奇跡の聞き書き――『音が語る、日本映画の黄金時代―映画録音技師の撮影現場60年―』(紅谷愃一、取材・文/金澤誠)(23)

紅谷さんは、この時期たとえば、日中合作映画『曼荼羅 若き日の弘法大師・空海』(91)(テン・ウェンジャ監督)、深作欣二監督『いつかギラギラする日』(92)、神山征二郎監督『遠き落日』(92)、杉田成道監督『ラストソング』(94)、渡邊孝好監督『居酒屋ゆうれい』(94)などの仕事をしている。
 
このうち『居酒屋ゆうれい』は、テレビで見ている。これは居酒屋の主人・萩原健一が、亡き妻(室井滋)に再婚はしないと約束したのに、若い後妻(山口智子)と結婚したことから、妻の幽霊が現われて、ドタバタになる。いかにもテレビ向き、と言って悪ければ、小ぢんまりした映画だった。
 
このときショーケンが、スタッフと揉め事を起こし、紅谷さんが矢面に立って、一応の解決を見ている。
 
このころ僕は映画に興味を失っていた。というか、自分のことで一杯いっぱいになり、映画どころではなかった。結婚もし、会社を変わり、子供も生まれ、とにかく忙しかった。
 
次は久々の、今村昌平監督『うなぎ』(97)である。この映画は『楢山節考』に続いて、カンヌ映画祭で2度目のパルム・ドールを受賞した。吉村昭の『闇にひらめく』が原作で、殺人罪で服役した男が出所後、自殺未遂した女と関わって、気持ちに変化が起きていく、という話である。
 
厳しい予算で、苦労の多い仕事だった、と紅谷さんは言う。そのぶんスタッフはチームワークよく働いた、と。

「紅谷 ときには監督のユーモアあふれる演出の指示によって、ともすれば暗くなりがちな撮影現場にホッとした空気が流れ、明るいスタッフの笑い声が疲れた神経を癒してくれました。まさに今村監督の人間的魅力に現場が支えられていた。当然、スタッフ・キャストは今村信者へと傾斜していきますよ。」
 
このときの今村昌平は、カンヌのパルム・ドールを手放しで喜んだ。次の『カンゾー先生』(98)が撮れることになったからである。

『カンゾー先生』は評価も高く、主演を務めた柄本明や麻生久美子は、多くの映画賞を受賞している。しかし興行的には、報われなかったのが残念だ、と紅谷さんは言う。
 
98年に入ると、降旗康男監督、高倉健主演、『鉄道員(ぽっぽや)』(99)が入る。浅田次郎の短編が原作。仕事一途の鉄道員は、妻や幼い娘の死にも会えなかったが、冬のある日、奇跡の出会いを体験する、というファンタジー。これは大ヒットした。
 
僕はもちろんテレビでも観ていない。浅田次郎が書いたファンタジー、人情ものだから、あまり観たくない。
 
しかし紅谷さんの話は面白いから、ついつい曲げて観たくなってしまう。

「紅谷 1月11日から14日にキハ〔蒸気機関車〕の実景撮影をしたんですが〔中略〕、警笛の音を録りまくりました。機動車を走らせている根室本線は地形が変化に富んでいて、山の形が変わると警笛の音の響きも違うんです。山肌への反響の度合いが違いますから。警笛の音によって情感が加味されるので、その音の変化をシーンによって使い分けたいと考え、場所を変えて異常なほど録音テープを回し続けました。」
 
警笛の音で情感が変化する。どういうものか聞いてみたい。
 
98年9月6日に黒澤明が亡くなった。通夜が終わってから、スタッフの間で『雨あがる』(00)の企画が持ち上がった。

これは山本周五郎の小説を、黒澤明が脚本化して、遺稿のかたちで残されたものを、弟子の小泉堯史が監督した。腕は立つが報われない武士(寺尾聰)と、妻(宮崎美子)の愛情を描いた時代劇である。
 
紅谷さんはこの脚本を読んだとき、ふと、これは小泉監督がモデルではないかと考えた。

「紅谷 小泉さん自身が、真面目過ぎて決して要領のいい人ではないですから。我々は映画界に毒されていますけれど、小泉さんはその毒を持っていない映画界には珍しい人だという印象がありますね。」
 
毒というか、アクの強さのない監督には、僕は魅力を感じない。しかし『雨あがる』は、大井川の川止めに遇って、どんちゃん騒ぎをするところだけでも観たいと思う。