にわかに興味が湧いてきた――『博奕好き』(3)

「Ⅰ 連れ合いとの日々」の終わりは、「書下ろし」である。題して「長吉の験かつぎ――直木賞受賞まで」。
 
読者のために、最後はこのテーマが必要だ、と新潮社の担当者、川嶋眞仁郎氏は考えたにちがいない。締めるところは締めてよし、と。

川嶋さんはもう亡くなったが、ひと頃、新宿のバーで、しょっちゅう会っていたことがある。深い話はしなかった。
 
車谷の直木賞なのに、高橋順子の「験かつぎ」が面白い。

「私は日々、何事もありませんように、となにものかに祈った。お皿を割りませんように、スリッパが破れませんように、下駄の鼻緒が切れませんように、猫の糞を踏んづけませんように、水道管が壊れませんように、灰皿に使っている缶ビールの空き缶がなにかの拍子に倒れませんように、長吉が嫌っている私の友人の誰かれから電話がありませんように、といった具合に、はらはらし通した。」
 
この辺はちょっと現代詩ふうだ。「猫の糞を踏んづけませんように」、というのはおかしい。そこに重ねて、「水道管が壊れませんように」、というのはもっとおかしい。たしかに水道管が破裂すれば、どんな望みも実現しそうにない。
 
長吉の直木賞は、『夫・車谷長吉』では、人生に起こったこととして、そこに収まるように書いてあったが、この本を出すときには、そうでもない。結びの一行はこうなっている。

「愚かで滑稽なドタバタ劇を演じたひと月だったが、確かにあのときから、現実と虚構をまき込んでの荷崩れが起こったのだった。」

「荷崩れ」というところがおかしい。

話かわって「私の水平線」という文章に、こんな一節がある。

「私の連れ合いは小説を書いているが、彼と近所を散歩すると、江戸時代からこの辺りに生きていたようなもの言いをする。この道は、この坂は、この建築様式はとなめらかである。」(「るしおる」二一号)
 
長吉の書くものに、江戸時代のものや、江戸趣味のものはなかった気がする。そこは隠し味だったのか。興味は尽きない。

「人魚好き」は、自分が詩を書くいわれを探っている。アンデルセンの『人魚姫』に魅せられた、少女時代の話。

「誰にも言わずに、人魚姫を心に抱いていた。夢見がちなところはあったが、作文は不得手で、文字を書こうとすると気持が閉ざされ、無邪気さを失った。文学少女の時期はなく、詩を書くようになったのは、二十歳を過ぎてからだ。」
 
信じられない。では東大文Ⅲに入り、仏文に行ったのはなぜなのか。

「人魚姫の物語は、私が人生のいちばん初めに触れた詩だった。童話というよりは詩だった。それから後の私の人生を見つめる眼になったのだ。そういう作品は詩と呼ぶべきだろう。
 私が詩を書き始めたことが、この作品に少女時代に出会ったことと無関係であるとは思えない。」
 
高橋順子のもとをたどってゆけば、このようになるのかもしれない。しかし二十歳を超えて、詩を書き始めたことは、他に何本か補助線がなければ、すんなりとは分かりにくい。