ミステリーというよりメルヘン――『ザリガニの鳴くところ』(2)

生物学者ディーリア・オーエンズは、「湿地の少女」カイアである。そして2人は、共に孤独だった。

「カイア自身、長い孤独のせいで自分が人とは違う振る舞いをするようにするようになったことに気づいていた。しかし、好んで孤独になったわけではない。カイアは大半のことを自然から学んだ。誰もそばにいないとき、自然がカイアを育て、鍛え、守ってくれたのだ。たとえ自分の異質な振る舞いのせいでいまがあるのだとしても、それは、生き物としての本能に従った結果でもあった。」
 
ここは、カイアをディーリア・オーエンズに代えても、全く問題はない。
 
あるいは次のような箇所。ここでは著者は、「湿地の少女」の仮面を脱ぎ捨てている。

「カイアは時間も星と同様、固定されたものではないことを知っていた。時間は惑星や恒星の周りで速くなったり曲がったりするし、山頂と谷底でも時間の流れは違ってくる。時間はある部分において空間と同じ性質を持っていて、海のように湾曲したり膨らんだりするのだ。また物体は、それが惑星であれリンゴであれ、軌道を周回していようと落下していようと、その動きは重力に引っ張られるから起きるのではなく、より大きな質量が形成する時空の歪みに吸い込まれるから起きるのだという。」
 
この議論をカイアが展開するのは、さすがに無理があるとは思わないだろうか。
 
この小説は、時間が入れ子になっていて、現在形では、チェイスが火の見櫓から落ち、その捜査が繰り広げられるのが、いくつかの章に分かれていて、やがて大団円の法廷場面まで続く。
 
その合間に、カイアの6歳から成人するまでが、回想形式で描かれている。もし殺人事件が起こらなければ、これは稀有な生物学者の自伝を、寓話として書いたものということになる。
 
ディーリア・オーエンズは、そこも書きたかったであろう。しかしそれ以上に、カイアが完全犯罪で男を殺した、ということを書きたかったのだ。

「テイトの献身的な愛情のおかげで、人間の愛には、湿地の生物が繰り広げる奇怪な交尾競争以上の何かがあると気づかされた。けれどカイアは人生を通し、人間のねじれて曲がったDNAのなかには、生存を求める原始的な遺伝子がいまなお望ましくない形で残されていることも知った。」
 
どんなふうに言ってみても、ディーリア・オーエンズが、カイアに託して殺したいほど、若いときに出会った男を憎んでいたことは、間違いないと思う。
 
『ザリガニの鳴くところ』という小説が、全世界で1500万部も売れているとき、ディーリア・オーエンズは何を思っていただろう。もしその男が生きていたら……、あるいは男が死んだから、書いたのか。
 
そういう妄想を抱くのは、いい加減にしなさい、と著者に怒られそうだが、しかしそれは読者の自由だ。
 
なお『ザリガニの鳴くところ』というタイトルは、作中では「茂みの奥深く、生き物たちが自然のままの姿で生きてる場所」、という意味である。そういう慣用句があるのかどうかは知らない。

(『ザリガニの鳴くところ』ディーリア・オーエンズ、友廣純・訳
 早川書房、2020年3月15日初刷、2022年10月15日第27刷)