3度目のディドロ――『編集者ディドロ―仲間と歩く『百科全書』の森―』(1)

鷲見洋一『編集者ディドロ―仲間と歩く『百科全書』の森―』の3度目の書評である。これは『神奈川大学評論』(2022年11月30日・101号)に載った。

今回のものが、いちばん書評らしい書評である。というか、『神奈川大学評論』があるので、その前の2つはいくぶんエッセイふうにした。例によってブログ用に細かく段落を分け、1行アキで載せる。

特筆すべきはまず文体。厳めしい「だ、である調」をやめ、肩肘張らない「です、ます調」を用い、注は付けず、参考資料・文献一覧も省略する。その結果、九〇〇頁にならんとする本が、飛ぶように読める。

いやあ、面白くてのめり込んじまった。ディドロと『百科全書』が対象である以上、著者は、思想史という気取った枠で括られる、直線的なアプローチでは、歯が立たないと思ったのだ。

「私はかなり無理をして、自分自身のなかに『複数性』、『多面性』、『超域性』を取り込み、異なった分野同士の照応やズレや違和を確認しつつ、並行して調査や考察を進めるように心がけたつもりです。」
 
そうして出来上がったのは、独創的でポリフオニックな、大部の著作だった。まずは目次を見てみよう。

 第一章 『百科全書』前史/

 第二章 『百科全書』刊行史/

 第三章 編集者ディドロの生涯/

 第四章 商業出版企画としての『百科全書』/

 第五章 『百科全書』編集作業の現場/

 第六章 「結社」の仲間さまざま/

 第七章 協力者の思想と編集長の思想/

 第八章 図版の世界/

 第九章 身体知のなかの図版

『百科全書』は一七五一年に第一巻が、五七年には第七巻が刊行される。

ところが以後は刊行禁止となり、しばらく地下に潜って、一七六五年から六六年にかけて、残りの一〇巻を配布する。

ほかに図版があり、一七六二年から七二年にかけて、一一巻(総図版数二九〇〇枚弱)で完結している。

全二八巻、後の補遺と索引まで入れると三五巻。ちなみに図版の方は、刊行禁止にはなっていない。なぜこういうややこしいことになるのか。

十八世紀のフランスは、現代とは何もかもが違っていて、まず出版の自由がなかった。王権が絶対的であり、加えてカトリックによる弾圧があり、その教権も教皇をはじめ、いくつにも分かれていた。

そもそも「百科事典」の持つ意味が、現代とは異なっている。

「当時は『辞書』という書物の社会的、政治的、宗教的な意味合いがかなり重要で、刊行者や著者の思想を盛る『器』としての役割が大きかった」と著者はいう。

出版の自由がなくて、しかし最先端の知識を駆使して書けば、どうなるか。

そこでは、ディドロたち『百科全書』派のレトリックが生きる。ここではダランベールが書いた、「コレージュ」を引く。

「若者が、人生でもっとも貴重な時期に数えてしかるべき一〇年をコレージュで過ごし、そこで時間を最大限有効に使って卒業した結果がどうなるかというと、死語に関するきわめて不完全な知識であり、忘れるに越したことはないような修辞学の規則と哲学の原理であり、おおくは健康を損ねるのがおちであるような……」。

全文引用は避けるが、これがイエズス会の「コレージュ」である。一八世紀の読者には、この皮肉が痛快だったのか。今なら「百科事典」としては通用しない。(続く)