日米の違い――『愛と差別と友情とLGBTQ+―言葉で闘うアメリカの記録と内在する私たちの正体―』(3)

この本を読むと、アメリカの場合の「少数者」の歴史がよくわかる。

「性的少数者のアイデンティティの確立と獲得の歴史は、私が目の当たりにしたアメリカを例にとれば、『白人』『男性』『異性愛者』と、『黒人』『女性』『ゲイ(性的少数者)』という対立軸で考えることができると思います。〔中略〕
 それは『あらかじめそこに存在していた主権者たち』対『前者に対抗するために敢えて自らを再構築し再獲得し確立させた者たち』との対立の構図でした。」
 
なるほど、そういうふうに言えるんだね。もっと具体的な構図を描こう。

「大雑把に言うなら、五〇年代からの黒人解放運動、六〇年代からの女性解放運動、七〇年代からのゲイ解放運動を経て、歴史を語る『主語』の書き換えが行われたのです。『白人』の部分に黒人の公民権運動が事挙げをしました。『男性』の部分に女性解放運動がかぶさってきます。さらに続ければ、その次に白人の男性の『異性愛者』の部分に非異性愛者(LGBTQ+)の人権運動が襲い掛かります。」
 
アメリカの場合、その時々の主役ははっきりしている。
 
と同時に、それは場合によってはカネになることも、示唆したのである。ここが、アメリカにおける「運動」の特異なところだ、と私は思う。

「九〇年代は欧米のLGBTQ+周りでさまざまな地殻変動が起きた時でもありました。〔中略〕街なかだけでなく演劇や映画やテレビなどいたるところで意図的な『ゲイ』たちの露出が広がった時代でした。アメリカのメディアの制作陣、編成陣、企画陣、時代の『旬』として、熟した『機』として、つまりは同時代に、人々の関心を呼び『カネにもなるもの』として、こぞって『ゲイ』を取り上げました。」
 
この本の中ほどに、本文とは別に、グラビア用紙で24ページにわたり、「附録Ⅰ」として、「ストーンウォール50周年記念『ワールド・プライド/NYCプライド・マーチ』2019リポート」が載っている。全ページ、パレードの写真入りである。
 
マンハッタンのグリニッチ・ヴィレッジのゲイバー、「ストーンウォール・イン」で、警察の摘発があったのをきっかけに、1969年6月28日、ゲイの人権運動、「ストーンウォール・インの反乱」が起こった。そして翌年からは、これを記念した政治集会と示威行進が、行われるようになった。
 
グラビア頁は、その50周年の記念式典の様子である。「LGBTQ+」の人権を称揚する、「イヴェント」を開催する国・地域は、世界中で50以上に広がっているという。都市単位では数百を数え、日本では東京・札幌・名古屋・大阪・福岡などで行われているという。
 
私は全然知らなかった。ニュースなどで放送されているんだろうか。もし放送されているとすれば、私の感度がバカになっているのだ。放送されていないとすれば、これはこれで大問題である。
 
近年、「民主主義先進国」ではこの行進は様変わりし、獲得した同性婚や雇用などでの平等や人権を称揚する、「祭典」の要素が強まっているという。
 
日本の場合はどうなんだろう。とにかくそういうものを、見てみなければ。
 
北丸雄二は、そこにこういうことを付け加えている。

「忘れてほしくないのは、『敢えてカミングアウトをしなくてもいい社会』は、敢えてカミングアウトをしてきた人たちによって作られてきたという歴史です。時代は勝手に進んできたのではありません。それを進めてきた人たちがいました。世界はそんな彼/彼女らによって、遅々としてではありますが、しかし確実に変わってきました。」

アメリカの場合は、そう言えるだろう。日本の場合は、一体どうなっているのだろう。