転調の激しさ――『極東セレナーデ』(上・下)

小林信彦の小説は、20代まではずいぶん読んだ。それからふっつり読まなくなった。
 
風俗小説のきらいがあり、またその風俗、とくにテレビ番組に、小林の好き嫌いがあって、そこが面白いけれど、ぴたりとは合わなかった。

たとえば、テレビ黎明期におけるシャボン玉ホリデー、どこがそれほど面白いんだ。
 
しかし今回久しぶりに、『極東セレナーデ』を読んで、あまりの面白さに我を忘れた。
 
この小説が朝日新聞夕刊に連載されたのは、1986年1月20日から1987年1月17日まで。

主人公の「朝倉利奈」は、1964年12月生まれの20歳で、短大の英文科を出て、ポルノ雑誌でアルバイトをしている。
 
その雑誌が廃刊になると、そこからはジェットコースター張りに、夢のような仕事が舞い込み、ニューヨークに出かけ、ショービジネス関係の情報を集める。
 
いったいなぜ、そんなことになるのか。日本に帰って、種明かしをするところまでは、いかにもギョーカイ風に軽やかに流れていく。

しかしそこで、チェルノブイリ原発事故が起こる。
 
日本の原子力行政は、ここを正念場と考え、電通を先頭に広告業界とタイアップしながら、一大キャンペーンを巻き起こす。
 
小説の中では、「朝倉利奈」をポスターとパンフレットに起用し、キャッチフレーズはアイドルにふさわしく、「だって――日本の原子力発電は安全なんだもん」で行こうとする。
 
さてこの後、クライマックスで、「朝倉利奈」はどういう行動に出るのか。
 
斎藤美奈子は書いている。

「福島第一原発の事故(二〇一一年)の後、この小説を読み直した私はその先見性にあらためて舌を巻いた。」
 
がらりと転調する後半も良いのだが、前半のギョーカイ小説風のところも、陰翳があってなかなか良い。昔は感じていなかった、コクを感じる。
 
この本の最初に、文化書房のポルノ雑誌、『Cパワー』の編集長、上野直美が出てくる。と思ってたら、『Cパワー』はたちまち廃刊になる。

「『Cパワー』廃刊記念と称して、上野直美と利奈がヤケ酒を飲み始めたのは、新大久保のカフェバーで、それから、大塚、田端、三河島、北千住と飲み歩いた。〔中略〕
 上野直美があれほど歌が好きだとは知らなかった。しかも『バットマンのテーマ』などというわけのわからぬ歌をうたい、私たちはバットマンとロビンなのよ、悪と戦わなきゃ、と利奈に言った。〔中略〕
 最後のバーで『イエロー・サブマリン音頭』を何度もうたった直美は他の客たちの怒りをかって、店を追い出された。夜空の星に向かって、二人で『せーの、お星さまのばか!』と叫んだのは、はっきり覚えている。」
 
こういう編集長は、ある時代までは必ず、どこの出版社にもいた。編集者が意気盛んだったころだ。
 
こういう調子で物語は進んでいくから、チェルノブイリ原発事故が起こった後は、転調のあまりの激しさに、足元がぐらついてくるのだ。
 
これはもう、古典と呼ぶべきだろう。

(『極東セレナーデ』上・下、小林信彦、新潮文庫、
 上、1989年11月25日初刷、1992年11月15日第3刷、 下、1989年11月25日初刷)