フェミニズム小説なんかじゃない――『別の人』(1)

韓国の現代小説。カン・ファギル(姜禾吉)は1986年生まれの女性作家。

「短篇小説『部屋』でデビュー。以後、一貫して女性を襲う理不尽と絶望を書き続け、韓国のフェミニズム作家の先頭を走る存在」、と著者略歴にあるから、文字通りそれを信じて読んでいった。
 
少し前に、チョ・ナムジュの『82年生まれ、キム・ジヨン』が、単純ではあるが面白かったので、これもそういう本だと思ったのだ。
 
キム・ジナという、ソウルで一人暮らしをする、32歳の女性が主人公。この女性が職場恋愛をしていて、恋人のイ・ジンソプによるデートDVを訴え、裁判を起こす。数えてみれば5回目の暴力で、警察を呼んだのだ。

「彼は私を殴るたび、こう言っていた。
『これですむと思うなよ』
 裁判の結果、彼は暴行罪で罰金三百万ウォンの支払いを言い渡された。
 胸の奥が、冷たく凍りつく。」
 
300万ウォンは、日本円で約30万円。罰といってはこれだけで、暴力に対する収監もない。男はこれまで通り会社に来て、キム・ジナはいたたまれず退職する。
 
韓国は本当にひどいところだ。これはフェミニズム作家の、男社会に対する強烈な異議申し立てだと思い、読み進めていくと、どうも調子が変なのだ。DV男とは、この後、縁が切れて、特に進展はない。
 
キム・ジナはDV裁判で有名になり、その結果いろんな人が、パソコンに書き込みをする。その中に、「キム・ジナは嘘つきだ。真空掃除機みたいなクソ女。@qw1234」とあるのを発見する。

これを描きこんだのは、幼馴染で、アンジン大学の同級生だったヤン・スジンに違いない。スジンはアンジン市で結婚して、喫茶店をやっているが、キム・ジナとは緊張関係が続いていた。
 
キム・ジナは怒りに任せて、とるものもとりあえずアンジン市に帰る。地方都市のアンジン市、およびアンジン大学は架空である。
 
そのスジンは、ジナを含めて人には言っていないが、酒に酔って同意なき性交をしたことがある。スジンはこれを暴行、つまり強姦だと考えている。彼女はその結果、妊娠するが、子どもを堕す。
 
ジナは、女子高時代からの親友で大学も同期だった、アンジン市のダナのところに、身を寄せる。
 
ダナは17歳のとき妊娠し、相手の男は初めは、2人で育てようと言うが、すぐに雲隠れする。ダナは子どもを堕し、その後、全国を旅して、立ち直る。
 
ジナの大学のクラスメイトのハ・ユリは、すぐに男と寝てしまう。どうして自分はこうなんだろうと思い、ジナに精神的な助けを求めたこともあるが、すげなくふられ、その直後に交通事故で死んでしまう。
 
みんな大学のときは同じクラスで、「アンジン大学ユーラシア文化コンテンツ学科」という、いかにも取ってつけたような、安っぽい学科に属していた。
 
その科にキム・ドンヒという男がいて、彼は酔ったヤン・スジンと寝たが、スジンがこれは強姦だというと、彼は交通事故みたいなものだと言い、以後は一緒のクラスにいても、一切かかわりがなくなる。

キム・ドンヒは大学に残って勉強し、上の者に取り入って、大学で出世の階段を上ろうとする。
 
その上の者とは、イ・ガンヒョンという女性の教授で、この人はフェミニズムを体現していると、周りからは見られている。
 
しかし彼女にしてみれば、フェミニズムなどくそくらえ、自分が興味があるのは、大学内における出世のみである。
 
ここまで、くどいほど筋を紹介したのは、この中で心が休まる人物は、1人もいないことを言うためである。
 
しかも章が変わるたびに、主たる人物は代わり、常に1人称で叙述がなされる。だから読み進めていくと、同じ事件が、相反する共鳴箱のように、不毛で不条理な響きを帯びる。
 
読み進めるにつれ、一体これはなんなのだ、という思いが強くなってきて、もう一度、初めから読んだ。すると、これは単純なフェミニズムなどでは全然ない、ということが明瞭に分かった。

では何の小説か。