人たちが、巨像を張り付けやすい時代だったのだろう。
もちろんこれは、貶めて言っているのではない。そういう時代を持てたというのは、限りなく幸福なことである。
光の当て方で歴史は一変する――『知の歴史―哲学と科学で読む138億年―』(渡部佳延〉(3)
「第二章 三葉虫革命――眼の誕生」の巻頭の要約はまだ続く。ここからが大事なところだ。
「すると次に、生命体である自己――つまり外部と切り離されてしまった自己は、今度は逆に『外部の情報』を取り入れなければならなくなる。〔中略〕
こうした絶対に必要な外部情報、即ち『知』を得るための器官が『感覚器』であって、その性能の向上が種の繁栄を支えるものとなった。感覚器のうち最も効率のよいものは、地上に溢れる光を利用する『視覚』である。」
ここは説得力がある。五感の中で何が一番大事かといえば、だれでも「視覚」だというだろう。
私が脳出血になったときも、五感は大なり小なり異常をきたしたが、しかし「視覚」が比較的安定していたのが、頼みの綱だった。
その「視覚」という機能を、最初に持ったのが、三葉虫である。著者はここから、さらに一歩踏み込む。
「古生代カンブリア紀の三葉虫革命は、外部情報を的確に捉える高性能の眼を三葉虫が備えたことをきっかけとして、この世界が弱肉強食の過酷な修羅場に変わっていったことを示している。」
さあ、これはどうだろう。「眼を備える」ことと、「弱肉強食の世界」の間には、いくつかのミッシング・リンクがあるような気がするが。あるいは眼を備えるずっと以前から、弱肉強食の世界は、幕を開けていたと思われるが。
また、別の面からも疑問はある。先ほど目の優位性について、手放しで著者に賛同したけれど、かすかな疑問もあることはある。
私たちは「眼で見る」ということに、あまりに支配され過ぎているのではないか、とも思うのだ。
逆に眼で見られないことは信じられない、ということが、日常の世界では、当たり前になり過ぎていないだろうか。
私たちは、本当は第六感、第七感、いやもっと多くの感覚を持っているのに、あまりにも五感、とくに「視覚」に、とらわれ過ぎているのではないだろうか。
だから例えば、この宇宙に存在するダークマター、あるいはダークエネルギーを、直接受け取れなくなっているのではないだろうか。
三葉虫が「視覚」を得たとき、かわりに得られなかったものは何か、と考えてみるのは、もちろん荒唐無稽の話だが、しかし限りなく楽しいし、興味深い。
なおこのブログを書いているときに、偶然NHK BS1で、「ドキュメント・生命大躍進」を再放送していて、その最初が「第一集・そして目が生まれた」だった。
やはりカンブリア紀に、目が登場するのだが、ここでは三葉虫はまったく出てこない。そのかわり遺伝子が出てくる。
そういう異なった側からのアプローチではあるが、目が生まれたということ、そしてそれが「カメラ眼」だったということが、ひいては人間の繁栄を運命づけた、ということに変わりはない。
なお著者は、「眼の獲得」と並んで、細胞膜による「生命の内部性」ということも、特徴として挙げている。
「生命は、自ら設定した境界の内部でしかその活動を営むことができない。境界の内側に身体を持ち、内側から眺め、内側に外部の何物かを取り込んで、内側で処理する。生命のこの徹底した『内部性』という特性は、最高度にまで進化しているはずの人間の意識においてもそのまま継承され、『意識の絶対的内部性』として知の歴史=哲学の思考につきまとうことになる。生命も意識も内側から――『こちら側』からしか見ることも知ることもできないという宿命を持つ。」
私たちが、自分の眼のスクリーンに、正確に映し出されていると信じる外界像は、内部からしか、つまり一方からしか、対象を見ていないのだ。
そんなものを信じ込んでどうする。ざっと言ってしまえば、それがプラトンやカントらが証明した、「内部性の誤謬」というものなのだ。プーチン、よく聞きなさい。
「すると次に、生命体である自己――つまり外部と切り離されてしまった自己は、今度は逆に『外部の情報』を取り入れなければならなくなる。〔中略〕
こうした絶対に必要な外部情報、即ち『知』を得るための器官が『感覚器』であって、その性能の向上が種の繁栄を支えるものとなった。感覚器のうち最も効率のよいものは、地上に溢れる光を利用する『視覚』である。」
ここは説得力がある。五感の中で何が一番大事かといえば、だれでも「視覚」だというだろう。
私が脳出血になったときも、五感は大なり小なり異常をきたしたが、しかし「視覚」が比較的安定していたのが、頼みの綱だった。
その「視覚」という機能を、最初に持ったのが、三葉虫である。著者はここから、さらに一歩踏み込む。
「古生代カンブリア紀の三葉虫革命は、外部情報を的確に捉える高性能の眼を三葉虫が備えたことをきっかけとして、この世界が弱肉強食の過酷な修羅場に変わっていったことを示している。」
さあ、これはどうだろう。「眼を備える」ことと、「弱肉強食の世界」の間には、いくつかのミッシング・リンクがあるような気がするが。あるいは眼を備えるずっと以前から、弱肉強食の世界は、幕を開けていたと思われるが。
また、別の面からも疑問はある。先ほど目の優位性について、手放しで著者に賛同したけれど、かすかな疑問もあることはある。
私たちは「眼で見る」ということに、あまりに支配され過ぎているのではないか、とも思うのだ。
逆に眼で見られないことは信じられない、ということが、日常の世界では、当たり前になり過ぎていないだろうか。
私たちは、本当は第六感、第七感、いやもっと多くの感覚を持っているのに、あまりにも五感、とくに「視覚」に、とらわれ過ぎているのではないだろうか。
だから例えば、この宇宙に存在するダークマター、あるいはダークエネルギーを、直接受け取れなくなっているのではないだろうか。
三葉虫が「視覚」を得たとき、かわりに得られなかったものは何か、と考えてみるのは、もちろん荒唐無稽の話だが、しかし限りなく楽しいし、興味深い。
なおこのブログを書いているときに、偶然NHK BS1で、「ドキュメント・生命大躍進」を再放送していて、その最初が「第一集・そして目が生まれた」だった。
やはりカンブリア紀に、目が登場するのだが、ここでは三葉虫はまったく出てこない。そのかわり遺伝子が出てくる。
そういう異なった側からのアプローチではあるが、目が生まれたということ、そしてそれが「カメラ眼」だったということが、ひいては人間の繁栄を運命づけた、ということに変わりはない。
なお著者は、「眼の獲得」と並んで、細胞膜による「生命の内部性」ということも、特徴として挙げている。
「生命は、自ら設定した境界の内部でしかその活動を営むことができない。境界の内側に身体を持ち、内側から眺め、内側に外部の何物かを取り込んで、内側で処理する。生命のこの徹底した『内部性』という特性は、最高度にまで進化しているはずの人間の意識においてもそのまま継承され、『意識の絶対的内部性』として知の歴史=哲学の思考につきまとうことになる。生命も意識も内側から――『こちら側』からしか見ることも知ることもできないという宿命を持つ。」
私たちが、自分の眼のスクリーンに、正確に映し出されていると信じる外界像は、内部からしか、つまり一方からしか、対象を見ていないのだ。
そんなものを信じ込んでどうする。ざっと言ってしまえば、それがプラトンやカントらが証明した、「内部性の誤謬」というものなのだ。プーチン、よく聞きなさい。
光の当て方で歴史は一変する――『知の歴史―哲学と科学で読む138億年―』(渡部佳延〉(2)
最初は「第一章 宇宙創世から地球形成へ」、ここはまだ「知の歴史」ではなく、「一三八億年ののちに、『原初の光景』であったはずのものとして、人間の知の力をもって眺めることになる。」
ここでは、「知の歴史」はまだ始まっていない、ということが大事である。ある時点で「知」は生まれたものだ、ということが。
そして今から約46億年前に、地球が生まれる。
「私たちはみな『星の子』だという言葉があるが、まさしく私たちの体は星屑から作られている。夜空の星を眺めるとき、私たちがそこはかとない懐かしさに満たされるのは、自分のふるさとを見つめているせいもあるのかもしれない。」
そういうことは、私にはないが、これは感性の問題かもしれない。
たとえば私は、海を見ていると、1日があっという間に過ぎていく。これは太古の昔、海から陸へ上がってきた祖先の歴史を、無意識に偲んでいるのではないか、というと、「バッカじゃないの!」と一笑に付されたことがある。これも感性の問題なのである。
ついでに言うと、138億年前のビッグバンや、46億年前の地球の誕生は、話として聞いておくという以上に、特別の意味はない。そもそも××億年前など、私の頭ではまったく扱いかねる。
この本は各章の初めに、そこで扱われることが、ゴチックで1ページ強に要約してある。これが実に便利である。
「第二章 三葉虫革命――眼の誕生」は、こんな要約で始まる。
「約四〇億年前に生命が海底で誕生したとされる。それはたった一個の細胞からなる生命であったにしても、ある空間を細胞膜で覆うことによって、恐らく私たちの宇宙に『自己』というものが誕生した瞬間なのである。」
さあ、それはどうでしょう。「ある空間を細胞膜で覆う」という以前に、たとえば植物はどうであったか。植物の誕生は、「自己」の誕生とは言えないでしょう。生命の誕生と、「自己」の誕生とは、別ではないか。
植物でなくとも、たとえばウイルスはどうか。無生物と生物の間に生きている、と言われるウイルスは、もちろん「自己」とは呼べまい。しかしともかく生きているのだ。
著者も、ここでいう「自己」については、留保付きである。
「勿論『意識』などという立派なものはなかったであろう。しかしながら明らかに細胞膜を境に、その内側には『内部』が、外側には『外部』というものが生じたことになる。そしてそれ以後、内部は内部であることを維持しようとする。それは『自己』という存在でなくて何であろう。」
これは、人間として今から考えてみれば、こういうことである、という後付けの知恵ではないか。
著者は、戻って「プロローグ」では、はじめに生命の「内部」と、その「外部」が生じたことが、問題なのではないかと言っている。
「筆者は、このような人間の知のエネルギーの『無限性』に驚愕するとともに〔中略〕、その知が原初より持つ、絶対的な『内部性』の限界に思い至るべきだと考えるようになっている。」
そしてこのことは、最終第二十二章で詳しく扱いたいという。
先走りしていえば、内部と外部の境を超えることは、人間には無理なのではないか。俗に、相手の身になって考えよ、ということは、そもそも無理である。そういう限界を知るところからしか、人間の生き延びる道はないような気がする(これはひょっとすると、著者も同じことを言っている?)。
さらに先走って言えば、人間が唯一、他の生物と違うのは、「自己言及性」という点にあると思うのだが、しかしこういう議論までは、まだはるかに遠い。
ここでは、「知の歴史」はまだ始まっていない、ということが大事である。ある時点で「知」は生まれたものだ、ということが。
そして今から約46億年前に、地球が生まれる。
「私たちはみな『星の子』だという言葉があるが、まさしく私たちの体は星屑から作られている。夜空の星を眺めるとき、私たちがそこはかとない懐かしさに満たされるのは、自分のふるさとを見つめているせいもあるのかもしれない。」
そういうことは、私にはないが、これは感性の問題かもしれない。
たとえば私は、海を見ていると、1日があっという間に過ぎていく。これは太古の昔、海から陸へ上がってきた祖先の歴史を、無意識に偲んでいるのではないか、というと、「バッカじゃないの!」と一笑に付されたことがある。これも感性の問題なのである。
ついでに言うと、138億年前のビッグバンや、46億年前の地球の誕生は、話として聞いておくという以上に、特別の意味はない。そもそも××億年前など、私の頭ではまったく扱いかねる。
この本は各章の初めに、そこで扱われることが、ゴチックで1ページ強に要約してある。これが実に便利である。
「第二章 三葉虫革命――眼の誕生」は、こんな要約で始まる。
「約四〇億年前に生命が海底で誕生したとされる。それはたった一個の細胞からなる生命であったにしても、ある空間を細胞膜で覆うことによって、恐らく私たちの宇宙に『自己』というものが誕生した瞬間なのである。」
さあ、それはどうでしょう。「ある空間を細胞膜で覆う」という以前に、たとえば植物はどうであったか。植物の誕生は、「自己」の誕生とは言えないでしょう。生命の誕生と、「自己」の誕生とは、別ではないか。
植物でなくとも、たとえばウイルスはどうか。無生物と生物の間に生きている、と言われるウイルスは、もちろん「自己」とは呼べまい。しかしともかく生きているのだ。
著者も、ここでいう「自己」については、留保付きである。
「勿論『意識』などという立派なものはなかったであろう。しかしながら明らかに細胞膜を境に、その内側には『内部』が、外側には『外部』というものが生じたことになる。そしてそれ以後、内部は内部であることを維持しようとする。それは『自己』という存在でなくて何であろう。」
これは、人間として今から考えてみれば、こういうことである、という後付けの知恵ではないか。
著者は、戻って「プロローグ」では、はじめに生命の「内部」と、その「外部」が生じたことが、問題なのではないかと言っている。
「筆者は、このような人間の知のエネルギーの『無限性』に驚愕するとともに〔中略〕、その知が原初より持つ、絶対的な『内部性』の限界に思い至るべきだと考えるようになっている。」
そしてこのことは、最終第二十二章で詳しく扱いたいという。
先走りしていえば、内部と外部の境を超えることは、人間には無理なのではないか。俗に、相手の身になって考えよ、ということは、そもそも無理である。そういう限界を知るところからしか、人間の生き延びる道はないような気がする(これはひょっとすると、著者も同じことを言っている?)。
さらに先走って言えば、人間が唯一、他の生物と違うのは、「自己言及性」という点にあると思うのだが、しかしこういう議論までは、まだはるかに遠い。
光の当て方で歴史は一変する――『知の歴史―哲学と科学で読む138億年―』(渡部佳延〉(1)
著者の渡部佳延さんは、元・講談社の編集者で、「選書メチエ」編集長や「講談社学術文庫」編集長などを務め、退社後は昭和薬科大学・神奈川大学で非常勤講師を務められた。
講談社では鷲尾賢也さんの右腕として知られた人で、私とは20年のつきあいになる。
あるとき鷲尾さんと話していて、渡部さんはサルトルの専門家だという話を聞き、『サルトル 知の帝王の誕生』(筆名・朝西柾、新評論)という本があることを知った。
それで、どういう経緯が忘れたが、トランスビューでも、『サルトル、存在と自由の思想家』と『サルトル、世界をつかむ言葉』の2冊を刊行した(編集者の先輩であり、著者としても、すぐれた本を出していただいたのだから、敬語を使うべきなのだが、今回は遠慮のない書評をするつもりなので、敬語表現はやめたい)。
『サルトル、存在と自由の思想家』は本格的な思想書であるが、そこは名編集者の力量で、難渋、晦渋するところは皆無である。サルトルはもう古い、と思っている人は、ぜひ読んでほしい。干からびたサルトル論は一蹴されている。
一方、『サルトル、世界をつかむ言葉』は、サルトルの言葉を取り上げて解説し、そこにイラストをふんだんにあしらって、実に楽しい本である。
そして今度はなんと、『知の歴史―哲学と科学で読む138億年―』である。サルトルの専門家というのでは、とても済まない。
しかし「哲学と科学で読む138億年」という、「ビッグバンから現代にいたる」専門家は、考えてみるとどこにもいないわけで、これはやっぱり、元編集者が挑む価値のあるものだと言えよう。
とまあ、いろいろ能書きを述べたけれど、この本を読んでいて、実に多くのことが頭に浮かんだので、それをアトランダムに書いてみよう。
まず『知の歴史』の、「知」という言葉遣いが、私は好きではない。日本語で「知」という言葉が使われだしたのは、20世紀も後半になってからだと思うが、実に不安定な言葉だと思う。
しかしこの本に限っては、「知」の歴史という以外に、ふさわしい言葉がない。
渡部さんは、とにかく「知の歴史のすべて」を、一枚の「地図」に収めてみたかったというが、その前人未到の大冒険は、「知」という以外の言葉では、言いようのないものなのである。
もちろんこれは、本全体を手放しで誉めているのではない。
とはいえ、まずは順番に、「プロローグ」から読んでみよう。最初はアリストテレス。
「万学の祖とされるアリストテレスは、『すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する』(井隆訳『形而上学』)と、すでに二三〇〇年の昔、人間の根源的な知への欲求を静かな筆致で記している。」
続いてゲーテが登場し、戯曲『ファウスト』で、こう述べている。
「知への想いに憑かれた人間像を描き出した。哲学、法学、医学、神学……中世世界のあらゆる学を動員し、〔中略〕ファウスト博士の求めたものは、『世界をその最も奥深いところで統べているもの』の解明だった。」
最後は、20世紀のフランス象徴主義詩人、マラルメ。彼は、「〈世界の秘密を一冊に閉じ込めた〉オルフェウス的真理を湛えた〈完璧な本〉を書くことを生涯の目標とした――。」
アリストテレス、ゲーテ、マラルメ、彼らがこぞって知の極北を目指す、と言っているのだから、その方向に間違いはあるまい。
そう思っていたが、その方向で21世紀まで来てみると、その「知」はどうも怪しい。
ちなみに「哲学の知」は、どういうものか。
「哲学のフィールドは今、焼け野原にも似た状況にある。十九世紀以降の知の衰弱を乗り越えるべく、例えば現象学は知の基礎工事をやり直そうとし、ついに果たし得なかった。その後、二十世紀をにぎわしたものだけでも、実存主義、構造主義、ポスト構造主義など、次々と知のモードが現れては消え、世紀を越したところでどのような思想も残らなかった。」
そういうことである。
今、世界では、「洪水・難民・山火事・戦争(内戦)」のどれかが、またはどれかとどれかが手をたずさえ、スクラムを組んで、私たちに襲いかかっており、これは従来の「知」で何とかなるものではない、と私は思う。
『知の歴史』とは究極、そこに至る歴史なのだ。
講談社では鷲尾賢也さんの右腕として知られた人で、私とは20年のつきあいになる。
あるとき鷲尾さんと話していて、渡部さんはサルトルの専門家だという話を聞き、『サルトル 知の帝王の誕生』(筆名・朝西柾、新評論)という本があることを知った。
それで、どういう経緯が忘れたが、トランスビューでも、『サルトル、存在と自由の思想家』と『サルトル、世界をつかむ言葉』の2冊を刊行した(編集者の先輩であり、著者としても、すぐれた本を出していただいたのだから、敬語を使うべきなのだが、今回は遠慮のない書評をするつもりなので、敬語表現はやめたい)。
『サルトル、存在と自由の思想家』は本格的な思想書であるが、そこは名編集者の力量で、難渋、晦渋するところは皆無である。サルトルはもう古い、と思っている人は、ぜひ読んでほしい。干からびたサルトル論は一蹴されている。
一方、『サルトル、世界をつかむ言葉』は、サルトルの言葉を取り上げて解説し、そこにイラストをふんだんにあしらって、実に楽しい本である。
そして今度はなんと、『知の歴史―哲学と科学で読む138億年―』である。サルトルの専門家というのでは、とても済まない。
しかし「哲学と科学で読む138億年」という、「ビッグバンから現代にいたる」専門家は、考えてみるとどこにもいないわけで、これはやっぱり、元編集者が挑む価値のあるものだと言えよう。
とまあ、いろいろ能書きを述べたけれど、この本を読んでいて、実に多くのことが頭に浮かんだので、それをアトランダムに書いてみよう。
まず『知の歴史』の、「知」という言葉遣いが、私は好きではない。日本語で「知」という言葉が使われだしたのは、20世紀も後半になってからだと思うが、実に不安定な言葉だと思う。
しかしこの本に限っては、「知」の歴史という以外に、ふさわしい言葉がない。
渡部さんは、とにかく「知の歴史のすべて」を、一枚の「地図」に収めてみたかったというが、その前人未到の大冒険は、「知」という以外の言葉では、言いようのないものなのである。
もちろんこれは、本全体を手放しで誉めているのではない。
とはいえ、まずは順番に、「プロローグ」から読んでみよう。最初はアリストテレス。
「万学の祖とされるアリストテレスは、『すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する』(井隆訳『形而上学』)と、すでに二三〇〇年の昔、人間の根源的な知への欲求を静かな筆致で記している。」
続いてゲーテが登場し、戯曲『ファウスト』で、こう述べている。
「知への想いに憑かれた人間像を描き出した。哲学、法学、医学、神学……中世世界のあらゆる学を動員し、〔中略〕ファウスト博士の求めたものは、『世界をその最も奥深いところで統べているもの』の解明だった。」
最後は、20世紀のフランス象徴主義詩人、マラルメ。彼は、「〈世界の秘密を一冊に閉じ込めた〉オルフェウス的真理を湛えた〈完璧な本〉を書くことを生涯の目標とした――。」
アリストテレス、ゲーテ、マラルメ、彼らがこぞって知の極北を目指す、と言っているのだから、その方向に間違いはあるまい。
そう思っていたが、その方向で21世紀まで来てみると、その「知」はどうも怪しい。
ちなみに「哲学の知」は、どういうものか。
「哲学のフィールドは今、焼け野原にも似た状況にある。十九世紀以降の知の衰弱を乗り越えるべく、例えば現象学は知の基礎工事をやり直そうとし、ついに果たし得なかった。その後、二十世紀をにぎわしたものだけでも、実存主義、構造主義、ポスト構造主義など、次々と知のモードが現れては消え、世紀を越したところでどのような思想も残らなかった。」
そういうことである。
今、世界では、「洪水・難民・山火事・戦争(内戦)」のどれかが、またはどれかとどれかが手をたずさえ、スクラムを組んで、私たちに襲いかかっており、これは従来の「知」で何とかなるものではない、と私は思う。
『知の歴史』とは究極、そこに至る歴史なのだ。
動物と交歓できる人――『ソロモンの指輪―動物行動学入門―』(コンラート・ローレンツ、日高敏隆・訳)(4)
また「なにを飼ったらいいか?」という章もある。ここでも、コンラート・ローレンツならではの、独自の見解が述べられる。
「私はきみに忠告しておきたい。最初に飼う動物は、檻の中で健康を保たせるのにあまり世話のかからない、飼いやすいものにかぎれということを。
『飼いやすい』という性質は、『飼える』とか、『抵抗力がある』とかいう概念とはまったくきりはなして考えるべきものである。」
つまり、ただ「飼っている」というだけでは、駄目なのである。その内実が問題なのだ。
「われわれが科学的な意味で生物を『飼う』といったならば、それは、狭いあるいは広い檻の中で、その動物の全生活環をわれわれの目の前で展開させる試みをさすのである。けれどもじつに困ったことに、単に抵抗力が強くて死ににくい動物、もっとはっきりいうならば、死ぬまでに長い時間かかるにすぎない動物を『飼える』というのがふつうである。」
これはあまりに強烈で、ちょっと言葉が出てこないだろう。子どもの頃、メダカを飼ったことがあるくらいの私は、将来にわたって、生き物を飼うことはやめにしよう、そう思わざるを得ない。
著者はここで、例としてギリシャリクガメを挙げている。ギリシャリクガメは、無知な飼い主が、不十分にしつらえた条件の下で、5年か、あるいはもっと長く生きる。「そしてもはや回復のしようもないほどにまいって死ぬ。」
著者に言わせればこのカメは、飼われだしたその日から、死に始めるのだ。
「リクガメが成長し、肥え、愛し、繁殖できるように飼うためには、たいていの都会地ではほとんど実現できないような生活条件をととのえてやらなければならない。オーストリアの気候のもとでこの動物の養殖に本当に成功した人は、私の知るかぎりではまだ一人もいない。」
私でなくとも、動物を飼うのはやめよう、とならないだろうか。
とにかく動物を飼うにも覚悟がいると、コンラート・ローレンツは言っているのだ。
他の章もこれに劣らず、ユニークなことが書いてある。そしてどの章も、動物とつきあうある覚悟がいると書いているのだ。
この本は故・日高敏隆さんが訳している。日高さんは高名な生物学者だった。京都で、二度ほどパーティーで会い、新宿の酒場「アンダンテ」でも、お見かけした。洒脱で座の中心にいる人だった。
その日高さんが「文庫化にあたってのあとがきと解説」で、以下のようなことを書いている。
「一九八九年二月二十八日、ローレンツが死んだとき、彼が打ち立てた動物行動学は、すでに完全に変貌していた。動物たちの行動は、ローレンツが考えていたように『種の維持』のためのものではなく、個体のためのものであるとみなされるようになった。学問とはそういうものである。」
さらっと書いてあるけれど、最後に強烈な一撃である。ここはもう少し知りたかった。
しかしもちろん、終わりの一段は、きちんと締めてある。
「この本は動物たちの行動を知る上で、絶対に欠かせないものである。そこには感激があり、感動があり、人間の心の動きがあり、そして現実の動物たちを見る眼がある。現実の動物たちは魔法であると、ローレンツはいつも思っていた。彼がなぜそう思ったか、それはこの本を読めばわかる。」
コンラート・ローレンツは日高先生と日本で、NHKで対談もしている。それもとてもよかった、とローレンツは語っていたそうだ。
(『ソロモンの指輪―動物行動学入門―』コンラート・ローレンツ、日高敏隆・訳
ハヤカワ・ノンフィクション文庫、1998年3月31日初刷、207年5月25日第22刷)
「私はきみに忠告しておきたい。最初に飼う動物は、檻の中で健康を保たせるのにあまり世話のかからない、飼いやすいものにかぎれということを。
『飼いやすい』という性質は、『飼える』とか、『抵抗力がある』とかいう概念とはまったくきりはなして考えるべきものである。」
つまり、ただ「飼っている」というだけでは、駄目なのである。その内実が問題なのだ。
「われわれが科学的な意味で生物を『飼う』といったならば、それは、狭いあるいは広い檻の中で、その動物の全生活環をわれわれの目の前で展開させる試みをさすのである。けれどもじつに困ったことに、単に抵抗力が強くて死ににくい動物、もっとはっきりいうならば、死ぬまでに長い時間かかるにすぎない動物を『飼える』というのがふつうである。」
これはあまりに強烈で、ちょっと言葉が出てこないだろう。子どもの頃、メダカを飼ったことがあるくらいの私は、将来にわたって、生き物を飼うことはやめにしよう、そう思わざるを得ない。
著者はここで、例としてギリシャリクガメを挙げている。ギリシャリクガメは、無知な飼い主が、不十分にしつらえた条件の下で、5年か、あるいはもっと長く生きる。「そしてもはや回復のしようもないほどにまいって死ぬ。」
著者に言わせればこのカメは、飼われだしたその日から、死に始めるのだ。
「リクガメが成長し、肥え、愛し、繁殖できるように飼うためには、たいていの都会地ではほとんど実現できないような生活条件をととのえてやらなければならない。オーストリアの気候のもとでこの動物の養殖に本当に成功した人は、私の知るかぎりではまだ一人もいない。」
私でなくとも、動物を飼うのはやめよう、とならないだろうか。
とにかく動物を飼うにも覚悟がいると、コンラート・ローレンツは言っているのだ。
他の章もこれに劣らず、ユニークなことが書いてある。そしてどの章も、動物とつきあうある覚悟がいると書いているのだ。
この本は故・日高敏隆さんが訳している。日高さんは高名な生物学者だった。京都で、二度ほどパーティーで会い、新宿の酒場「アンダンテ」でも、お見かけした。洒脱で座の中心にいる人だった。
その日高さんが「文庫化にあたってのあとがきと解説」で、以下のようなことを書いている。
「一九八九年二月二十八日、ローレンツが死んだとき、彼が打ち立てた動物行動学は、すでに完全に変貌していた。動物たちの行動は、ローレンツが考えていたように『種の維持』のためのものではなく、個体のためのものであるとみなされるようになった。学問とはそういうものである。」
さらっと書いてあるけれど、最後に強烈な一撃である。ここはもう少し知りたかった。
しかしもちろん、終わりの一段は、きちんと締めてある。
「この本は動物たちの行動を知る上で、絶対に欠かせないものである。そこには感激があり、感動があり、人間の心の動きがあり、そして現実の動物たちを見る眼がある。現実の動物たちは魔法であると、ローレンツはいつも思っていた。彼がなぜそう思ったか、それはこの本を読めばわかる。」
コンラート・ローレンツは日高先生と日本で、NHKで対談もしている。それもとてもよかった、とローレンツは語っていたそうだ。
(『ソロモンの指輪―動物行動学入門―』コンラート・ローレンツ、日高敏隆・訳
ハヤカワ・ノンフィクション文庫、1998年3月31日初刷、207年5月25日第22刷)
動物と交歓できる人――『ソロモンの指輪―動物行動学入門―』(コンラート・ローレンツ、日高敏隆・訳)(3)
中に「動物たちをあわれむ」という章がある。この章があることが、コンラート・ローレンツの特色である。ここでは著者は、徹底して動物の味方に立っている。
例えばハクチョウの場合。
「よく知っている人びとにはとくに同情をよびおこすが、ふつうの人たちはめったに気がつかないのは、ある種のハクチョウが渡りの季節にみせる光景である。ほかのたいていの水鳥とおなじように、動物園のハクチョウは手翼を切断して、一生涯飛べないようにされている。」
もちろんハクチョウは、飛べなくなっていることを、理解していない。だから何度でも、飛ぼうとする。しかし手翼のない鳥は、もう二度と飛べない。
ハクチョウは、切断手術による精神的な苦しみを、感じていないかもしれない。それは分からない。
ただ、手翼のないハクチョウが、翼を広げたときのあわれな光景は、著者の気持ちを「まるでそこねてしまう」。
翼を切られたハクチョウも、たぶん精神的な悩みなど感じないし、十分注意してやれば、子どもを孵し育てるのだから、万事うまくいっているではないか。そういうふうに思えるだろう。
ところが、渡りの季節になると、危機がくる。
「ハクチョウは何度でも池の風下の側へ泳いでゆき、池の全面を滑走して風にむかって飛び立とうとする。そのたびごとに、飛び立ちの合図であるよくひびく鳴き声がひびきわたる。だが何度いきおいこんで滑走してみても、けっきょく一方の翼ともう一方の切られた翼を痛ましくはばたくだけに終わってしまうのだ。なんとあわれな光景だろう。」
動物園で、おなじ動物を見ても、そんなふうに見る人がいるのか。
ハクチョウだけではない。
「せまくるしい籠に入れられた、大きなインコ類に人びとが同情しているのを、私は一度もみたことがない。〔中略〕これら大型インコ類は、ただ利口なだけではなく、精神的にも肉体的にも異常なほど活発なのである。おそらく彼らは大型のカラス類とともに、囚人の感じる倦怠の苦しみを知っている唯一の鳥だろう。」
うーん、そうなのか。全然知らなかった。というか、そんなことを書いてる人は、たぶんいないよ。
さらに、最大の苦しみを味わっているのは、サルたちである。
「籠の中の囚われの生活で、もっともみじめなのはサルたち、とくに大型類人猿たちである。彼らは囚われの身の精神的な苦しみから、肉体的にも明らかに障害をうけうる唯一の動物である。」
ここは、具体的な例やデータを挙げていないので、著者を信用するほかない。サルの子どもが、個人の家庭で飼われているときには、家族の一員として立派に育っていくが、大きくなり、危険になって、近くの動物園の檻に預けられてしまうと、たちまち痩せ衰えはじめるものである。その原因は、先に挙げたこと以外に考えられない。
そして著者は、最終的に宣言を下す。
「類人猿を一匹だけ小さな檻に監禁して飼うことは、法律で禁止すべき残虐な行為だ。」
これはおおかた80年前の書物だ。しかし内容的には、まだ世間の方が、追い付いていないと思う。
コンラート・ローレンツのように、真に動物を理解することができたならば、人間の文明も自然との関わりにおいて、相当様変わりするのではないか。そしてそれは、人間の文明自体を変えていくのではないか。
しかし一方、先の動物園が批判されるとすれば、動物園という事業形態は、成り立たなくなるのではないか。アフリカの自然公園以外の動物園は、すべて禁止するということにならないだろうか。
コンラート・ローレンツは、問題を未来に投げかけている。
例えばハクチョウの場合。
「よく知っている人びとにはとくに同情をよびおこすが、ふつうの人たちはめったに気がつかないのは、ある種のハクチョウが渡りの季節にみせる光景である。ほかのたいていの水鳥とおなじように、動物園のハクチョウは手翼を切断して、一生涯飛べないようにされている。」
もちろんハクチョウは、飛べなくなっていることを、理解していない。だから何度でも、飛ぼうとする。しかし手翼のない鳥は、もう二度と飛べない。
ハクチョウは、切断手術による精神的な苦しみを、感じていないかもしれない。それは分からない。
ただ、手翼のないハクチョウが、翼を広げたときのあわれな光景は、著者の気持ちを「まるでそこねてしまう」。
翼を切られたハクチョウも、たぶん精神的な悩みなど感じないし、十分注意してやれば、子どもを孵し育てるのだから、万事うまくいっているではないか。そういうふうに思えるだろう。
ところが、渡りの季節になると、危機がくる。
「ハクチョウは何度でも池の風下の側へ泳いでゆき、池の全面を滑走して風にむかって飛び立とうとする。そのたびごとに、飛び立ちの合図であるよくひびく鳴き声がひびきわたる。だが何度いきおいこんで滑走してみても、けっきょく一方の翼ともう一方の切られた翼を痛ましくはばたくだけに終わってしまうのだ。なんとあわれな光景だろう。」
動物園で、おなじ動物を見ても、そんなふうに見る人がいるのか。
ハクチョウだけではない。
「せまくるしい籠に入れられた、大きなインコ類に人びとが同情しているのを、私は一度もみたことがない。〔中略〕これら大型インコ類は、ただ利口なだけではなく、精神的にも肉体的にも異常なほど活発なのである。おそらく彼らは大型のカラス類とともに、囚人の感じる倦怠の苦しみを知っている唯一の鳥だろう。」
うーん、そうなのか。全然知らなかった。というか、そんなことを書いてる人は、たぶんいないよ。
さらに、最大の苦しみを味わっているのは、サルたちである。
「籠の中の囚われの生活で、もっともみじめなのはサルたち、とくに大型類人猿たちである。彼らは囚われの身の精神的な苦しみから、肉体的にも明らかに障害をうけうる唯一の動物である。」
ここは、具体的な例やデータを挙げていないので、著者を信用するほかない。サルの子どもが、個人の家庭で飼われているときには、家族の一員として立派に育っていくが、大きくなり、危険になって、近くの動物園の檻に預けられてしまうと、たちまち痩せ衰えはじめるものである。その原因は、先に挙げたこと以外に考えられない。
そして著者は、最終的に宣言を下す。
「類人猿を一匹だけ小さな檻に監禁して飼うことは、法律で禁止すべき残虐な行為だ。」
これはおおかた80年前の書物だ。しかし内容的には、まだ世間の方が、追い付いていないと思う。
コンラート・ローレンツのように、真に動物を理解することができたならば、人間の文明も自然との関わりにおいて、相当様変わりするのではないか。そしてそれは、人間の文明自体を変えていくのではないか。
しかし一方、先の動物園が批判されるとすれば、動物園という事業形態は、成り立たなくなるのではないか。アフリカの自然公園以外の動物園は、すべて禁止するということにならないだろうか。
コンラート・ローレンツは、問題を未来に投げかけている。
動物と交歓できる人――『ソロモンの指輪―動物行動学入門―』(コンラート・ローレンツ、日高敏隆・訳)(2)
『ソロモンの指輪』というタイトルは、旧約聖書の故事にちなむ。ソロモン王は魔法の指輪を使って、獣や鳥や魚と話をしたという。
コンラート・ローレンツは、古代の王様のように、あらゆる動物と話すわけにはいかない。しかしよく知っている動物だったら、魔法の指輪なんかなくても話ができる、という意味でタイトルにつけた。
コンラート・ローレンツで有名なのは、「刷り込み」という現象だろう。ガンのヒナは卵から孵ると、最初に見たものを親だと思う。
「私はちょっと体を動かした。とたんに泣き声はやみ、ガンの子は首をのばしたまま、必死になってヴィヴィヴィヴィヴィ……とあいさつしながら、私めがけて走ってきた。それはじつに感動的な一瞬であった。」
確かに感動的ではあろうが、考えてみればこんなことは、それこそ太古の昔から、あったに違いない。それを感動的だと言って、特別に大書することができるかどうか、問題はそこだね。ニュートンのリンゴや、コロンブスの卵と、同じことである。
「あわれなヒナは声もかれんばかりに泣きながら、けつまずいたりころんだりして私のあとを追って走ってくる。だがそのすばやさはおどろくほどであり、その決意たるやみまごうべくもない。彼女は〔中略〕この私に、自分の母親であってくれと懇願しているのだ。それは石さえ動かしたであろうほど感動的な光景であった。」
これを、卵から孵って最初に見たものを親だとする、「刷り込み」現象という。
「ため息をつきながら私は、この十字架を肩ににない、家へ連れて帰った。ヒナはその当時たった百グラムの重さしかなかった。けれどもそれがどれほど重い十字架であるか、どれほど高価な努力とどれほど多くの時間とを費やさねば負えぬ十字架であるか、私にはもうはっきりとわかっていた。」
しかしこの「刷り込み」は、鳥の種類によって全く違う。たとえばガンのヒナは、卵から孵って、最初に目にした生物である人間を、疑うことなく母親として受け入れる。
しかしマガモのヒナは人口孵卵器で孵しても、ガンのヒナと違い、人に馴れず、きわめて臆病である。
これはどういうことか。なぜ種類が違えば、こんなにも違ってしまうのか。
そこでコンラート・ローレンツは、あることを思いつく。
「マガモはアヒルの先祖である。家畜化されてくる間に、体の色や形はずいぶん変わってしまったが、鳴き声はほとんど変化をうけなかった。つまり、マガモのヒナたちをついてこさせるには、私が母親ガモそっくりの鳴き声を出せはよいのかもしれない。」
さすがはノーベル賞、と軽口をたたきたくなる。そんなことを思いつくところがすごい。そして思いついたら即実験してみる。
「一腹のマガモの卵を孵卵器に入れた。ヒナたちがかえって体がかわくとすぐ、私はできるだけ上手なマガモ語でヒナたちをよんでみた。数時間、いやまる半日、私はそれをつづけた。〔中略〕子ガモたちは信頼しきったように私を見上げ、私をおそれる気色などさらになかった。」
いやまったく、生物学者もいろんなことを、試してみるものだ。そしていよいよクライマックスがくる。
「私がたえずゲッゲッゲッ……といいながらゆっくり歩きだすと、彼らもすなおに歩きだし、ちょうど母親についてゆくときとおなじようにみんなくっつきあって、私のあとからチョコチョコついてくるのだった。」
マガモは、視覚情報ではなくて、聴覚情報に頼っている。そういう種類の鳥類もあるのだ。仮説は見事に立証されたのである。
それにしても、ゲッゲッゲッと、鳴き声をマネするコンラート・ローレンツは、想像するとただただ可笑しい。
コンラート・ローレンツは、古代の王様のように、あらゆる動物と話すわけにはいかない。しかしよく知っている動物だったら、魔法の指輪なんかなくても話ができる、という意味でタイトルにつけた。
コンラート・ローレンツで有名なのは、「刷り込み」という現象だろう。ガンのヒナは卵から孵ると、最初に見たものを親だと思う。
「私はちょっと体を動かした。とたんに泣き声はやみ、ガンの子は首をのばしたまま、必死になってヴィヴィヴィヴィヴィ……とあいさつしながら、私めがけて走ってきた。それはじつに感動的な一瞬であった。」
確かに感動的ではあろうが、考えてみればこんなことは、それこそ太古の昔から、あったに違いない。それを感動的だと言って、特別に大書することができるかどうか、問題はそこだね。ニュートンのリンゴや、コロンブスの卵と、同じことである。
「あわれなヒナは声もかれんばかりに泣きながら、けつまずいたりころんだりして私のあとを追って走ってくる。だがそのすばやさはおどろくほどであり、その決意たるやみまごうべくもない。彼女は〔中略〕この私に、自分の母親であってくれと懇願しているのだ。それは石さえ動かしたであろうほど感動的な光景であった。」
これを、卵から孵って最初に見たものを親だとする、「刷り込み」現象という。
「ため息をつきながら私は、この十字架を肩ににない、家へ連れて帰った。ヒナはその当時たった百グラムの重さしかなかった。けれどもそれがどれほど重い十字架であるか、どれほど高価な努力とどれほど多くの時間とを費やさねば負えぬ十字架であるか、私にはもうはっきりとわかっていた。」
しかしこの「刷り込み」は、鳥の種類によって全く違う。たとえばガンのヒナは、卵から孵って、最初に目にした生物である人間を、疑うことなく母親として受け入れる。
しかしマガモのヒナは人口孵卵器で孵しても、ガンのヒナと違い、人に馴れず、きわめて臆病である。
これはどういうことか。なぜ種類が違えば、こんなにも違ってしまうのか。
そこでコンラート・ローレンツは、あることを思いつく。
「マガモはアヒルの先祖である。家畜化されてくる間に、体の色や形はずいぶん変わってしまったが、鳴き声はほとんど変化をうけなかった。つまり、マガモのヒナたちをついてこさせるには、私が母親ガモそっくりの鳴き声を出せはよいのかもしれない。」
さすがはノーベル賞、と軽口をたたきたくなる。そんなことを思いつくところがすごい。そして思いついたら即実験してみる。
「一腹のマガモの卵を孵卵器に入れた。ヒナたちがかえって体がかわくとすぐ、私はできるだけ上手なマガモ語でヒナたちをよんでみた。数時間、いやまる半日、私はそれをつづけた。〔中略〕子ガモたちは信頼しきったように私を見上げ、私をおそれる気色などさらになかった。」
いやまったく、生物学者もいろんなことを、試してみるものだ。そしていよいよクライマックスがくる。
「私がたえずゲッゲッゲッ……といいながらゆっくり歩きだすと、彼らもすなおに歩きだし、ちょうど母親についてゆくときとおなじようにみんなくっつきあって、私のあとからチョコチョコついてくるのだった。」
マガモは、視覚情報ではなくて、聴覚情報に頼っている。そういう種類の鳥類もあるのだ。仮説は見事に立証されたのである。
それにしても、ゲッゲッゲッと、鳴き声をマネするコンラート・ローレンツは、想像するとただただ可笑しい。
動物と交歓できる人――『ソロモンの指輪―動物行動学入門―』(コンラート・ローレンツ、日高敏隆・訳)(1)
この本も養老先生の書評集、『本が虫』に挙げられている。
「ヒトの自然史を語るなら、ヒトと、寄生虫ではない動物、たとえばイヌやネコとの関係を抜くことはできない。それにはコンラート・ローレンツの著書が不可欠である。『ソロモンの指輪』を読んだことがない人がいたら、こんな紹介を読む必要などない。すぐにこの本を探しに行けばいい。」
しかしこのとき、私はこの本を作っており、本を閉じるわけにはいかなかった。そして本ができると、そこに書かれていることは、大半は忘れてしまった。
今度、朗読をしていて、そうだ、朗読をしている場合じゃない、と初めて思ったのだ。一念発起するまでに、30年かかっている。
コンラート・ローレンツは、主として鳥類や魚類の行動を研究し、1973年、ノーベル生理学医学賞を受賞した。この本は、戦後すぐに書かれたものだ。
著者の生物の飼い方は、徹底している。
「知能の発達した高等動物の生活を正しく知ろうと思ったら、檻や籠ではだめである。彼らを自由にふるまわせておくことが、なんとしても必要だ。檻の中のサルや大型インコたちがどれほどしょんぼりしていて、心理的にもそこなわれていることか。そしてまったく自由な世界では、そのおなじ動物がまるで信じられぬほど活発でたのしそうで、興味深い生きものになるのである。」
さらっと書かれているけれど、実践するのは並大抵のことじゃない。というか、普通の家では許すはずもない。
ローレンツは、子どものときは辛抱強い両親に、長じてからは、「どれほどの我慢をして」くれたか分からない妻に、感謝している。
「ネズミを家の中で放し飼いにして、そいつが家じゅう勝手に走りまわり、敷物からきれいな丸い切れはしをくわえだして巣をつくってもほっといてくれ、といえる夫は、私のほかにはいそうもない。」
ふつうは夫婦喧嘩、そして離婚に至るケースですね。
「これがもしよその奥さんだったらどうだろう。庭に干した洗濯物のボタンをかたっぱしから食いちぎってまわるオウムなど、とうてい我慢してくれまい。ハイイロガンが毎晩寝室にはいりこんで夜をすごし、朝になると窓から外へ飛びだしてゆく、なんていうのを許しておけるはずもない(ハイイロガンは家の中で飼いならすことはできないのだ)。」
これは奥さんでなくとも、どう応じていいのか、態度に窮するところがある。
ガンって、渡り鳥だろう。「ハイイロガンは家の中で飼いならすことはできない」から、「毎晩寝室にはいりこんで」、朝になると窓から飛びだしてゆく、ってヘンではないか。
それとも、ハイイロガンにはそういう性質があり、それは誰でも知っていることで、知らないのは私だけなのか。
「ヒトの自然史を語るなら、ヒトと、寄生虫ではない動物、たとえばイヌやネコとの関係を抜くことはできない。それにはコンラート・ローレンツの著書が不可欠である。『ソロモンの指輪』を読んだことがない人がいたら、こんな紹介を読む必要などない。すぐにこの本を探しに行けばいい。」
しかしこのとき、私はこの本を作っており、本を閉じるわけにはいかなかった。そして本ができると、そこに書かれていることは、大半は忘れてしまった。
今度、朗読をしていて、そうだ、朗読をしている場合じゃない、と初めて思ったのだ。一念発起するまでに、30年かかっている。
コンラート・ローレンツは、主として鳥類や魚類の行動を研究し、1973年、ノーベル生理学医学賞を受賞した。この本は、戦後すぐに書かれたものだ。
著者の生物の飼い方は、徹底している。
「知能の発達した高等動物の生活を正しく知ろうと思ったら、檻や籠ではだめである。彼らを自由にふるまわせておくことが、なんとしても必要だ。檻の中のサルや大型インコたちがどれほどしょんぼりしていて、心理的にもそこなわれていることか。そしてまったく自由な世界では、そのおなじ動物がまるで信じられぬほど活発でたのしそうで、興味深い生きものになるのである。」
さらっと書かれているけれど、実践するのは並大抵のことじゃない。というか、普通の家では許すはずもない。
ローレンツは、子どものときは辛抱強い両親に、長じてからは、「どれほどの我慢をして」くれたか分からない妻に、感謝している。
「ネズミを家の中で放し飼いにして、そいつが家じゅう勝手に走りまわり、敷物からきれいな丸い切れはしをくわえだして巣をつくってもほっといてくれ、といえる夫は、私のほかにはいそうもない。」
ふつうは夫婦喧嘩、そして離婚に至るケースですね。
「これがもしよその奥さんだったらどうだろう。庭に干した洗濯物のボタンをかたっぱしから食いちぎってまわるオウムなど、とうてい我慢してくれまい。ハイイロガンが毎晩寝室にはいりこんで夜をすごし、朝になると窓から外へ飛びだしてゆく、なんていうのを許しておけるはずもない(ハイイロガンは家の中で飼いならすことはできないのだ)。」
これは奥さんでなくとも、どう応じていいのか、態度に窮するところがある。
ガンって、渡り鳥だろう。「ハイイロガンは家の中で飼いならすことはできない」から、「毎晩寝室にはいりこんで」、朝になると窓から飛びだしてゆく、ってヘンではないか。
それとも、ハイイロガンにはそういう性質があり、それは誰でも知っていることで、知らないのは私だけなのか。