伴侶を失うということ――『月夜の森の梟』(3)

夫を亡くした後、小池真理子は日常生活に戻っていく。編集者から電話が掛かってくれば、明るい声で応答する。笑いもするし、冗談も言う。周りの人にとっては、夫の死は少しずつ遠ざかっていくものなのだ。しかし、著者にとっては違う。

「私はといえば、夫の闘病と死を経験している間に、自分の日常と、自分を取り囲んでいる外部の日常とがかみ合わなくなった。着ているもののボタンをかけ違えたまま外出し、直したいのに直せない時のような、背中に匕首を刺されたまま、笑顔で人と接しているかのような、そんな違和感が抜けない。
 外部を流れていく時間と、自分の中を流れる時間との間に明らかなずれがある。」(「桜の咲くころまで」)
 
身内を亡くすというのは、この「ずれ」を経験することなのだろう。
 
これが事故で親が子を亡くす、いわゆる逆縁というような場合には、ついに終生、その「ずれ」から抜け出られないのだろう。
 
夫は50を越えてから、自伝的な長編小説を書いた。『愛さずにはいられない』である。

「彼は支配欲の強い母親に育てられた。母親に息子を愛する気持ちはあったろうが、支配するかたちをとらねば満足しない。一人っ子で、経済的には何不自由のない家庭だったものの、彼は幼稚園のころから、母親との関係に絶望していた。そんな母親をうまくコントロールしてくれなかった父親に対しても。」(「愛さずにはいられない」)
 
これは単行本でも、文庫になってからも、書評家や読者には顧みられなかった。それが版元を替えてふたたび文庫化される(新潮文庫)。もちろんこれは、小池真理子の力が大きいだろう。

そして藤田宜永を夫に選んだのは、この「家庭は諸悪の根源」というところが大きい。

「正常な生殖機能をもっているのに、子どもを作らずに生きる、と私が決めたのは十代のころからである。理屈や流行りの思想がそうさせたのではなく、私自身の深部から生まれたもの、嘘偽りのない感覚に近いものだったため、完全な理解を示してくれた夫との出会いは喜ばしかった。」(同)
 
なぜ夫が、「家庭は諸悪の根源」と思っていたかは、『愛さずにはいられない』を読んでみなければわかるまい。
 
小池真理子が子どもを持つことを嫌ったのは、「深部から生まれたもの、嘘偽りのない感覚に近いもの」だったというだけでは、私にはわからない。
 
小池真理子はその後、遺骨を埋葬していない。

「夫の墓はまだ用意できていない。世界中にはびこる疫病のせいで動きがとれないことを言い訳にし、相変わらずぐだぐだしながら、遺骨と共に暮らしている。」(「バード・セメタリー」)
 
ここは言い訳通り、ずっと遺骨と居たいだろう。こういう人は、私の知り合いにも何人かいる。
 
小池真理子は、夫の病気がはっきりしてからは、仕事から遠ざかった。ただ一つ、脱稿できない書き下ろしの小説が、懸案として残った。そして、やがて夫が死んだ。

「くだんの書き下ろし長編小説は、長い歳月と夫の闘病、死などの苦しかった時期を経て、今月二十三日、新潮社から無事に刊行の運びとなった。タイトルは『神よ憐れみたまえ』である。」(「神にすがる」)
 
こんなに苦しい時期を乗り越えて完成したのだ。これも必ず読まねばなるまい。
 
小池真理子と藤田宜永は、森の中でひっそりと、小説を書いて暮らした。

「元気だったころ、派手な喧嘩を繰り返した。別れよう、と本気で口にしたことは数知れない。でも別れなかった。たぶん、互いに別れられなかったのだ。
 夫婦愛、相性の善し悪し、といったこととは無関係である。」(「かたわれ」)
 
ここが大事な点である。この2人の秘密を物語っている。

「私たちは互いが互いの『かたわれ』だった。時に強烈に憎み合いながらも許し合い、苔むした森の奥深く、ひっそりと生きる野生動物の番(つが)いのように、互いがなくてはならないものになった。『かたわれ』でなければ、そうはならなかった。」(同)
 
だから半身として残された小池真理子は、欠落を何とか埋めるために、まだ長い年月を要するだろう。

(『月夜の森の梟』小池真理子
 朝日新聞出版、2021年11月30日初刷、2022年1月20日第4刷)

伴侶を失うということ――『月夜の森の梟』(2)

小池真理子は、夫のガンが深刻だと分かってからは、それまで読まずにいた本を買い漁った時期がある。いずれ迎える事態に向けて、心の準備をしておこうと思ったのである。

「その種の本……『喪の心理と回復』について書かれた本は、専門家や宗教家、心理カウンセラー、体験者など、様々な立場の人によって書かれ、数多く出版されている。少しでも参考になるものがあれば、と思いながら読み進めたのだが、残念ながら、私にはどれも陳腐にまとめた理想論にしか感じられなかった。」(「受難と情熱」)
 
小池真理子は、心の準備をしておきたかった、というのは建て前で、本当のところは、「何かにすがりたい、いたたまれない」、と思う気持ちのほうが強かった。
 
しかしそういう本は、必ずしも陳腐なだけではなくて、小池真理子には向いていなかったと思われる。

「死が迫っている百人の病人とその家族には、百通りの人生があり、百通りの人格、関係性がある。どれひとつとして、同じものはない。死はすべて個別のものだ。喪失の哀しみから立ち直るための理想的な、唯一絶対の方法など存在しない。それを改めて思い知らされたことだけが収穫だった。」(同)
 
だから例えば、宗教に縋ろうとしても、それはできない。そういう人にとっては、というのは、身内を亡くした人にとっては、小池真理子の文章を読むことが、一番の慰めになるだろう。伴侶を亡くした人にとっては(これは誰でも絶対に起きることだが)、最善の心の準備になるだろう。
 
藤田宜永は、死んでも絶対に別れの会はやるなといった。これは車谷長吉もそうだった。お別れ会だけでなく、葬式もやってくれるなという。遺骨はそこら辺のごみ箱に捨ててくれ、作家は残した作品がすべてである、と。

編集者は一般に、別れの会が好きである。私の場合はちょっと変則的だが、8年前の、脳出血から退院したときのパーティが、それだった。

宗教学者の島田裕巳さんは大学の同級生だが、このとき名言を吐いた。「これは中嶋の生前葬だな。」それはトランスビューを辞めるときでもあった。

つまり、お別れ会をしないとけじめがつかなくて、落ち着きが悪いのだ。
 
小池真理子の夫は、A4のコピー用紙に箇条書きで、8項目の遺書を認めた。その中に、お別れの会は絶対にやるなと言い、もしそういう人が出てきたら、この遺言書を見せればよいといった。

ただ、夫は字が下手だった。よく言えばヘタウマ、小学生みたいな文字は、愛嬌があるといえばあった。

「少年のような文字が横書きに連ねられ、しかも、書き違えて訂正したところには、それぞれ紅い拇印が押されている。あまりにも丁寧にべったりと押しすぎて、遺言というよりも血判状を思わせたが、血判状にしては文字が幼すぎた。」(「お別れ会」)
 
だから小池真理子が、「お別れ会はやるな」というのを見せれば、死んだ人間の遺書を前にして、思わずお互い笑い合うことになる。そうしてこれは、幸福なことだった。
 
夫はまた一時期、大学時代に、シャンソンを中心にギターの弾き語りで、アルバイトをしていたことがある。
 
そのときの芸名は「ジュネ・藤田」。ジャン・ジュネにちなんだものだ。故人をしのぶ本で申し訳ないことだが、捧腹絶倒である。

「その馬鹿馬鹿しさは今も仲間うちの語り種になっている。」(「シャルル・アズナブール」)

伴侶を失うということ――『月夜の森の梟』(1)

小池真理子のこの本は、妻が美容院で女性雑誌を見ていると、書評家の佐久間文子さんが、2021年の3冊に挙げていたという。
 
佐久間文子さんは元朝日新聞の記者で、書評ページの編集長だった。この人の夫君は、おととし急逝した坪内祐三で、佐久間さんは去年、『ツボちゃんの話―夫・坪内祐三―』を書き、私はそれを朝日新聞のWebronzaで、その年の収穫として挙げた。
 
その佐久間さんが、小池真理子が夫・藤田宜永のガンによる死について書いたものを、去年の収穫に挙げているのだ。これは読まねばなるまい。
 
妻が最初に読んだ。伴侶の死をどう受け入れるか。順当にいけば私が死んで、自分一人になるわけだから、佐久間さんや小池真理子にならって、予習しておくのも悪くない、と思ったかどうか。
 
この本は3ページの短文が50本と、前書きと後書きに相当するものが付いている。
 
夫の死を受け入れるために書いているのだから、それをそのまま読んで、深いところで納得すればいい。ほかに何も付け加えることはない。
 
ということを前提にして、ところどころ抜き書きしておこう。
 
著者が一人残されてどら焼きを食べていたとき、生前、夫は、お前は泣きながら思い出話をしつつ、饅頭を2つも3つも食えるんだ、だから全然心配してない、と言ったことがある。

「そのことをふと思い出した。可笑しくて可笑しくて、気がつくと嗚咽していた。笑いながら嗚咽する、というのは、けっこう腹筋を使うものだということがよくわかった。」(「梟が鳴く」)
 
面白い。ぐっとつづめて言えば、伴侶の死を受け入れるためには、腹筋を使うことが大事である、と。
 
2人で暮らし始めるとき、都内の不動産屋に行った。夫になる男がトイレに立ったとき、不動産屋は言ったものだ。

「まだ間に合います。あの人はやめたほうがいい」
 
いやあ、捧腹絶倒ですな。フランス帰りのキザな奴、そう見られていたに違いない。

「男は占い師然とした顔つきをして首を横に振り、『嘘は言いません。やめたほうがいい』と重々しく繰り返した。ドリフターズのコントみたいだった。」(「作家が二人」)
 
小池真理子はそのことを、藤田宜永に言ったのかどうか。不動産屋はよほどのことがない限り、部屋を借りる男女の中には立ち入ってこない。そう思うと、よっぽどのことですなあ。
 
夫が放射線治療を受けていたころ、照射したところに紫外線を当てないよう、つばの広い麦わら帽を、彼の運転で買いに行ったことがある。

「その時、帽子売り場の横にあった安物のアクセサリーコーナーで、私が九百八十円のイヤリングを買ったことなど、つまらないことばかり思い出されてくる。」(「降り積もる記憶」)
 
本当にまったくつまらないことだ。980円のイヤリングなんて、どこへも付けて出られないだろう。どうして、そういうものを買おうとしたのか、謎だ。
 
彼は結婚したのち、ピアノを弾き始めた。ピアノを弾くことが、こんなに楽しいとは知らなかった、と言って。
 
ガンの再発がわかってからは、それもほとんどなくなっていた。
 
あるとき小池真理子は、ふと手を止め、耳を澄ました。

「一九七一年に大ヒットしたニルソンの名曲『Without You』が、力のない歌声と共に聞こえてきた。うまく弾けるという理由で、ここ数年、彼の十八番になっていた曲だ。
『君なしでは生きていけない……』
 いつもの得意曲を弾いて歌っただけのことなのに、出来すぎた芝居の演出のように感じられた。彼の歌とピアノ演奏を聴いたのは、それが最後になった。」(「Without You」)

「Without You」はそういう曲だ。私はYouTubeで、マライア・キャリーの歌で聴いている。何度聞いても飽きない。たまに誰もいないときは付いて歌う。マライア・キャリーは、ニルソンとは違って、最後のところで小節を効かせる。そこが難しい。
 
たまに妻が聞いていると、「よっ、浪花節」と言われる。でも、あきらめない。少しずつ進歩していけばいい、また進歩しなくて、「浪花節Without You」でもいい。そういう曲だから。

もし僕の母がそうだったならば――『私がヤングケアラーだったころ―統合失調症の母とともに―』(3)

前回、私が法蔵館にいたとき、山中康裕先生に『季刊仏教』に書いていただく話をしたら、1月20日に、法蔵館の会長・西村七兵衛さんが亡くなった、という知らせが来た。『季刊仏教』はこの人が社長のとき決断をして、東京事務所でやろうということになったのだ。

13年間、言い争いもしたが、力を合わせることは多く、ずいぶんお世話になった。編集以外の出版の仕事も、教えてもらった。だからその後、トランスビューを創ることができた。

法蔵館の13年がなかったら、私はもっと早くに、出版界から足を洗っていただろう。「恩人」という言葉以外には、何も浮かばない。

ところで、林真司の母親が統合失調症になったのは、その母親、つまり著者の祖母との確執がある。ここでは簡略に書くが、そこはこの本の読ませどころにもなっている。
 
母親の家は旧家であり、そこには田舎の家の毒が濃縮されて詰まっている。悪人もいれば、自殺者も出る。

「私の母を重病人にし、せっちゃん〔著者の従姉〕を自死に追いやった背景には、一族に通底する病理が存在する。ここでは触れぬが、他にも心を病む者が、親類には複数いる。これは偶然ではない。病みきった家庭環境の息苦しさ、不自然さが一人一人を追い詰めていく。その問題を直視しなければ、今後もせっちゃんと同じような悲劇が、繰り返し起こるに違いない。」
 
ここは、もう少し描きこんでも、よかったんじゃないか。著者がヤングケアラーだったとき、というこの本の組み立てが、変わってしまうかもしれないが。
 
あるいは、これとは別の本で書いてほしい。旧家のドロドロとした、前近代としか言いようのないもの、自殺者や精神に異常をきたすものが次々に現われる、それはいったいどういうことか。
 
林真司は民俗学者であろう。しかし民俗学は滅びかけている、いずれ世界を相手にした、文化人類学に吸収されてしまうだろう、と言われる。
 
しかしそういうこととは別に、旧家を舞台に取った、それぞれの人物の内面までを明るみに出した、新しい民俗学を生みだしてほしい。
 
これを文学ではなく(文学なら車谷長吉がやっている)、民俗学でやれれば画期的だ。これは、胸をえぐる、心さわぐ民俗学だ。
 
それとは別に、精神疾患をどうとらえるか、という問題もある。「精神病」は遺伝病であるという偏見が、相変わらず支配的である、と著者はいう。

「そこから色眼鏡で本人やその家族を蔑視するわけである。だがこれは短慮というしかない。精神疾患は、けっして遺伝病ではなく、むしろ人と人との関係性に由来する病である側面が強い。条件さえそろえば、誰もが当事者になりうる可能性がある。自分事として捉える視点こそが、この病を考える上においては、非常に重要である。」
 
これは必要条件と十分条件の違いに、よく似ていると思う。精神疾患は条件が揃えば、遺伝病でなくても発病する。しかし明らかに遺伝性のものもある。これはどうしようもない。とはいっても究極は、個人個人で見ないといけないものなのだが。
 
精神疾患の話とは別に、大きな視点で見ると、今の社会がどういうものを目指しているかが見えてくる。

「これからの日本社会においては、多様性が最も重要なキーワードとなるに違いない。様々なルーツや背景を持つ人たちが、社会で活躍するのが当たり前のことになる。それはナショナリティに限らず、心身に障碍を持つ人たちにとっても同様のことであろう。健常者だけが、世の中の主役である社会は息苦しい。」
 
健常者でない私にとっては、力づけられる言葉だが、そういうふうに社会が転換するには、まだずいぶんかかるだろう。このブログも、だから書き続けているのだ。
 
最後に、林真司の母親はずいぶんよくなって、老後は穏やかに暮らしているそうだ。

(『私がヤングケアラーだったころ―統合失調症の母とともに―』
 林真司、みずのわ出版、2021年12月25日初刷)

もし僕の母がそうだったならば――『私がヤングケアラーだったころ―統合失調症の母とともに―』(2)

林真司はそれでも、何とか立ち直ることができた。中学・高校で、師と呼べる人と出会ったから。そして予備校に1年通って、龍谷大学経営学部に合格できた。
 
思春期に師、先生と出会えたのは、林真司がどこか光るものを持っていたのか、それとも偶然良い人に出会ったのか。そういう人と人との結びつきは、謎であるほかはないが、それでも気にかかる。そこが人生の不思議である。
 
龍谷大学で心理学の授業があり、その授業を担当する先生に、母の病気について相談してみようと思いつく。
 
その先生は、突拍子もない著者の母の話にとまどいながらも、京都大学教育学部に開設されている、心理教育相談室というところを紹介してくれた。
 
そこで相談したのが、山中康裕だった。山中康裕は当時、京都大学助教授で、40歳過ぎの新進気鋭の研究者だった。
 
私(ここからは「私」に代える)は法蔵館で、『季刊仏教』という雑誌を作っていたときに、山中先生に2度、原稿を頂いている。どんな内容かは忘れてしまった。東京で編集しているので、京都の山中先生にお会いすることはなかった。
 
著者は山中先生に会って、世界が開けるのを感じた。というよりも、そうすることでしか、母の病気がよくなる道はなかった。著者は細い道を手繰るので、必死であった。

「母はずっと不安定な状態で、話す内容も支離滅裂である。そんな調子だから、病院への行き返りに、電車に乗るのがつらかった。車内で一人意味不明な話を大声でする母を、周囲は怪訝そうに見る。冷たい視線が、私たちに突き刺さるようである。それでも、毎週大阪市内から、京都まで通い続けた。」
 
母親の病気が発症する小学6年くらいから、著者の顔は左右の温度が、運動をした後などに、極端に変わるのだった。冬にはそれが目立ち、右側は真っ赤なのに、左は寒気で冷え切って青白くなる。鏡に映すと、左右があまりに違い過ぎる。友達がそれを見て、ぎょっとする。病院で検査をするが分からない。
 
山中先生は、それは心に関係があるのではないかと指摘した。

「山中先生は、顔の左半分が赤くならず、汗もかかないことは、重要な意味があるのではないかとおっしゃった。私は小学生の頃から、母の病気を背負い込み、何とかしなければいけないと思い続けてきた。表向きは平静を装い、周囲から家庭の問題を悟られぬようにふるまい続けている。しかし、自分の内面が抱える負担は過大である。そうした困難をコップの水に例えれば、すでに容量を超えて、大量にあふれ出している状態ではないのか。でも対外的には、何事もないようにふるまい続ける自分がいる。しかし心は悲鳴を上げている。」
 
顔の左半分が赤くならず、汗もかかないのは、そうして自分を守ろうとする心の働きではないか、と山中先生は言った。

「それから三十数年が経ったが、いまもって顔の半分は紅潮せず、汗もかかない。」
 
こういう文章を読むと、しばらくは言葉が出てこない。

もし僕の母がそうだったならば――『私がヤングケアラーだったころ―統合失調症の母とともに―』(1)

著者は林真司。出版社は、みずのわ出版。発行者は柳原一德。版元の住所は、山口県大島郡周防大島町西安下庄庄北二八四五、瀬戸内海の小島である。
 
柳原一德さんはここで、みかん農家と出版業を兼業している。
 
もちろん零細出版社や一人出版社は、北海道から沖縄まで、それこそ無数にある。しかしその中で、柳原さんは本づくりにかけては、この時代の何本かの指に入る人だ。
 
疑うものは、柳原一德著『本とみかんと子育てと―農家兼業編集者の周防大島フィールドノート―』という、A5版・650ページの本を見よ。文字組もそうだが、写真の入れ方がまた素晴らしい。この人は写真学校も出ているのだ。
 
今度の林真司の本も、文字組が素晴らしい。人は見た目では分からないが、本は見た目が10割である。柳原さんの実のある本に対して、デザインの技を駆使してゴテゴテと飾った本は、一瞬目を引くが、すぐに飽きられる。
 
さっそく読んでみよう。
 
林真司は今でいうヤングケアラーだった。しかしその母は、生まれつき統合失調症だったわけではない。

「私が小学六年生だった一九七五年頃から二〇年以上、いや厳密には今に至る四六年間にわたり、母(林好子、一九三五年生)は統合失調症(旧病名は精神分裂病)を患っていた。当初は、病状が非常に悪く、日常生活が全く成り立たなくなっていた。入退院を繰り返すものの、一時的によくなっているように見えても、すぐに元通りに、いやそれ以上に症状が悪化していくように感じた。」
 
父親は早くに亡くなり、妹と2人、なすすべがなかった。

「ちょうど中学に入学したばかりのころ、母は自宅で朝から晩まで錯乱していた。私は学校に行く気力が無くなり、最初の一ヶ月間は不登校が続いた。」
 
当然、劣等生の著者は完全な落ちこぼれで、問題行動も多く、周囲に迷惑をかけていた。

「思い出すのも心苦しいが、仲間に暴力をふるうこともあった。あろうことか、女子生徒に手を上げるような、卑劣なマネも平気でした。全くのクズである。」
 
まあしょうがない。自分をその身に置いてみれば、と言っても置くことはできないが、それでも無理に置いてみれば、どうなっていたのか。やはり想像もつかない、というのが本当の答えだろう。

「母の病気に翻弄されながら、いつも同じようなことばかり考えている自分がいた。
 ――こころはいったいどこにあるのか。あるとしたら、どんな色でどんな形をしているのだろう。
 心に実体があるわけではないのに、母はその『こころ』を病んで苦しんでいる。」
 
中学に入ったばかりの子が、そういうことを考えている。
 
ここは別れ道だ。そういうことを考える子と、そこから逃れたくて、別のことを考える子と、あるいは何のことも考えず、ひたすら逃げ出すことを考える子と。
 
僕はどっちだろう。3番目の、ひたすら逃げる方ではないかと思う。

遅ればせながら――『キャリー』

僕はリハビリ用に朗読をしている。最初の2年ほどでかなり向上したが(どこがどういうふうに、というのは自分にしかわからない)、それ以降は相変わらず、つっかえるところはつっかえて、あまり向上しない。でもほんの数ミリでも前進していると思いたい。
 
今の自分と1年前の自分を、客観的に比べられればいいのだが、そうはいかない。それにもし比べることができて、まったく何の進歩もしていないということになれば、やる気が失せてしまう。こういうときは、常に楽観的に行くほかはない。
 
朗読に用いる本は、高橋順子『夫・車谷長吉』、若菜晃子『街と山のあいだ』、山田太一『月日の残像』、坪内祐三『新・旧銀座八丁 東と西』、そして養老孟司の本、これを順に繰り返して読む。
 
それぞれ朗読するにあたっては狙いがあるのだが、今はそういうことは省略する(この狙いについては一度書いたような気がする)。そういうふうに狙いを持たないと、くじけそうになる。
 
最後の養老先生の本は、何でもいい。この度は書評集、『脳が読む―本の解剖学 Ⅰ―』を読んだ。これは僕が作った本だ。そしてこれも、たしか8回目か9回目である。
 
それを朗読していて、スティーヴン・キングの章が3つもあることに気がついた。養老さんは本当にキングが好きだ。「キング読み」と称している。
 
今ごろ気がつくのは担当編集者としてはどうかと思うのだが、しかしとにかく今になって気がついた、僕はキングを1つも読んでいないことに。
 
取り上げられている本は、『ペット・セマタリー』、『IT』、『呪われた町』『クリスティーン』『スタンド・バイ・ミー』などである。
 
こういう本のタイトルを眺めている間に、少しずつ現役時代の感覚が蘇ってきた。養老先生と会っているときに、著者がそこまで入れ込んでいるものは、こちらも何作か読まねばなるまいと思ったのだが、S・キングはどれもやたらと長い。翻訳にすると上下2巻になるのが普通だ。それで何となく敬遠したのだ。
 
しかし、悠々自適、半身不随の身となってからは、いくらでも読めるではないか。

そこで『キャリー』を読んだ。これはキングが初めて日本語に翻訳されたもので(英語版でもこれが処女作である)、しかも350ページほどの、きりのよい文庫本だ。
 
読んだ感想を一言で言うなら、とにかく圧倒された。悲惨でかわいそうな女子高生が、最後に思いのたけをぶちまけ、町中の人間と建物を巻き込み、破壊し、本人の爆発する怒りを噴出させて、死んでいく。憤死の極限といってもいい。
 
その基盤として、キャリーの母親の歪んだキリスト教観というのがあり、これは話を整えるためにもってきた、というのではないような気がする。
 
こんどは、養老先生が代表作の一つに挙げる、『IT』を読んでみるか。

(『キャリー』スティーヴン・キング
 新潮文庫、1985年1月25日初刷、2013年9月30日第34刷改版)

打つか、打たざるべきか――『新型コロナワクチン 誰も言えなかった「真実」』(2)

コロナワクチンをめぐっては、イベルメクチンが初期には効くという話がある。この薬で大村智は、2015年のノーベル生理学・医学賞を受賞した。
 
しかしこれが効くということは、奇妙なことに隠されている。テレビでは全く出ない。新聞では、記事の方は出てなくて、広告の方には出ている。その広告とは、週刊誌の見出しである。そこにはでかでかと出ている。

「長尾 そもそも、イベルメクチンは世界で年間6000万~7000万人、累計で何億人もの人が寄生虫の治療薬として使ってきました。日本でも数年前に疥癬の治療薬などとして承認され、毎年10万人前後の方が服用している汎用薬です。したがって、安全だというエビデンスが山ほどある。副作用の心配がほとんどない。コロナワクチンとは正反対です。安全性も有効性も高く、世界中でたくさんの人を救ったからこそ、大村先生はノーベル賞をもらったんです。」(同)
 
これほど有効性の高い薬が、テレビ・新聞では隠されている。これは不思議なことだ。
 
コロナの感染爆発が起こったインドでは、イベルメクチンを無料配布した州では、感染者は激減し、逆に使用禁止にした州では、陽性者も死者も増加したと伝えられる。

「長尾 インド弁護士会は、イベルメクチンの使用を推奨しないWHO(世界保健機関)の幹部を世界に向けて告発する行動に踏み切ったと伝えられています。」(同)
 
WHOはいろいろ問題がありそうだ。もともと大金を出している中国寄りだとは、前から言われてきた。WHOの幹部は、世界的な製薬会社とは一心同体だろう。

「鳥集 要するに、ワクチンや高価な新薬を使ってもらいたい製薬会社や、そこから資金提供されているWHOには、イベルメクチンのような安価な薬が、コロナに効いてもらっては困るということかもしれませんね。」(同)
 
こういうことらしいが、コロナワクチンが強制になっているような国では、狂気に近い感じもする。
 
こういうのはノンフィクションの書き下ろしで、文藝春秋か幻冬舎でやらないものだろうか。いや、もう企画を立てて、具体的に進めているかもしれない。
 
もっともメディカル・マフィアは、ぎりぎりのところでは恐ろしいから、命を懸けることになるかもしれない。
 
そういう話とは別に、コロナワクチンはうたい文句ほど効かないのではないか、という話がある。ファイザーやモデルナの治験では、発症予防効果が95%という数字が出ているが、実際には思ったほど効果は出ていないのではないか。

「森田 イスラエルだけでなく、イギリスやアメリカも、ワクチン接種が進んだのに、感染者がドーンと増えた。ワクチンを打っても感染拡大するなら、なんで国民全員を対象に接種しようとするの?という話になりますよね。」(第五章 森田洋之・医師、南日本ヘルスリサーチラボ代表)
 
これはお隣の韓国でも、ワクチン接種の割合は日本より高いのに、感染者は急激に増えた。こういうのは全く謎である。
 
オミクロン型は、日本も含めて世界的に感染者を増やしているが、日本の場合、感染者の半数は2回接種した人だ。それで重症者や死者の数が、ワクチンを打った人と打ってない人では、違いがあるとは聞いたことがない。
 
結局これからどうすればいいのか。

政府は予算を立ててワクチンを買ってしまったから、それを消化しようと必死だろう。そもそも何かをしないわけにはいかないし、仮にやったことの効果が出なくても、それは人智を超えたことである、ということで切り抜けられる。

しかしオミクロン型は、重症数も死者も少ないみたいだし、ここしばらくは政府の言うことに左右されず、ワクチンも何もしないで、様子を見るしかないのではないか。少なくとも、僕はそうする。

(『新型コロナワクチン 誰も言えなかった「真実」』
 鳥集徹、宝島新書、2021年11月24日初刷)

打つか、打たざるべきか――『新型コロナワクチン 誰も言えなかった「真実」』(1)

僕は昨年4月にコロナワクチンの第1回目を打ち、7月に2回目を打った。1回目のときは、注射の痕が一晩中痛かったが、しかしそれほどのことはなかった。2回目は注射の痕の痛みも、あるか無きかであった。
 
それからひと月ちょっと経ったころ、39度近い熱が出た。しかしこれは一晩で平熱に戻った。そこから2週間経ったころ、また39度近い熱が出た。これも一晩で治った。
 
これをコロナワクチンの後遺症というには、時間が経ち過ぎている。人に言えば、そういわれるに違いない。
 
しかし熱の出かたが、たとえ一晩とはいえ、尋常ではない。僕はコロナワクチンを疑っているが、しかし確証はない。
 
妻は1回目を打って、4,5日したころ、猛烈な頭痛に襲われた。数年前にやった帯状疱疹のときと、よく似た頭痛だという。

ただしこれは、良くなってから聞いたので、頭痛が起こっているときは、まともに口もきけない状態だった。

寝ているので、「大丈夫かい」と恐る恐る聞くと、「大丈夫じゃない!」と叫ぶように言うので、二の句がつげない。それが二晩続いたが、もう一晩続くと救急車だった。
 
この新書は妻が買ってきて、僕も読んだ。鳥集(とりだまり)徹という医療ジャーナリストが、5人の医師と対談して本にしている。人によって強弱はあるが、みなコロナワクチンには懐疑的である。なかにははっきり否定する人もいる。
 
なぜこういうことになるか。それは実情が、表にあぶり出されてこないからである。

「鳥集 亡くなった人たちは、やはりワクチンが原因だったんでしょうか。
 長尾 ワクチンが衰弱の契機になったと思うんですが、こういうケースは接種後死亡にカウントされないんです。現時点(2021年10月)で、ワクチン接種後死亡が1233人、重篤も入れるとおよそ5500人近くですよね。だけど、私の感覚では1~2カ月経って亡くなった人も含めたら、その2~3倍以上はいるやろなと思います。」(第一章 長尾和宏・長尾クリニック院長)
 
テレビや新聞は、このことを徹底的に隠す。そしてとにかく早くワクチンを打てという。
 
しかしここから先が難しいところである。こういう事実を表に出して、それでもワクチンを、といったとき、国民はどうしていいか分からなくなり、困ってしまわないか。

「長尾 接種後に亡くなった人もいましたが、コロナ感染による重症や死亡をある程度減らしたかもしれない。これはたぶん、そうだと思うんです。応急処置としては短期的には成功した可能性がある。」(同)
 
まったくそうである。オミクロンが出てくるまでの、コロナに罹った人の数の劇的な低下を見よ。
 
もっともこれも、ワクチン接種後に亡くなった人と、コロナに罹って死亡する人との割合がどうなのかと言えば、難しいところだ。
 
だいたいほかの国はワクチンを打っても、それほど人数は下がらなかったのだ。というか日本一国だけが、奇跡的に下がったのだ。コロナは本当に謎だ。

「長尾 これはもう世界的な壮大な実験のようなものであって、はっきり言って、何回も打つべきではないです。言葉は悪いですが、覚せい剤みたいなもので、1回打ったらやめられず、何回も何回も打つことになるでしょう。なぜかって、打っても早晩、抗体量が下がるから。イタチごっこなんです。」(同)
 
僕はもう打たない。2回打って、ひと月を超えてから後遺症らしきものが出た。3回目は、1年後になるかもしれない。仮に命を落とすことがあっても、真相は誰にとっても藪の中だ。妻はもちろん命あってのワクチンで、金輪際いやだという。
 
こうなったらイスラエルあたりが、果敢に先頭を切って、人体実験の成果を見せてくれるのを、待とうではないか。

女性海獣解剖学者、奮闘する!―『海獣学者、クジラを解剖する。―海の哺乳類の死体が教えてくれること―』(5)

ストランディングのうち、イルカが多頭数で浜に打ち上げられるケースが多々ある。「マスストランディング」と呼ばれる現象である。

「日本では、カズハゴンドウと呼ばれるイルカが春先に千葉県から茨城県の沿岸に、多頭でストランディングすることがよくある。
 最近の事例では、2015年、茨城県の海岸に5キロメートルにわたって156頭ものカズハゴンドウが打ち上げられたことがあった。」
 
集団自殺するイルカ!、大変な数である。

このように大量のイルカがストランディングすることについては、ある程度のところまでは原因がわかっている。

「これまでにわかっている理由は、伝染性の強い感染症で群れごと肺炎や脳炎にかかり、ストランディングしてしまう、地球規模の磁場の変化による進路の選択ミス、頭蓋骨内に寄生する寄生虫が神経や脳を破壊することによって『エコロケーション』が正常に機能しなくなり、群れ全体がストランディングしてしまう、また、軍事演習による低周波ソナーを間違って受けてしまうと、びっくりして急浮上して、減圧症(人でいうところの潜水病)で死に至ったり、音波を受け取る音響脂肪や内耳周辺が破壊されてしまう、などがある。」
 
ざっと列挙してあるから、フムフムと思って読むけれども、一つ一つの真相を突き止めるのは、容易なことではない。「軍事演習による低周波ソナーを間違って受けてしまうと」なんて、よくその真相にたどり着いたものだ。
 
話変わって、2月の北海道、知床地区の羅臼町の寒さは想像をはるかに超え、極限状態だった。そこでのシャチの解剖である。

「カメラのシャッターは下りなくなり、サンプル用の保存液は凍りつき、手袋を何重にしても手はかじかみ、解剖刀が握れなくなった。足先はほとんど感覚がなくなり、寒さで頭痛が起こることも初めて知った。それでも目の前にいるシャチたちを調査する気持ちだけは萎えることなく、参加者たちは気力で乗り切ったようなものである。」
 
5泊6日の酷寒の夜、解剖刀が握れないのに、どうして解剖ができたのか。読んでいても、寒さが襲ってくるようだ。
 
最後に2つ、大事なことが書いてある。
 
1つは海洋プラスチックの問題である。これは海洋生物の内臓や組織に、ダメージを与えるだけでなく、プラスチック片には「残留性有機汚染物質(POPs=Persistent Organic Pollutants)」が吸着し、濃縮することがわかっている。
 
POPsとは、「分解されにくい」、「蓄積されやすい」、「長距離移動性がある」、「有害性がある」、という化学物質のことだ。

「POPsが体内に高濃度に蓄積されると、免疫力が低下することがわかっている。その結果、感染症にかかりやすくなったり、発がんや内分泌機能の異常(甲状腺、副腎、下垂体から成長ホルモンや性ホルモンを正常に分泌できなくなる)などにもつながる可能性が示されている。」
 
これは子どものほうが、POPsの影響を強く受けやすい傾向にある。水俣病の母親から子供へ、というのと同じである。
 
海については地球温暖化の影響があって、世界は軍備などに国力を傾けている暇はない、と思っていたけれど、そもそも海は海洋生物が、だんだん棲めるところではなくなりつつあるのだ。
 
もう1つは、研究の方法に関することである。
 
田島木綿子は、比較解剖学と肉眼解剖学を基本とした論文を作成し、東京大学で博士号を取得した。しかし解剖学を専門にする研究者は、じつは絶滅危惧種なのである。

「現在では、肉眼解剖学は〝終わった学問〟と捉えられ、後継者が育つ環境は学術機関では少なくなってきている。
 しかし、解剖学は、医学や獣医学はもちろんのこと、生物を学ぶ上では基礎中の基礎であり、生物を扱う者ならば、必ず習得しなければならない学問である。」
 
肉眼解剖学の大家、養老先生つながりで、クジラの解剖学の本を読んだのだが、ぐるっと回って元のところに出たようである。

この本は口絵も含めて、写真や挿絵が素晴らしい。それが、痒い所に手が届くように入っている。編集者が、本づくりの苦労を楽しんでいるのが、ようく分かる。出て2か月で4刷なのも納得できる話だ。

(『海獣学者、クジラを解剖する。―海の哺乳類の死体が教えてくれること―』
 田島木綿子、山と渓谷社、2021年8月5日初刷、10月5日第4刷)