奇跡の国――『謎の独立国家ソマリランド―そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア―』(5)

しかし無政府状態の首都モガディショでは、日常生活をおくっていけるのだろうか。
 
たとえば電話は、政府の規制が何もなく、各会社が純粋に競争しているため、料金の安さもサービスの質も、アフリカで一、二を争うといわれている。こういうのを、どう考えればいいのだろう、よくわからない。

電気、水道、ガスはどうだろうか。あるいは学校、病院はどうか。すべて国家がなくたって、やっていけるものだろうか。
 
女子支局長ハムディに、その点を訊くと、驚いたことに「氏族が経営している」という。たぶん「公け」というのがないのだろうが、理屈ではそういってみたものの、具体的な事情になるとよく分からない。

それぞれの「氏族」が学校を経営し、別の氏族の子も排除せずに、普通に受け入れている。病院も基本的には、学校と同じように運営される。このへんは良識がある、と高野は言う。

「南部ソマリアは無政府状態だとか、内戦でめちゃくちゃになっているとか、そういうことばかりが報道されるが、反面、人々は政府なしでけっこうちゃんと暮らしを営んでいるのだ。
『官から民へ』という小泉純一郎元首相のスローガンを思い出してしまう。〔中略〕小泉元首相もできるだけ小さい政府を目指していた。
 ある意味ではその究極がモガディショだったとも言える。軍隊を含めて全部『民』に移行したのだから。」
 
さあ、それはどうだろうか。日本の場合の「官から民へ」は、一度は「官」で統括したものが、「民」に移行したものだろう。「官」と「民」は上下関係ではなく、ゆり返しといったところか。「南部ソマリア」は、実質的に「官」を経験していない(に等しい)。
 
またモガディショ市内の各地に設けられた難民キャンプは、実際に訪れてみると、それまで映像で見ていたのと、印象はガラッと変わる。難民キャンプの共通点は、「別に悲惨ではない」ということだ。
 
アフリカの難民といえば、「やせこけて蠅がたかった子供、赤ん坊を抱いた目が虚ろな母親、ぼろぼろの服を着て足を引きずっている老人などが思い浮かぶ。」
 
しかし現実には、ぱっと見て難民であることがわかる人は、めったにいない。

「水浴びやトイレ、洗濯などには苦労しているだろうが、不思議にこざっぱりしている」し、何よりもイメージと違うのは、笑顔の人が多いことだ。
 
ソマリ人は一般に、写真に撮られることを嫌がる。女性は、見知らぬ男に写真を撮られることを、宗教的な理由からだろうが、拒否している。男も原則的に、写真を撮られることが嫌いだ(考えてみれば日本人だって、拒否するか、顔がこわばる)。
 
ところが難民キャンプでは話が違う。写真を撮ろうとすると、みんなニコニコと微笑む。おかげで、アフリカで撮った女性の写真は、九割がた難民である。
 
なぜ難民は、そろいもそろって笑顔を見せるのか。

「それはきっとホッとしているのだと思う。彼らは戦乱や飢饉から必死の思いで逃れてきた。難民キャンプにしても病院にしても、やっとたどりついた『安全地帯』なのだ。そして、私たちのようにカメラを構える外国人は『自分たちを助けてくれる人』と無意識的に認識するのだろう。だから、警戒心もなく、むしろ仲良くしたいという意思表示で微笑むのだろう。」
 
現場で実際に見るのは、こういうことだ。
 
しかし「かわいそうな難民」を、プロパガンダとして強調する国連やNGOは、それでなくては同情も寄付も集まらないと考える。
 
高野は、複雑な難民事情をよりリアルに出すためには、「大やけどで死ぬかもしれない子供を抱いて微笑む母親の写真の方がずっと現地の困難さを」、浮き彫りにすると思うのだが。