将棋小説は難しい――『死神の棋譜』

奥泉光は『石の来歴』で芥川賞を受賞した。他にも『東京自叙伝』で谷崎潤一郎賞、『雪の階』で毎日出版文化賞、柴田錬三郎賞など、受賞歴は華々しい。
 
でも私は読んだことがない。『神器―軍艦「橿原」殺人事件―』や『「吾輩は猫である」殺人事件』といったタイトルの付け方に、ちょっと面白そうでしょう、という卑近な違和感を覚えてしまう。

そういえば、処女作かもしれない『ノヴァーリスの引用』にも、小説のタイトルとしては気取りすぎ、という印象を持ってしまう。引用するのに、ドイツ・ロマン主義の詩人ノヴァーリスでっせ。
 
しかし、『死神の棋譜』には吸い込まれた。帯の表が「圧倒的引力で/読ませる/前代未聞の/将棋ミステリ。」である。
 
書き出しはこんなふうである。

「その『図式』を私が見たのは、二〇一一年の五月、第六九期将棋名人戦七番勝負、第四局一日目の夜のことであった。
 名人は羽生善治三冠、これに七勝二敗でA級順位戦を抜けた森内俊之九段が挑戦するシリーズは、ここまで三局いずれも挑戦者が勝利して……」。
 
これでは期待するなという方が無理である。
 
で、この本全体を読んだ印象としては、うーん、あまり面白くない。勢い込んで読むから、よけいにその印象が強い。
 
著者は純文学とミステリー、現実の棋士と架空の棋士、をすべてごちゃまぜにして、新しい文学の創造を企てたのだ。
 
カギになるのは、現代将棋以前の中将棋なるものだ。歴代名人は、大山康晴にせよ羽生善治にせよ、人に知られることなく、これを指したという。そういう設定になっている。

その駒は、「麒麟」「獅子」「鳳凰」「酔像」「奔王」「老亀」「銀蝮(ぎんふく)」「凶雲」……。将棋盤は9マス×9マスではなくて、無限の将棋盤である。
 
これを指すときは、必然的に幻想的なシーンになる。純文学の書き手、奥泉光の独擅場である。
 
ところがこのミステリーの骨格たるや、麻薬がどうたらこうたら、テレビの2時間サスペンスそのものなのだ。
 
しかも最後に至って、骨格がはっきりしなくて、探偵と犯人が立ってこない。いわゆるヌケが悪いのだ。

純文学と通俗文学、架空の将棋指しと現実の棋士の、虚実皮膜の融合、そして純も通俗もない、止揚した、それこそ大文字の文学としかいいようのないもの、そういうふうになるはずであった。

しかしすべてがバラバラで、融合、止揚の後は、どこにも見られない。

(『死神の棋譜』奥泉光、新潮社、2020年8月25日初刷、9月25日第2刷)