将棋指し今昔――『将棋指しの腹のうち』(2)

この本とは直接関係のない、しかし間接的には大いに関係のある話を書く。
 
将棋指しが昔ほど、レストランや定食屋に行かなくなったのは、対局中は将棋連盟から一歩も出てはならない、というお達しが出たからである。
 
どうしてそういうふうになったかといえば、あるとき三浦弘行九段が、対局中にしばしば席を外すのは、見えないところでコンピューターに指し手を訊いているからだ、という疑いが持たれたからだ。
 
これは羽生善治も渡辺明も、三浦のことを限りなく黒に近い灰色だと、週刊誌などで書いた。三浦の指し手が、それほどコンピーターと一致していたのだ。
 
そこで当時の谷川浩司・将棋連盟会長が公に調査した。

結果は何もなかった。それまで三浦は調査中、対局中止を言い渡されていたが、無事晴れて将棋が指せるようになった。

将棋連盟は三浦に詫びを入れ、賠償金を払い、谷川浩司は会長を辞め、佐藤康光に代わった。
 
一連の騒動で、日本将棋連盟の評価は地に落ちた。もともと将棋は辛気臭いものであり、おっさんや爺さんの時間潰しと見られていた。それが、もっと時代遅れで暗いものになった。

先崎は、それを何とかしようとして駆けずり回り、うつ病になったのである。
 
それがその直後、藤井聡太の登場で、光景は劇的に変わった。ルールも分からない者が、藤井の今日の勝負メシを聞くや、「みろく庵」に殺到するのである。「みろく庵」は「聖地」として、何度もワイドショーに出た。
 
考えてみてほしい。あの三浦のAI疑惑と、それに基づく対局規定の変更、メシは出前を取れ、連盟からは対局が終わるまで出るな、ケータイはあらかじめ没収、その他もろもろのことは、舞台を藤井聡太仕様に作り替えるためだったのだ、そうとしか思えない。
 
藤井は局面が煮詰まれば煮詰まるほど、正確にAIの候補手を指す。場合によっては、「AI超え」の手を指す。

あるとき、藤井が瞬時に指した手を、コンピューターが時間をかけ、8億手を読んだところで、初めて第一候補手に挙げていた。考えられないことだ。そして藤井は、そういう「AI超え」の手を、しばしば指した。
 
もし三浦の不幸な騒動がなければ、そして対局規定が昔のままだったとすれば、つまり昼飯は「みろく庵」や「ほそ島や」で食べ、あとは喫茶店などに行ってもよし、どこへ行こうと、規定の時間までに帰ってくればいいとなれば、藤井聡太は隠れたところで、コンピューターに訊いている、百人が百人そう思うだろう。その行動はまっ黒であると断定するにちがいない。

それほど藤井聡太の将棋は、異次元を羽ばたき、天を翔けている。
 
神様の作った、昭和・平成・令和の将棋の歴史はよくできている。三浦弘行は本当につらかったと思う。しかし調査する方も、谷川は会長の職を辞したのち、心労で入院している。羽生も渡辺も、決して無傷ではあり得なかったろう。
 
しかし、それを乗り超えたからこそ、心おきなくスーパースターが現われたのだ。