今度は白眉の小説――『両手にトカレフ』(1)

ブレイディみかこの初めての小説。これは傑作、もっと言えば、大傑作である。
 
ブレイディみかこの本は、はじめ僕が買ってきて、田中晶子も読んで、そのうちに彼女が全部買うようになった。やっぱりいいものもあれば、それほどではないものもある、と彼女は言う。

僕はこのところ、ブレイディみかこには辛口である。なぜ彼女は、保守党の緊縮政策に反対なのか。というよりも、なぜ緊縮政策を執る保守党が、それに反対する労働党よりも選挙で多数を得るのか、ということがまったく説明されていない。これでは労働党のアジ演説と変わらない。
 
小説は評論やエッセイとは違う。主人公が少数派であろうと多数派であろうと、関係ない。主人公がどこまで強烈に存在を主張するか、周りを取り巻く人たちが、これでもかというくらい躍動しているか、小説はここに尽きている。
 
14歳のミアは、食うや食わずの悲惨な生活を送っている。貧困家庭で、ひ弱な弟と2人、母親はアル中でほとんど廃人だ。
 
ミアはあるとき図書館で、見知らぬおじさんの手引きで、「カネコフミコ」という人の自伝に出会う。
 
ブレイディみかこの小説は、ミアの日常生活と、カネコフミコの自伝が、互い違いに表われて進行していく。カネコフミコの自伝は、もちろんブレイディみかこの翻案だ。
 
著者はカネコフミコについて、説明はしていない。だから私が付け加えておく。

カネコフミコはアナーキストの金子文子。関東大震災の2日後に、内縁の夫、朴烈と共謀し、天皇暗殺の疑いをかけられ、そのまま獄死する。22年6ヶ月の短い生涯だった。代表作に自伝、『何が私をこうさせたか』があり、また歌集がある。
 
ブレイディみかこは、金子文子の自伝その他を、昔から知っていたに違いない。そういう共感を寄せるような精神的土壌があって、英国に渡っても、下層階級に共感したのだ。
 
小説の文体は右のようだ。はじめの方で、近くの図書館のエレベーターに、見知らぬおじさんと乗ったとき。

「くさいんだろう。おじさんが臭うのだ。ミアはこの臭気には慣れている。アルコールとアンモニアが混ざったような独特の臭い。ミアの母親もこんな臭いをさせるときがある。何日もシャワーを浴びず、洗濯もしないで酒を飲んでいると人はこんな臭いを発し始める。」
 
文章は素晴らしく上手い。過不足がないだけでなく、細かく臭うような皮膚感覚がある。
 
次の場面は、ミアが学校で、食べ物を万引きするところだ。

「ミアのような家庭の子どもは、学校では無料でランチを食べることができた。だけど、それには限度額があり、それを超えるとカードがレジで使えなくなる。でも万引きをすればカードが限度額にならないし、万引きしたものを家に持って帰れば夕食にできる。ミアだけじゃない。切羽詰まった家庭の子どもたちはみんなやっていることだ。他の生徒たちだってそのことを知っている。学校側だって本当は知っていて見逃しているのだ。」
 
貧困な子どもたちが、どんな環境に置かれているか。そして最後の1行で、英国の学校の、底辺の悲惨さを抉り出している。
 
それにしてもこんなことが、英国の公立の学校で、本当に起こっているんだろうか。