悪夢ではあるが――『一下級将校の見た帝国陸軍』(3)

いよいよマニラに着く。そこで山本は呆然とする。「東亜解放」を旗印に、現地の人と一緒になって「血を流しているはずのわれわれは、実は怨嗟の的であったのだ。」
 
中国でも、朝鮮でも、あるいは南方の島々でも、日本軍は現地の人々と戦っていたのだ。それをどうやったら、現地の人と仲良くやっている、と思えたのだろうか。今となっては、この辺のところもよくわからない。
 
問題は日本軍が、「フィリピンという一国を占領し、実質的にこれを統治するつもりが全くなかったということである。〔中略〕一国を占領する、それならばまずその国の兵要地誌はもちろん、歴史・伝統・民俗・言語等々を徹底的に調べて、それぞれの専門家を養成しておくのが順序であろう。」
 
しかし実情はまるで正反対、日本国内では「英語教育禁止」であり、その状況ではフィリピンの公用語、タガログ語が何たるものかは、日本軍の幹部ですらわからなかった。
 
一体、日本軍は何をしに行ったのか。

「中国人は皇軍をもじって蝗軍と言ったそうだが、まさに蝗軍である。そしてイナゴが青いものを食いつくして斃死するように、日本軍も、その殆どが餓死した。アメリカの戦史は短くかつ冷酷にこれを記している。
『尚武集団(比島派遣第十四方面軍)の殆どすべては餓死である』と。」
 
日本軍の顛末はそういうことだ。具体的に見ていく。

「〔フィリピンの〕経済的実情への無知、加うるに相手の文化様式への完全なる無知・無理解、それによって生ずる救いがたい文化的摩擦、それでもなお『アジアという内なる妄想』のみを信じ込み、それしか見えず、それに適合しない者を拒否する態度、東亜の盟主が東亜解放の掛け声をかければ、全員が振るい立って協力するはずだという一人よがり、われわれだけがアジアの先進国だといううぬぼれ――それが重なり重なって、どうにもならない状態を現出した。」
 
幻の大東亜共栄圏、日本の侵略戦争はここに尽きている。
 
問題は、この戦線にあるときに、そしてほとんどが餓死するに至るときに、その手前で、こんなことは間違っている、バカバカしくてやっておれないと、だれ一人言えないことである。
 
あるいは実際には、兵士の中にそういう覚醒した人が、何人もいたのだろうか。山本七平が何人もいたのだろうか。そしてそういう人も、大体は餓死したのだろうか。
 
よくわからないのは、山本にしても、戦線にあるときに、そういうことを考えていたのか、終戦から何年か経って、総括として、そういうことを考えたのか、どっちだろう。
 
もし終戦後に考えたのなら、日本が戦争に負けた意味は、十分すぎるほどあるといえるが。