奇跡の国――『謎の独立国家ソマリランド―そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア―』(高野秀行)(2)

ソマリランドはイスラム国家で、国旗には「アッラーの他に神はなし」とアラビア語で記されている。酒類の販売は高級ホテルも含めて、全面的に禁止だ。
 
それは厳しい、だからイスラム国家は厳格で嫌いだ、と早合点しないように。酒は禁止だが、その代わり、「カート」という名の麻薬的な植物がある。

麻薬的とはいっても、これは旧ソマリアで禁止された植物ではない。だからあらゆるところで、人々はこれを噛んでいる。見た目はツバキやサザンカに似た常緑樹で、その葉をひたすら噛んでいるのである。

噛むと体の内側から、「とても懐かしい心地よさ」が広がってくる。

「体の芯が熱くなり、意識がすっと上に持ち上がるような感じがする。ソマリ人はこの多幸感を『メルカン』と呼ぶ。昔は合法だったタイのドラッグ『ヤーバー(覚醒剤、アンフェタミン)』に似た、しかも同じくらい強い効き目がある。カートにはアンフェタミンにはない『人恋しさ』という効果があるからだ。」
 
だから高野の取材は、もっぱらカートの助けを借りたものだ。

「なぜかわからないが、近くにいる人に、思いついたことをなんでもかんでも話しかけたくなる。言葉がよく通じないとか、こんなことを急に訊いたら相手が嫌な顔をするんじゃないかという、素面のときの躊躇が春の雪のようにとけてなくなる。」
 
カートはたとえば、長時間のドライブにもいい。集中力が持続するのである。
 
私はここを読んで、疑問に思った。たとえばオランダやイギリスなどでは、カートは合法だが、フランスやドイツでは、非合法である。カートは長くやっていると、後遺症は出てこないのだろうか。著者もそのあたりのことは書いていない。
 
ハルゲイサの人と暮らしは、こんなふうだ。

「ソマリの女性は鼻筋がすっと通り、アフリカ屈指の美人として知られるが、さらに身にまとう衣装が素晴らしい。頭にはスカーフとベールを二重にかぶり、肩から下も二重の長い服に身を包んでいる。一見、厳重なムスリムと見せかけて、その基本四種の布がどれも鮮やかな原色で、複雑な模様と色合いを競っている。〔中略〕
 いっぽう、男は襟つきの長袖シャツとズボンに革靴かサンダルという、アフリカでも中東でも共通したスタイルだ。」
 
テレビでよく見るアフリカのイスラム圏の風俗だ。

「売られている商品はどうかというと、まあ、衣料品から食器、事務用品まで日用品の九割は中国製である。もっとも今はアジア・アフリカのどこの国へ行ってもそうだ。」
 
中国恐るべし。おもわずアジア・アフリカの地図を前にして、「一帯一路」という言葉が浮かんでくる。
 
しかし一方、自動車はほとんど日本製である。ハルゲイサの人に聞くと、何といっても日本製は頑丈で長持ちするという。もちろん新車ではない。中古品が回ってくるのだ。
 
この本にはカラー口絵があって、その写真の一つには、「今ではハルゲイサ市民の足となっている『信州健康ランド』のバス」というネームが付いている。大笑いである。
 
ハルゲイサの町で異色なのは、そこら中に動物がいることだ。大統領官邸や国会、外務省などがあるその前で、牛の群れが寝そべっている。モスクの尖塔には、巨大なコウノトリが巣を作り、裏通りに入るとラクダがうろついていたりする。

「要するに、遊牧民の生活をそのまま都市に持ち込んでいるのだ。遊牧民だから周囲に動物がいて当然、不衛生だとか変だとか思いもよらないらしい。アジアとは全く別の意味でヒトと動物の共存が行われている。」
 
なんとなくハルゲイサの町が、浮かんでくるでしょう(といっても、本を見れば口絵がついていて、ハルゲイサの町角は一目瞭然なのだが)。