ミステリーというよりメルヘン――『ザリガニの鳴くところ』(1)

思わず買ってしまうよなあ。2年半の間に27刷。しかも映画が来て、テレビの予告編が、またゾクゾクするほど面白そうなのだ。とどめはオビ表の、「全世界/1500万部突破の/ベストセラーが/待望の映画化!」。
 
著者のディーリア・オーエンズは動物学者。小説は、69歳で執筆した本書がデビュー作である。

カリフォルニア大学で動物行動学の博士号を取得、カラハリ砂漠でフィールドワークを行ない、それを記したノンフィクション、『カラハリ――アフリカ最後の野生に暮らす』(マーク・オーエンズとの共著)が、世界的ベストセラーになる。他にもその研究業績は、『ネイチャー』誌をはじめ多くの学術誌に掲載されている。

現在はアイダホ州に住み、オオカミやグリズリーの保護、湿地の保全活動を行っている。
 
湿地の保全活動というところから、著者と、主人公の少女カイアが重なる。カイアは、町の人たちが蔑む、湿地に暮らしているのだ。
 
母もきょうだいも、カイアが幼いときに去って行き、最後に残った父も、カイアが6歳のとき去ってしまう。それぞれに事情はあるが、6歳の少女を見捨てる理由にはならない、と私は思う。
 
残されたカイアは、湿地に生えている野菜や果物、水の中の生き物を食べて命を繫ぐ。彼女は学校へも、たったの一日、通ったきりである。
 
ここまでがあまりにメルヘン、というか絵空事すぎる。助けてくれる人が、町にはごくわずかにいるものの、6歳の少女が湿地帯で、一人で生きてゆくのは、無理ではないか。
 
カイアは、読み書きを教えに通ってくれるテイトに、恋心を抱くが、彼は大学へ行くために、彼女のもとを去っていく。
 
次に裕福な青年チェイスが、カイアに近付いてくる。チェイスは彼女を、もてあそぶことにしか関心がない。
 
カイアは、チェイスと深い関係になったのち、それに気づき、チェイスを避けようとする。しかし彼は、執念深くカイアを追いかける。
 
そしてあるとき、チェイスが古い火の見櫓〔やぐら〕から、転落死しているのが見つかる。それは事故か他殺か。他殺だとすれば、犯人はカイアではないのか。
 
後半の法廷場面は、手に汗握る面白さだ。法廷で、カイアは何の弁明もせず、年老いた弁護士が、獅子奮迅の活躍をする。そしてチェイスが火の見櫓から落ちたのは、事故と結論付けられる。
 
カイアはその後、彼女のもとに帰ってきたテイトと結ばれ、湿地帯の生物学者として、栄光に包まれつつ生涯を終える。
 
そこから、どんでん返しが来る。

遺品を整理していたテイトは、そこではじめて、はるか昔、チェイスを火の見櫓から転落死させたのは、カイアであることに気づく。
 
これは余韻の深い終わり方である。
 
とはいえ6歳の子が一人で生きてゆくには、どう考えても無理がある。

もちろんそこは、著者は湿地の生物学者として、無理がないよう、出来うる限りの腕をふるっている。

「たぶん、そこはみすぼらしい不毛の地に見えたのだろう。だが、本当は瘦せた土地などただの一片もなかった。実のところ、陸地にも水中にも、多様な生き物――砂にうごめくカニ、泥のなかを歩きまわるザリガニ、水鳥、魚、エビ、カキ、肥ったシカ、丸々としたガン――が、幾重にも積み重なっていたのだから。自力で食糧をかき集めることをいとわなければ、この地で飢えるものなど一人もいなかっただろう。」
 
そういうふうに力説すればするほど、メルヘンの要素が濃くなる。
 
見捨てられたカイアは、成長して「狼少女」になる代わりに、美しい生物学者になった。そんなことがありうるのか。だからメルヘンだと言うのだ。
 
ここまでくると、著者のディーリア・オーエンズは、たとえ作品はミステリーとメルヘンに分裂しても、これだけは言っておきたい、ということがあったのだ、私にはそうとしか考えられない。