死んだ学問を生き返らせる――『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?―これからの経済と女性の話―』(3)

僕は8年前、脳出血で倒れて以来、お金を持ったことがない。「僕のお金」というのは、一応あるにはあるが、身体が不自由なため自分では遣えない。
 
そこからお金というものを、距離をおいてみると、ずいぶん違って見えてくる。たとえば汚職などする人は、正気になってみれば、こんなばかばかしいことをよくやってたな、と思うんじゃないだろうか。

「あなたがお金を欲しいと思うのは、他の人たちがお金を欲しいと思うからだ。〔中略〕みんながお金の価値を信じているかぎりは、働いてお金を手に入れることに意味がある。こうしてお金は回っている。」
 
著者は段落の最後にこういう。

「お金は社会的に構築されたものだ。金融市場は宗教によく似ている。
 すべては信じることから始まった。」
 
だから日本の1千兆円の借金も、紙屑だと思った瞬間、ほんとに紙屑になる。しかし紙屑になった瞬間、つまり日本人が正気になった瞬間、逆に肩にのしかかってくるのは、一体何なのだ。
 
でも大丈夫、この「宗教」はなかなか覚めない。

「最近みんなが何かに投資して儲けているらしい、ということがわかると、人はそこに乗り遅れまいと投資に乗りだす。そうして需要が増えると価格が上がり、価格が上がるとさらに多くの人がそこに投資する。そうして買いたい人が増えると、価格はさらに高騰する。さすがに妙だなと感じても、そう簡単に動きは止まらない。」
 
で、バブル現象が起こり、膨らみ切ったところまでくると、一斉に「売りだ!」と叫んで、パニックが広がる。
 
ほんとにこんなこと、いつまでやってるんだろう。でもこれは人間の、超えることのできない本能だからしょうがない(しかしほんとに、そうなんだろうか)。
 
今では投資の判断は、人からコンピューターに移っているらしい。数理モデルを使って、コンピューターが瞬時に複雑な計算を行ない、自動で最適な投資を実行する。「世界の富裕層が利用するアルゴリズムに基づき」という、テレビCMでやっているアレだな。

だからお金を持っている人は、どんどん財産を増やし、持たざる者との差は、限りなく大きくなっていく。

こういう資本主義は、誰が考えてもおかしいでしょう。
 
著者のカトリーン・マルサルは、断固としておかしいという。

「どうせ経済も市場も、私たちとは関係ないものなのだ。私たちが働き、生産し、工夫して生みだし、あるいは日々必要とするものなど、経済学のあずかり知るところではないのだ。」
 
なんかもう、やけくそである。これでは本が成り立たないんじゃないか。でも大丈夫。

「どんなにエレガントな数式が私たちを誘惑しようと、経済の根本にあるものは変わらない。
 それは人の身体だ。仕事をする身体、ケアを必要とする身体、別の身体を生みだす身体。生みだされ、老いて、死んでいく身体。性のある身体。人生のさまざまな局面で、誰かの助けを必要とする身体。
 私たちの身体と、身体を支える社会だ。」
 
ほとんど養老先生ですな。

しかし、それを言っちゃあおしまいよ、というのではなかったのか。「経済人」「資本家」「投資家」などは、仮にそういう人がいるとして、比喩的に言えばそういう「身体を忘れた人」が、先進国を牛耳っている、それがそもそもの問題ではなかったのか。

死んだ学問を生き返らせる――『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?―これからの経済と女性の話―』(2)

第3章は「女性はどうして男性より収入が低いのか」。これはもうわかっている。女性の仕事を、経済学はカウントしてこなかったから。
 
だいたいモデルになる人間からして、かなり歪んでいる。

「個人のあらゆる性質は、伝統的に男性のものとみなされてきた性質に一致する。彼は合理的で、冷淡で、客観的で、競争を好み、非社交的で、独立心が強く、利己的で、理性のままに行動し、世界を支配しようとしている。自分の欲しいものが正確にわかっていて、勇ましくそれを取りに出かけていく。」
 
こうして抜き出してみると、全部が全部、男の性質とも思えないんだけど、でもまあ誇張して言えば、そういうところはある。考えてみれば僕だって、30代、40代の頃は、そういうところがかなりあった。
 
これに対して、女性は正反対の性質を持っているという。

「彼のものでない性質――感情、肉体、依存、親しみ、献身、やさしさ、自然、不確かさ、消極性、人とのつながり――は、伝統的に女性に結び付けられてきたものばかりだ。」
 
これも女に限るまいと思うが、誇張して言えば、そう取れないこともない。
 
どっちにしても、経済学者は、男の属性とされるものを好んできた。しかし現実は、それではどうにもならない。

「アダム・スミスの時代からずっと、経済人は別の人の存在を前提にしていたのだ。献身とケアを担当する人の存在がなければ経済人は成り立たない。」
 
そういうことだ。言われてみれば、至極当然のことである。
 
第4章は「経済成長の果実はどこに消えたのか」。ここではケインズの裏切られた予測について語る。
 
ざっくり言えば、ケインズはこう考えた。資産を正しく投資すれば、その価値は時間とともに上がって、利子が利子を生み、1世紀もたてば貧困とは縁のない世界が実現するはずだ。

「この解決策が、経済成長と呼ばれるものだ。経済を順調に成長させていけば、少なくとも欧州や米国では2030年頃までに経済の問題はすべて解決されるだろう。それどころか、ケインズの計算によれば、あまりに豊かなのでみんな働く必要すらなくなるはずだ。汗水たらして働くかわりに、私たちはアートや詩作にふけり、心を浄め、哲学を語り、生きる喜びを味わい、『野に咲くユリ』を愛でることができる。そのようにケインズは考えていた。」
 
もちろん、そんなことは全くない。富は大きく片寄って生まれてくるのだ。

「もしも経済成長の成果を世界中で公平に分けあって、70億人がみんな同じだけの富を受けとるとしたら、一人当たりの年間の取り分はおよそ1万1千ドルになる。飢餓に苦しむ人はすでにいなくなっているはずだ。ところが現実に目を向けると、かなり違った光景が見えてくる。
 世界の人口の半分は、1日2ドル以下で暮らしている。そのうちの多くは女性だ。」
 
そしてますます世界は、経済学の虜になる。ケインズは、経済学の専門家ではあっても、人間については、特にその欲望については、初歩的なことすらわかっていなかった。
 
けれどもケインズは、当時の経済的な問題を憂えて、将来の展望を予測したのだ。それは間違っていたけども、「何のための経済学か」という問題の設定は、はっきりしていた。
 
いまではその問題自体が、よく分からなくなっている。経済学は、端的に言って金儲けのための学問なのか。

死んだ学問を生き返らせる――『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?―これからの経済と女性の話―』(1)

僕は、経済および経済学の話が苦手だ。そう思っていた僕にぴったりの本。著者はスウェーデンのジャーナリスト、カトリーン・マルサル。

まずはカバー表袖の惹句を見てみよう。

「経済学は人を怖気づかせる。難解な用語、あふれる威厳、立派な儀式、どこまでも深い謎。金融危機にいたる時期、経済学は専門家にしか扱えない領域だった。(中略)そんな時代は過ぎ去った。本書が描きたいのは、誘惑の話だ。ある経済学の見方が私たちを狡猾に言いくるめた話だ。それはどうやって私たちの皮膚にもぐりこみ、ほかの価値観を制圧し、世界経済にとどまらず私たちの日常をも支配するようになったのだろうか。(本文より)」
 
まったくその通りだと思い、読み始める。
 
はじめはいかにも、アダム・スミスのことである。社会を構成する「個人」が、利己心に基づき、「見えざる手」に導かれて、「利益の追求」に邁進する。それでいいのだ、それで万事うまくいく、アダム・スミスはそう言う。
 
ところが「見えざる手」の届かないところに、「見えない性」がある、と著者は言う。

「子どもを産むこと、育てること、庭に花や野菜を植えること、家族のために食事をつくること、家で飼っている牛のミルクを搾ること、親戚のために服を縫うこと、アダム・スミスが『国富論』を執筆できるように身のまわりの世話をすること、それらはすべて経済から無視される。
 一般的な経済学の定義によると、そうした労働は『生産活動』にあたらない。何も生み出さないことにされてしまう。」
 
なるほど、だからサブタイトルは、「これからの経済と女性の話」になるわけだ。
 
しかし僕の関心は、重なっているところもあるが、中心はそういうところではない。
 
第2章は「ロビンソン・クルーソーはなぜ経済学のヒーローなのか」。ロビンソンは「経済人」のモデルにぴったりだ、とされている。
 
彼は無人島に流れ着き、孤立している。経済学者は、孤立した個人をモデルにしたがる。

「『経済学的に考える』といえばそういうやり方だ。複雑な物事を予測するためには、まず単純化せよ。経済学者たちはアダム・スミスの精神にのっとり、孤立させて単純化することを選んだ。」
 
僕は経済学の、ここのところがうんざりだ。でもまあ、もう少し読んでみよう。

「たった一人で世界に出ていき、どんな困難も味方につけて利益を最大化する人。彼は単純化されているとはいえ、私たちの時代の普遍的な人間像だ。女性も男性も、富める人も貧しい人も、文化や宗教が違っていても、みんな基本的にはそういう生き物なのだ。」
 
それをもう少し純粋化させてみると、どうなるか。

「経済人とは、私たちみんなの中に存在する、純粋に経済的な意識の結晶だ。欲望を定式化し、システマティックに充足させる合理性の化身。」
 
本当にそうか。そんな人間はいないんじゃないか。よほど下等な、人間の皮を被った獣以外は。

「彼が行動するのは快楽を得るためか、苦痛を避けるためである。彼はどんな手を使ってでも自分の欲望を満足させる。邪魔なものは取り除き、必要であればぶち壊す。
 それが私たちの本性なのだ、と経済学者は言う。」
 
だから経済学者は嫌いだと言うのだ。経済学は人間を生かす学問ではない。死んだ人間の学問、それが経済学。

「経済人の便利なところは、予測しやすいことだ。数式に当てはめればどんな問題にも答えが出る。もしもみんなが彼みたいだったなら、世の中はとてもすっきりする。考えるべきは自分の利益だけだ。余計なもののない死んだ宇宙は、社会の法則を打ち立てるのにもってこいの舞台だった。」
 
カトリーン・マルサルは、僕よりも何倍か、これまでの経済学が嫌いなのだ。「死んだ宇宙」、ああ、ばばっちいと、蛇蝎のごとく嫌っている。

〈耳〉から鱗!――『月日の残像』

また山田太一の本を朗読している。「陰の存在」という章を朗読していて、自分がまったく読めていなかったことに気がついた。何度も何度も朗読しているのになあ。

「陰の存在」とはこの場合、映画に携わっている人々で、監督や主役級の役者以外をいう。
 
こういうところだ。

「照明のスタッフのアパートへ夕食に招かれたことがあった。新婚の二人住まいで、そのつましく丁寧で堅実な暮しぶりに、独身で気儘な助監督〔=山田太一〕は襟を正すような思いをした。一緒の映画にたずさわっていたのに、そうではないような視点のちがいも感じた。作品のストーリーやテーマや台詞も演技もあまり関心がなく、万事が照明を通して語られ、なるほどそういうものかと内心ほとんどびっくりしていた。」
 
ここがまったく読めていなかった。「万事が照明を通して語られ」る、とはどういうことか。
 
それを気づかせてくれたのは、この本を読んだからだ。
 
紅谷愃一(べにたにけんいち)、『音が語る、日本映画の黄金時代―映画録音技師の撮影現場60年―』。ただもう圧倒されてしまった。

黒澤明『羅生門』を振り出しに、今村昌平のほとんどの作品、石原裕次郎、高倉健らスターたち、藤田敏八、神代辰巳、長谷川和彦の作品など、数え上げれば切りがないほどの映画に、録音技師として参加している。
 
そこで私は、雷に打たれるごとく気づいたのだ。これらの映画に、音響というものがなければ、これらは無に等しいことを(こういうことは、またブログに書く)。

紅谷愃一が関わった映画だけではない。たとえば『仁義なき戦い』も、『目撃者―刑事ジョン・ブックー』も、音楽、音響がなければ、魅力は半減どころかゼロである。

これは照明も同じことだ。山田太一の文章はこう続く。

「その思いの続きで俳優と話すと映画は俳優がすべて、衣装係と話すと作品を左右するのは衣装で、メイキャップの人と話すと、いかにメイキャップの上手下手が作品の質を決めるかを語るのだった。」
 
映画は、例えば本とは全然違う。著者が表に出て、編集が黒幕の元締で、校正、装幀、印刷、製作、営業を束ねても、映画全体と比べるとあまりに小さすぎて、それぞれがてんでに我がことを主張する、とまではいかない。
 
それにしても、そういうのを全部、束ねなければいけない監督というのは、一体どういう存在なんだろう。
 
そんなことをつらつら考えていると、横から田中晶子が、「でも」と言う。「音楽は監督と並んで、音楽だれそれとクレジットがあるでしょう」。
 
そうか、そうすると紅谷愃一の、『音が語る、日本映画の黄金時代』は、子細にもう一度読んで、考えなければならない。
 
この著者の仕事の本質とは、何だったのか。

(『月日の残像』山田太一、新潮社、2013年12月20日初刷)

青木正美のバラエティー・ブック――『昭和の古本屋を生きる―発見又発見の七十年だった―』(4)

「6 古本屋の船旅世界一周記」は、2006年4月4日に、青木さんが奥さんを連れて「飛鳥Ⅱ」に乗り、約100日間、北半球回りの世界一周紀行に出かけた記録。

「飛鳥Ⅱ」は今でもテレビで見ると、白亜の巨大な豪華船だが、このときは乗ってすぐに「中古のボロ船とわかった。」修理しながら、航海していたのである。
 
最後に、船会社の社長と船長に、ボロ船と文句を言う場面が出てくるが、「世界一周記」はおおむね充実している。

青木さん夫妻の写真が載っているが、奥さんのこぼれるような満面の笑みが、強く印象に残る。夫婦で撮られて、奥さんがこれほど素晴らしい表情をする場面はめったにない。
 
これは、車谷長吉と高橋順子の船旅世界一周紀行を、どうしても思い起こさせる。女房がにこにこして、亭主が一見、苦虫を嚙み潰しているのも一緒だ。この本が、青木さんのバラエティー・ブックだというのも、こういうところを指している。

「7 私の徒然草」は、『日本古書通信』に載せた「古本屋控え帳」のうち、かつて本にしたものを除いて、ほぼすべてを収録したもの。この章は本の半分を占めている。
 
これは『古書通信』の樽見博編集長が4つの章に分け、「A 思い出の章」、「B 諸文献の章」、「C 人物像の章」、「Ⅾ その他の章」と、存分に腕を振るっている。

ここでは一つだけ、「A 思い出の章」から。戦争末期の大空襲や、戦後すぐの風水害の記事が、いかにも歴史を思わせるが、それとは別に個人的なことで、「『現代大衆文学全集』の思い出」を挙げておく。

「敗戦直後が、私の読書体験の始まりだった。昭和二十年八月、私は国民学校六年生で、翌年お情けで行かせて貰った小学校高等科から拾われての中学三年生くらいまでの期間が、私の〝大衆文学〟体験だった。」
 
この当時は突然、学制が変更になっている。小学校を出れば働きに行くというのが一般的だったが、ひょんなことから、その上の学校へ行くことになった。
 
そこで文学体験があった。

「平凡社が昭和二年から七、八年にかけて、正続六十巻を出したあの『現代大衆文学全集』であった。これが私の社会を知る糧とも、その後の私が文学古書を扱う古本屋になるキッカケともなったと思われる。」(2004年2月号)
 
人の運命はわからない。大きな流れに揉まれていくようだが、それでも本人の意志による努力が歴然とある。青木さんは、本に導かれた一生である。私もそういうふうに生きたいものだ。
 
内容に亙るのはこのくらいにしておこう。青木正美さんと樽見博編集長は、出会うべくして出会った。青木さんの著書55冊のうち、樽見さんが編集したものは15冊を数える。
 
その最後に、このような内容の濃い「青木正美バラエティー・ブック」を作り得たのは、著者にとっても、編集者にとっても、この上ないこと、記念碑的なことなのである。

(『昭和の古本屋を生きる―発見又発見の七十年だった―』
 青木正美、日本古書通信社、2022年4月30日初刷)

青木正美のバラエティー・ブック――『昭和の古本屋を生きる―発見又発見の七十年だった―』(3)

「3 若き古本屋の恋」は、昭和28,9年の日記から。青木正美は20歳から21歳にかけてのころ。

「8 自筆年譜」を見ると、昭和28年にはこうある。

「五月、知り合いの区内高砂町の紅文堂書店主を訪ね、古本屋開業を相談、ゴミ本数百冊を分けて貰う。」
 
このとき初めて葛飾区に、古本屋を開業するのである。
 
これは恋愛日記である。青木さんはうぶで、キスするどころか手も握れない。
 
当時、石原慎太郎の『太陽の季節』が出ていたが、あれは上流階級の青春であり、青木さんの周りでは、ここに書かれた以上のことはなかった。青木さんの家庭は極貧だった。

「4 カストリ雑誌は生きている――町の古本屋の棚にみる性風俗40年の興亡」は『新潮45』に載ったもの。ご本人の弁を聞こう。

「多分これが当時の一般庶民の性欲の吐け口の一面で、それに乗った出版界、果ては古本屋の実態であった。いつか書いておきたいと、資料も充実した五十歳の意欲作だった。」
 
こういうのは新潮社齋藤十一が、人間の暗い側面を抉ったものとして、いかにも珍重しそうだ。
 
ただ昭和31年からの『奇譚クラブ』だけは、カストリ雑誌の中でも例外である。『家畜人ヤプ―』が連載され、三島由紀夫、埴谷雄高、澁澤龍彦らが、絶賛したからだ。
 
あるときまで、その覆面作家・沼正三は、新潮社で校正をしている天野哲夫だと噂された。私は筑摩書房の社員のころ、新宿の飲み屋で彼と親しくなり、一晩徹底して飲んで朝になった。愉快なまま別れたが、それ一回きりだった。

彼は2008年に死んだ。『家畜人ヤプ―』が誰の作なのかは、結局よくわからない。

「5 下町古本屋の生活と盛衰」は、古書店主、5人を前に、青木さんが喋った記録。

この会を主宰していたのは、古書肆「弘文荘」の反町茂雄である。反町は東大を出て、初めに神田の「一誠堂書店」に就職した。東大出の古本屋小僧は、世間を驚かせた。反町が扱ったのは古典籍で、青木さんの下町の古本屋とは、世界が違っている。

反町は好奇心旺盛で、何でも聞く。

「反町 よく建場〔たてば〕建場と、一部の業者の人たちがいいますが、私などには、どうもその実体がハッキリと判らない。建場ってのは何ですか。店ですか。」
 
店ではない。一般的には「屑屋」などが集まって、その日買い歩いた品物を売りさばく、一種の問屋である。

「反町 なるほど、よく判りました。そこで屑の山の中から選り出した本や雑誌の値段を決める人は、誰れなんですか。建場の主人ですか。」
 
次の青木さんのセリフに、反町は仰天してしまう。

「青木 目方です。貫目ではかるんです。 
 反町 一貫目いくらで売買するんですか。
 青木 そうです。
 反町 内容とか、美醜とか、学問的価値とかには、一切無関係に?
 青木 そうです。中味などは一切頓着なし。」
 
これをどう考えればいいか。反町はただただびっくりしてしまう。

「反町 そりゃあ、またサッパリしたものですね。われわれは殆ど考えられない。じゃあ、本でも雑誌でもなく、ただの紙なんですね。」
 
この章は青木さんの、戦後から現代までの個人史を、古本屋の歴史を巧みに交えて語ったもので、何度読んでも飽きさせない。

青木正美のバラエティー・ブック――『昭和の古本屋を生きる―発見又発見の七十年だった―』(2)

昭和42年8月10日、青木さんはそれほど期待もせずに、「田村泰次郎雑資料」を手に入れる。その中に「田村泰次郎・戦線日記」があった。(「1 田村泰次郎の戦線手記」)
 
田村は昭和15年に、中国・山西省に派兵される。なぜこのような日記が書けたのだろうか。青木さんは「田村がこれを書いたのは、明日の生死さえわからぬ中での本能的作家魂のゆえだったのだろう」という。
 
しかし物理的に、日記を書くなどということが可能なのか。私にはわからない。
 
田村の戦争は、敵と戦うだけではない。

「この険しい山ばかりの地形と、この物凄い寒気とも戦はねばならない。いや、むしろ敵と戦ふことは時間的に見れば、わづかの間であるが、それとくらべると、このちよつと想像出来ないやうなすさまじい気候風土との戦ひの方は一瞬もやむことはなく、その方がどんなにひどい困苦であるかわからない。」
 
戦争の実相は、例によってこんなものだ。これは本を読む人にはわかり、読まない人にはわからない。

「山の行軍はまた何とも言へない苦しさである。崖をのぼるのも、崖を下るのも。まるで死にもの狂ひである。しまひには足があがらなくなり、ほんの小さな石ころにもつまづいて、ばつたり倒れる。倒れて、しばらくじつとそのままゐて、起きない兵がある。」
 
日本軍の戦争は、大陸方面も南方諸島もこのようなものだった。末期になると、ここに凄まじい「飢餓」が襲ってくる。大半の「戦死」の実態である。

青木さんは「付記」に、こう記している。

「この昭和十五年から八十年経ち、今や戦争は資料や想像でしか書かれない。そういう意味からも、田村が帰還後に書いたものではない実戦描写や戦友たちの会話、合間に吐露されるゆれる心情、つぶやきなど、メモの貴重さは計り知れない。」
 
確かにその通りだが、それもそういう本を読む人に限った話だ。そうでない人が、官僚や政治家、内閣や、一国の首相であったりすると、本当に悲惨だ。どこまでも勇ましく、観念の世界で国防を考える。

『肉体の門』は、昭和22年3月号の「群像」に掲載され、2か月後に単行本が雪花社から出版され、売上は120万部を超えた。
 
青木さんはこんなことを書いている。

「〔田村泰次郎の〕『崩れた街にて』の載る『中央公論』二十四年新年号表紙には、今さらながら驚かされる。〔雑誌の表紙にあるように〕荷風・谷崎と並んでいて、この四、五年、確かに田村泰次郎時代があったのである。」
 
私は若い頃に『肉体の門』を読んだ。しかし、ボルネオマヤが全裸でリンチを受ける場面以外は、ほとんど覚えていない。

「2 永六輔の時代」は、青木さんと同じ昭和8年(1933年)生まれの永六輔が、多方面で活躍するのを、共感をもって追ったもの。
 
永六輔は、『上を向いて歩こう』や『こんにちは赤ちゃん』の作詞で、「純粋にしゃべる言葉で書いた最初の人」ではないか、といった鋭い指摘もある。
 
青木さんは、矢崎泰久の言葉に同じ思いをする。

「〔永六輔の〕徹底した反骨精神は反権力、反権威につながっている。叙勲制度には反対の立場を貫いた。理由として『天皇制に反対です』と堂々と言った。天皇は嫌いではない。むしろ同世代という連帯感もある。しかし軍国少年だった頃の屈辱感は消えることはなかった。」
 
3人とも昭和8年生まれなのである。

青木正美のバラエティー・ブック――『昭和の古本屋を生きる―発見又発見の七十年だった―』(1)

これは46判570余ページの本だが、いわば青木正美のバラエティー・ブックである。そしてこれが最後の本である、と89歳の著者は言う。
 
最初に口絵が8ページ入っている。
 
1ページ目が「著者旧蔵の三文豪原稿」とあって、夏目漱石(「明暗」書損じ原稿)、谷崎潤一郎(「吉野葛」原稿1枚目)、江戸川乱歩(「鏡地獄」〈本人の改作版〉原稿)の3枚が並んでいる。青木さんは、作家の肉筆原稿の収集でも有名だ。
 
今となっては原稿用紙は、もうほとんど使われない。思わず「三文豪」の、書き込みのある原稿に見入ってしまう。
 
次の見開きは、青木さんの著書が8点並べてあり、それぞれにコメントが付けられている。

『「悪い仲間」考』だと、「芥川賞作家・安岡章太郎邸から払い出された資料から、仲間にもう一人の同賞作家がいたことが判明。」とか、『文藝春秋 作家原稿 流出始末記』であれば、「出版社『文藝春秋』から流出した『砂の女』などの自筆原稿の行方が明らかになるまでの苦心談。」
 
ほかに『知られざる晩年の島崎藤村』、『幻の一葉歌集追跡』、『夢二 ヨーロッパ素描帖』、『古本探偵追跡簿』、『古本探偵覚え書』、『ある「詩人古本屋」伝―風雲児ドン・ザッキーを探せ―』の6点である。そしてこれ以外にも、名著は数多い。
 
4,5ページは見開きで、葛飾の「アオキ書店」の昔を、モノクロで懐かしむ。最初は自転車屋と古本屋を兼業していたのだ。

次の見開きは、この本で扱う「田村泰次郎の戦線手記」資料で、子どものときの絵日記や同人誌、そして宣撫班の兵士のころの写真。

最後の8ページ目は田村泰次郎の続きで、「『肉体の門』上演時のパンフレット」と、『続肉体の門』の、肉感的な女性を描いた「日劇小劇場パンフ」である。
 
田村泰次郎は本文でも記されるように、「中央公論」24年新年号に、荷風、谷崎と並んで表紙を飾っている。

「はじめに 目次を兼ねて」で、以下の八篇が入っている。

  1 「田村泰次郎の戦線手記」

  2 「永六輔の時代」

  3 「若き古本屋の恋」

  4 「カストリ雑誌は生きている
       ――町の古本屋の棚にみる性風俗40年の興亡」

  5 「下町古本屋の生活と盛衰」

  6 「古本屋の船旅世界一周記」

  7 「私の徒然草」
      A 「思い出の章」
      B 「諸文献の章」
      C 「人物像の章」
      Ⅾ 「その他の章」

  8 「自筆年譜」

これまで青木正美を読んできた人であれば、ここには著者の多面的なところも、また歴史的なところ、個人史的なところもよく表われていて、青木正美を堪能できる、つまりバラエティー・ブックになっていることがわかる。

「経済人」のみが納得する?――『株式会社の終焉』

水野和夫は『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)が評判になった。

しかし私は読んでいない。「資本主義の終焉」なら、斎藤幸平も言っている。それだけでなく、何人も言っているに違いない。
 
経済のことは皆目わからないが、資本主義国は全般に苦しそうだ。とくに日本は、国に大借金があり、また日銀の黒田という人の、利子をつけるなという頑なな姿勢が、「資本主義の終焉」を感じさせる。
 
そこへ今度は『株式会社の終焉』である。
 
今から25年くらい前に、東京駅近くの喫茶店で養老先生と話していて、私はそういうことを言ったことがある。
 
これは、出版社を株式会社にするのは止めたら、というつもりだった。ほかの会社のことは知らない。出版社に限って、そういうことは止めたらどうか、と言ったのだ。
 
先生は即座に、それがいい、と仰った。
 
面倒な議論は略すが、出版物そのものの価値と、それが売り上げる利益とは、直接の関係はない。いわば水と油のようなもので、法蔵館東京事務所の所長としては、とことん往生していたのだ(それでも四苦八苦して毎年黒字にもっていったが)。
 
それで『株式会社の終焉』を読んだのだが、これはどうも勝手が違った。私に分かるところでは、良いことも書いてある。

「現在の21世紀は、成長の積み重ねの上にあるわけではありません。成長を目指せば目指すほど、21世紀の潮流とずれてしまうのです。これから70年の間で、22世紀の勝負はついていることを認識することが最も重要です。」(「はしがき」)
 
で、本文に入ったところで、全体の9割は意味不明なのだ。例えばこういうところ。

「世界の供給力が圧倒的に高くなって、貨幣数量説が想定する完全雇用の世界は存在しませんし、中央銀行が量的緩和で増やしたマネーストックは『電子・金融空間』に流れるのですから、単純に【貨幣数量(マネーストック)M】→【一般物価指数P】の連関が働いて財・サービス価格が上昇することにはならないのです。」
 
全体のうち9割はこの調子だから、いや、この調子かどうかも分からないくらい、意味不明だから、ところどころ分かる個所を拾って読む。

「中央値の数字が減少しているということは、100世帯中少なくとも50以上の世帯でこの10数年間、金融資産を減らしているということです。
 すなわち、トリクルダウンは生じていない。したがって、円安・株高政策を採用するアベノミクスは『資本帝国』の政策なのです。」
 
これも、現状がうまくいってないことを、経済用語を用いてそれふうに言い直しただけだ。

「帝国には必ず『中心』があります。現在の資本帝国の『中心』はウオール街です。だから、NYダウはリーマンショック前の高値を超えて、史上最高値を更新中なのです。」
 
これもNHK・BSニュースを見れば、言われなくとも、一目瞭然である。

それにしても「経済人」というのは、不思議な考え方をする。

「近代みずから、高度化・複雑化することで、売上(アウトプット)にコスト(インプット)が見合わなくなってきている。より少ないインプットでより多くのアウトプットを生み出すことが経済合理性なのですが、もはや経済合理性がイノベーションと出生率において破綻しているのです。」
 
全体を見れば、なるほどという気もするが、一人一人を見れば、仕事をするときも、子どもを作るときも、こんなことは考えない。
 
最後に本書で主張したいことが、端的に上がっている。

「あらゆる思考のベースを、近代システムのベースである『より速く、より遠く、より合理的に』から、『よりゆっくり、より近く、より寛容に』にしていくことです。
 これを株式会社に当てはめれば、毎年毎年、増益計画を立てるのではなく、減益計画で十分だということです。資本を『過剰』なまでに蓄積して『より速く』行動することは、将来の不良債権を積み上げていることに等しいからです。」
 
しかし世の経営者が、この本に書いてあるようなことで説得されるのは、難しいと思う。

(『株式会社の終焉』水野和夫、
 ディスカヴァー・トゥエンティワン、2016年9月30日初刷、2017年1月20日第5刷)

新宿にあった店――『聖子―新宿の文壇BAR「風紋」の女主人―』(4)

第1次「風紋」が開店したときのスケッチ帖があり、そこには伊藤信吉、檀一雄、高見順、十返肇、北原武夫などの名前が散見される。
 
筑摩書房の古田晁、唐木順三、臼井吉見、平凡社の創業者、下中弥三郎と、息子の下中邦彦社長なども来ている。
 
聖子さんの印象に残るのは檀一雄だ。カウンターに入り、包丁とまな板を借りて、鍋で煮込んでタンシチューを作ったりした。ニンニクとショウガとネギは持参で、大きな塊で火が通るのに時間がかかった。

「こっちは夜の仕込みがあるから、檀さんにガス台を占拠されて大迷惑なんだけど、まあいいか、と。お客様には昨日の残りのおつまみとか、檀さんの作ったお料理を出したりして。かなりクセのある料理ね。でも檀さんのお料理の分はお客様にいただけないでしょう。ただで振舞うしかなくて、結局は赤字。檀さんとしては、私を助けてくださったつもりかもしれないけど」

『檀流クッキング』である。しかしこの場合、店が客から取らないというのは、僕は初めて聞いた。一般にそういうものなんだろうか。
 
第2次「風紋」ができたのは、昭和41(1966)年7月7日。それで4坪の店が13坪になった。
 
筑摩書房は、昭和39(1964)年に創設した太宰治賞の2次会を、必ず「風紋」でやった。古田晁がそういうふうにした。

「初期の受賞者・候補者の方たちは来られています。吉村昭さん、宮尾登美子さん、加賀乙彦さん。吉村さんはその後もなんども来てくださいました。吉村さんはおうちが吉祥寺で、新宿が近いし、バーで飲むのがお好きでした。『僕が一人で飲みに行くと、番頭か、刑事と間違えられる』とおっしゃってました」
 
吉村昭は真面目な顔をして、おかしいことを言う。
 
聖子さんは昭和43(1968)年、子どもが生まれるので婚姻届を出し、昭和48(1973)年に離婚している。しかし男とは、その後も付き合いは続いた。聖子さんはどのような場合も、自分から付き合いを断つことはしない。

子供が生まれたときは、『風紋』にバイトに来た女子学生を、ベビーシッターに頼んでいる。

「店が終わって帰ると夜中の一時過ぎで、子どもは眠っていた。朝はつらかった。朝ごはんを食べさせて幼稚園に送っていき、家に帰って私はまた寝ましたよ。それでも電話なんてかかってくるとおちおち寝てられない。煙草を吸ってたから朝は声が出なくて」

昭和44(1969)年7月、第3次「風紋」ができる。僕が知っているのは、この地下にある店だ。間接照明の、格調高いシックな店だった。

これまでに挙げた以外の客を、本に出てくる順に、アトランダムに挙げておく。
 
長部日出雄、色川武大、高橋昌男、大島渚、吉田喜重、浦山桐雄、増村保造、立原正秋、三浦哲郎、井伏鱒二、山田吾一、森崎東、安田武、田村隆一、神彰、康芳夫、矢牧一宏、竹内好、橋川文三、井上光晴、石垣綾子、安岡章太郎、宗左近、鶴見良行、丸山真男、藤田省三、阿部昭、坂上弘、後藤明生、高井有一、柏原兵三、田久保英夫、黒井千次、笠原淳、草野心平、古井由吉、大岡信、中上健次、洲之内徹、中村直人、土門拳、中原佑介、針生一郎、瀬木慎一、種村季弘、石堂淑朗、松山俊太郎……。
 
2018年6月25日、「風紋」閉店。
 
こうしてみると、優れた飲み屋、バーは、まことに時代の華だと思う。
 
森まゆみは「あとがき」にこう書く。

「あらゆることを聖子は父ゆずりの融通無碍なアナキズム精神でさっぱりと受け入れてきた。」
 
そういうことである。だから『聖子』は「風紋」以前のところに力点があり、森まゆみはそこのところを、余すことなく書き尽くした。
 
林聖子は本が出たのち、2022年2月23日、93歳で亡くなった。

(『聖子―新宿の文壇BAR「風紋」の女主人―』
 森まゆみ、亜紀書房、2021年11月1日初刷)