この小説の解説を、藤田香織という人が書いている。肩書は書評家である。この解説を読んだとき、思わずムッとした。
「正直に言うと、個人的には最初に単行本で読んだ際、高澤にまったく魅力を感じなかった。」その妻も、「思慮深く奥ゆかしいが引っ込み思案」と思わせているが、「引っ込み思案って、あなたの妻は幼稚園児ですか、と言いたくなる。」
こういう言い方は、ないんじゃないか。大手の証券会社が破綻したときの、責任ある当事者の苦しみはいかばかりか。
と言っても、もちろん僕は、そういう経験もなければ、知り合いにそんな人もいない。それでも、そういう想像力は、かすかにあると思いたい。
同時にそういうとき、夫婦の気遣いがおろそかになり、すきま風が吹いても、やむを得ぬことだなあ、と思いもする。
藤田香織は、今を生きる女の先頭集団を走っているのだろう。そういう人には、わからぬ世界だ。
しかし一方、この主人公は、少し古いという感じもする。男は外で仕事があり、女は内で家庭を守るというのは、もう家族のモデルにはなりえない。
2000年頃以後、賃金の上がらない日本では、大半の夫婦は共稼ぎせざるを得ない。「髙澤修平」は転職を重ねるたびに、年収は下がっていったはずだ。
藤田香織も書いている。
「再読するうちに、高澤や由貴子のような人は、特に珍しい存在ではないのだ、と思い至った。彼らの特性や長所は現代社会において気付かれにくいが、高澤のように苦境にあっても実現可能な物事を見極め、そのための努力は惜しまず仕事に邁進してきた男性も、由貴子のように、一歩引いて物事を見つめ、自分の親や子のため献身的に尽くしてきた女性も、周囲を見渡せばまだまだ多い。」
この小説は、そういうちょっと古い人たちの誠実な歩みを、辿ったものだ。『銀婚式』とは、「髙澤修平」と「由貴子」が、別れずに夫婦でいたならば、この年に迎えていたものだ。
『ゴサインタン』や『弥勒』、『仮想儀礼』の篠田節子にしては、珍しくオーソドックスな小説で、それゆえ印象に残る本だった。
(『銀婚式』篠田節子、新潮文庫、2017年1月1日初刷)