渡辺明名人を中心に将棋指しの奇妙な生態を、夫人の伊奈めぐみさんが、漫画にしたもの。
中身は全部ノンフィクションらしいのだが、渡辺名人が漫画用にデフォルメされていて、思わず笑ってしまう。
それにしても、将棋界も変わったものだ。むかし内藤國雄夫人が、主人も40歳を超えると物忘れするようになって、先日は傘をタクシーの中に置き忘れたんですよ、とさる所で喋ると、内藤が、そんなことを言ってはいけない、と嗜めたことがある。ライバルである有吉道夫に、弱みを見せたくなかったのだ。
いまでもそういう風潮は、ひょっとすると棋士の底流にあるのかもしれない。
しかし「渡辺くん」と、伊奈めぐみのカップルは違う。そもそもお互いを呼ぶときに、夫人の方が年上なこともあって、「きみ」だものね。こういう形式は、世間的には徐々に変わっていくだろう。
僕は妻を呼ぶときは、「きみ」で通している。だって田中晶子を呼ぶときに、「おまえ」とは呼べない。「おまえ」と呼んだら、「あなた、何様のつもりよ」、となるだろう。
この漫画は、しかしよく考えてみると、ほとんど奇跡の上に成り立っている。
まず伊奈めぐみが、将棋界と独立して立っている。だから将棋指しを、客観的に描くことができる。これは将棋指しという変わった種族というか、はっきり言って変人集団を、距離を置いて描くのに都合がいい。
もう一つは、渡辺明の実力、というか将棋界における地位である。長年「龍王」の位置にあり、いまはまた「名人」2期目である。これでは棋界や、その周りの少々のやっかみは、封印されざるを得ない。
この人が亭主では、悪口でない限り、細君は何を言っても許される。というか、漫画を通して、夫人の歯に衣着せぬ、しかし限りなくチャーミングなところが滲み出ていて、何度も読み、何度も納得されてしまう。
この漫画が成り立っている要めの位置に、渡辺名人の、「僕は、君が何を描こうが、僕の仕事にはまったく影響しない」という一言がある。
伊奈めぐみは、渡辺名人をどんなにからかって描こうが、渡辺明はまったく気にしてないのである。
渡辺名人は、将棋に関しては、徹底的に合理的なのだ。対戦相手の戦法を細かく研究し、場合によっては初手から詰みまでを暗記する。
藤井聡太3冠が、渡辺明名人にただ1回敗れたときは、そんなふうだった。渡辺は100手前後まで暗記してきたのである。
そしてそういうことは、夫人の仕事とはいっさい関係がない。
だから、こういうことをすれば、縁起が良いとか悪いとか、あるいはゲンを担ぐということがない。
周りの雑音にも惑わされない。藤井とやるときでも、全員が藤井を応援しても、アウェー感がない(ま、将棋は室内ゲームで、しかも密室に近いから、アウェー感もなにもないが)。
そういう夫君であればこそ、伊奈めぐみは、縦横の活躍ができるのだ。これはどれが欠けても、『将棋の渡辺くん』は成立しなくなるのである。