紅谷さんの本の最終回である。こんなに長く書くとは思わなかった。
紅谷さんは最後に、録音技師として、どういう構えで行けばよいかを、端的に語っている。
「紅谷 作品に臨むときにまず思ったことは、演出家の想いを汲み取って、その映画をどのように理解していくかということでした。それで、まず脚本を読みますよね。するとここはこうしたいとか、自分なりの狙いやアイデアが湧き上がる。」
これが第1段階。
「でもロケハンに行ってみたら、脚本を読んだときのイメージと様子が違っている場合もある。それに対応して方法論や、アイデアそのものを変えていく。」
これが第2段階。
「現場で日々音を録りながら、今度は仕上げのときにどうやって音作りをしていくかを考える。そこでまた、ロケハンで思っていたこととは違うものが浮かんでくる。撮影が終わってラッシュを見ると、また音に関する考えが変わっていくときもある。つまりその都度、自分の考えを変えられるだけの度量を持たないといけないと思うんです。」
別に何段階と区切る必要もないのだ。これは出版の世界で、書き下ろしを担当する場合と似ている。臨機応変に立ち位置を変え、編集者はどこまで介入したらよいかを、著者と話していて、瞬時に判断しなければならない。本当によく似ている。
それにしても、この本について書いてきて、あらためて奇跡のような本だと思う。
取材と文を担当した金澤誠が、後書きにかえて、「映画録音技師、紅谷愃一さんの本ができるまで」を書いている。
「紅谷さんの取材を始めたのが六年前の12月末。毎月一度か二度、紅谷さんと会って二時間弱のお話を伺った。取材期間は一年二カ月ほどに及んだが、当時八〇代後半の紅谷さんは精力的に、各作品の撮影状況を事細かに語ってくれた。現場を離れた紅谷さんは、これが自分の最後の仕事だといつもおっしゃっていた。」
80歳代後半に至ってこの記憶力、そして自分の最後の仕事だと、はっきり自覚している。本当に信じられないことだ。
金澤誠はこの後書きで、紅谷さんに注目したわけを、こんなふうに述べている。
「小泉堯史監督の『雨あがる』(00)など、現場で会うと紅谷さんと話すようになった。同時に紅谷さんが担当した映画を音に注目して観ると、四季の移ろいを表現する虫や動物の声、作品の時代性を出す汽車や自動車の疾走音、効果音や音楽の挿入の仕方まで、映画全体の音をサウンドデザインしていることがわかってきた。」
金澤にとっても、それは目の覚めるような体験だったのだ。紅谷さんの聞き書きが、感動に満ちたものであったから、それが僕に直接伝わってきたのだ。
しかし僕には、この本は半分しか味わえない。音と録音に関して述べた部分は、ほとんど分からない。金澤誠は書いている。
「かつて亡くなった映画評論家・淀川長治さんと話したときに、淀川さんは『映画は科学技術と共に歩んできた芸術です』と言っていたが、映画は最初に動く絵を撮る映像に始まり、次にサイレントからセリフを録音するトーキーによって音を手にした。そういう意味でも画と音は、映画の根幹をなす科学技術の二大要素なのである。」
紅谷さんは本文で、音の技術的なことをしゃべっているし、脚注も懇切に付してある。しかし僕にはちんぷんかんぷんである。
しかしそれでも飛び切り面白い。60代の末になって、映画に対し、まったく新しい世界が開けた。生きている間に、この本に出会えて本当によかった。
あらためて紅谷愃一さん、金澤誠さん、キネマ旬報社の編集者・前野裕一さん(誰も直接には知らないが)に、満腔の意をもって感謝を捧げたい。
(『音が語る、日本映画の黄金時代――映画録音技師の撮影現場60年』
紅谷愃一、取材・文/金澤誠、河出書房新社、2022年2月28日初刷)