奇跡の聞き書き――『音が語る、日本映画の黄金時代―映画録音技師の撮影現場60年―』(24)

『赤い橋の下のぬるい水』(01)は、今村昌平最後の長編映画である。辺見庸の小説が原作で、セックスの際に大量に水を放出する特異体質の女と、リストラされた男の触れ合いを描く。
 
このころ今村は、糖尿病のせいもあって、体はまともではなかった。

「紅谷 この作品でも今村監督がキャメラサイドから少し離れている僕をジッと見つめていることがときどきあったんです。何かを訴えていたのでしょう。『もう疲れたよ』ということだったのか、『なかなか思うようにはいかないよ』だったのか、はたまた『長い付き合いだけど、君はいつまで経っても頼りにならないね』ということだったのかもしれません。だからこの頃には、僕はスタッフの中でも別格扱いになっていました。」
 
この現場は寒くて、今村監督は辛そうだった。夫人が傍についていて、紅谷さんも近くにいるようにした。しかしその紅谷さんが、すでに別格扱いの齢である。
 
そのあと小泉堯史監督の『阿弥陀堂だより』(02)の話が来る。南木佳士の原作で、信州が舞台の作品だが、僕はほとんど興味がない。
 
紅谷さんは02年には、『おとなしい日本人』(02)の録音を依頼されている。これは01年9月11日に起こった、アメリカの同時多発テロをテーマに、世界11ヵ国の映画監督が、オムニバスで撮ったものである。
 
日本からは今村昌平が『おとなしい日本人』を撮り、他にクロード・ルルーシュ、ショーン・ペン、ケン・ローチなどが参加した。
 
フランスの映画会社が制作したもので、9月11日のシンボル的な意味を込めて、作品はすべて11分9秒1フレームの時間枠とした。
 
この中で今村は、第2次世界大戦の末期、中国戦線から負傷して復員してきた男が、蛇になってゆく、という物語を考えた。もう戦争には行きたくない、と。そして「テロによる聖戦」なども存在しない、と。
 
この作品はオムニバスの中でも、直接に9月11日を取り上げていない、という意味で異色であった。
 
この映画が今村昌平の遺作となった。
 
このあと中国で撮った降旗康男監督の『赤い月』(04)や、モンゴルにロケをした澤井信一郎監督の『蒼き狼 地果て海尽きるまで』(07)の仕事が入るが、僕はあまり興味がない。だいたい海外ロケした「大作」というだけで、顔を背けたくなる。
 
最後に『博士の愛した数式』(06)に言及しておく。小川洋子のベストセラー小説を原作に、小泉堯史が監督したものだ。
 
交通事故の後遺症で、80分間しか記憶を持てない数学の博士(寺尾聰)と、シングルマザーの家政婦(深津絵里)、彼女の息子のルート、3人の触れ合いを描いたドラマである。
 
この映画はよかった。小川洋子の小説もよかったが、映画もメルヘンそのもので、小泉堯史監督のアクの強くないのが、逆にいい目に出た。
 
これは読売文学賞と、『本の雑誌』が主催する第1回本屋大賞を受賞した。映画の影響もあり、文庫は2か月で100万部を突破し、新潮文庫史上最速を記録した。

この売り上げは、結果的に逆目に出た。これ以後、本屋大賞は、作品の価値はそっちのけで、とにかく売れるものを選ぶようになる(だから僕にとっては、本屋大賞というだけで、読書リストから外せるようになった)。
 
ここで紅谷さんは、音をミックスするときの、紅谷流の心得を説いている。

「紅谷 ダビングのとき最初の一巻目(約一〇分)では、これからじっくり映画を観てくださいという気分でセリフ、音楽、効果音をミキシングする。そしてラストの一巻では、いかがでしたか、どうぞまた映画を見に来てくださいという気持ちで音をミキシングしているんです。お客さんにはそんなこと分からないでしょうけれど、これは僕が音をミキシングするときの気分の問題。どんな映画でも、自分が気分的に乗って感動しなければ、お客さんに感動は伝わらないと思っているんです。だから自分が感動できるように音の流れを考えているんです。」
 
まず自分が感動できるように、というのは、どこでも、どんな所でも、通用する普遍的なことだ。
 
紅谷さんは、大岡昇平の『長い坂』を映画化した『明日への遺言』(08)で、録音技師としての最後を飾る。
 
これはB級戦犯として裁かれることになる、司令官・岡田資中将(藤田まこと)とその妻(富司純子)の、法廷における戦いの物語である。
 
ラストに主題歌が入るときに、「音を調整するフェーダーを握る手に思わず力が入りましたね。これで長かった映画録音人生が終わる……」と。