息をのむ大パノラマ――『編集者ディドロ―仲間と歩く『百科全書』の森―』(鷲見洋一)

『日本古書通信』10月号に、鷲見洋一著『編集者ディドロ―仲間と歩く『百科全書』の森―』について書いた。このブログで本書について記すのは、二度目である。もちろん一度目とは、力点の置き方が違う。

『古書通信』はすでに11月号が出ているので、10月号の記事をここに掲載するのは構わないだろう(ブログは読みやすくするために、改行のところを1行アキ、改行を増やし、横書きとする)。

〈すごい本だ。四六判九〇〇ページ。まるで弁当箱だが、胃袋ではなく、心が飛び跳ねるほど面白い。

全体は九章立てで、1、前史、2、刊行史、3、編集者ディドロの生涯、4、商業出版企画として、5、編集作業の現場、6、「結社」の仲間、7、協力者と編集長の思想、8、図版の世界、9、身体知のなかの図版、とくれば『百科全書』を巡るパノラマのような世界を一望できる。
 
一七五一年に第一巻が刊行され、五七年には第七巻が刊行される。ところが以後は刊行が禁止され、しばらく地下に潜って、一七六五年から六六年にかけて残りの一〇巻を配布する(しかし「地下に潜る」とはどういう意味だ)。ほかに図版篇があり、一七六二年から七二年にかけて一一巻で完結している。全二八巻、ちなみに図版篇の方は刊行禁止にはなっていない。

なぜこんなややこしいことになるのか。

実はこの時代は、言論の自由や出版の自由がなかったのだ。まず国王の権力がある。ディドロは一七四九年に、『盲人書簡』という危険思想を流布する本で逮捕され、宗教や風紀を乱すような執筆活動はしないと誓って許されている。

また王権と並んで宗教界からの圧力もある。プロテスタントや、ディドロのような無神論者は、カトリックに弾圧されて苦しい時代だった。

そこではディドロたち『百科全書』派のレトリックが生きる。「検閲は厳しかったので、批判記事はおのずと間接的で暗示的なものにならざるをえなかったのです。〔中略〕逆にその面従腹背の出版戦略は読者の人気を集める結果となりました。『百科全書』はそこに印刷されていた事柄もさることながら、印刷されていない事柄で人びとを魅惑したとも言えるでしょう。」これは著者側と読者が相通じ合う、非常に高級なやり方だ。
 
しかしディドロが闘わなければならなかった、もう一つの敵がいる。それは同じ陣営で闘っているつもりの「共同書籍商」たちである。この当時の書籍商はほとんど出版社と見ていい。

ディドロは一七六四年に、書籍商ル・ブルトンの「検閲」を発見する。「『百科全書』のような私企業が手がける刊行物にせよ、特定の個人が執筆した原稿を印刷刊行するにせよ、当時は書籍の制作・販売を専業とする書籍商が大きな力をもち、著者たちは書籍商にたいして自分たちの権利や利得を主張できる立場にはありませんでした。」

私はここを読んで思わずニンマリした。現役を退いた今でも、自分は出版社側にいるという染み付いたものはとれない。本誌の読者でも、どちらにあるかで感想は一八〇度違うのではないか。
 
書籍商ル・ブルトンの最初の企画は、英国の百科事典『サイクロピーディア』の仏訳版で、それが『百科全書』に発展していった。この段階でル・ブルトンは、自分だけでは経費をまかないきれないと判断し、ブリアソン、ダヴィッド、デュランを誘って「協同書籍商」を立ち上げる。出資比率はル・ブルトンが二分の一、他の三名が残りの三分の一ずつだ。

こう見てくると、『百科全書』の前段階から完結するまでを、金銭面を手当てしながら責任を持ったのはル・ブルトンだと分かる。だから彼は、大胆すぎると判断した原稿は、検閲を恐れて無難な内容に書き換えたのだ。それはこの時代の書籍商が、ごく普通にやっていたことである。
 
けれどもディドロは悲痛極まりない手紙を出す。「みなが『百科全書』に求めたもの、これからも求めるものは、あなたが雇った労働者何名かの堅固で大胆な哲学なのです。貴方はその哲学を無思慮にも、容赦なく、無粋にも、去勢し、切り刻んでバラバラにしてしまいました。」
 
しかしそんな手紙をもらっても、ル・ブルトンは応えない。ディドロは『百科全書』の評判を落とさないために、やむなく仲間内に箝口令を敷くしかなかった。

ル・ブルトンも国家や教会を相手になんども危ない橋を渡ったが、死ぬときは巨万の富を蓄えていた。誤解を恐れずに言えば、私はこの人こそ出版人の鏡であると思う。
 
私はこの本を二度読んだ。一度目は頁を繰る手ももどかしく、著者の文体に乗せられて。二度目はゆっくりと、各章が多様に共鳴するのを楽しみながら読んだ。十八世紀は今とは違いすぎて、疑問は限りなく出てくる。それがじつに楽しい。私は自分の生あるうちに、この本が出たことを感謝したい。〉

(『編集者ディドロ―仲間と歩く『百科全書』の森―』
 鷲見洋一、平凡社、2022年4月25日初刷)