私もついつい言いたくなる——『中古典のすすめ』(5)

小松左京『日本沈没』は、上下巻合わせて400万部という大ベストセラーだ。
 
しかし読んでいるときは、息も継がせぬほどだったが、読み終わってみると、まあそういうことなんだな、という感じだった。つまりはSFの世界の話である。
 
ところが21世紀にはいるころから、あるいはもう少し前から、様相が変わってきた。

「温室効果ガスの増加による地球の温暖化である。気候変動は年々激しさを増し、このまま行けば地球の永久凍土が溶け、海水面が上昇、太平洋の海抜の低い島国は水没するという説を唱える人もいる。
『日本沈没』に繰り返し読者が戻ってくるのは、ここで描かれたような地球の変異と無縁ではない世界に私たちが生きているからだろう。」
 
これは〈名作度〉★3つ、〈使える度〉★2つとしてあるが、〈名作度〉★2つ、〈使える度〉★3つにした方がいいだろう。
 
しかし、ほとんど古典に入りそうな本が、これほど面白くていいのかね。

片岡義男『スローなブギにしてくれ』は、最初から食指が動かなかった。
 
斎藤美奈子の分析によれば、ひとつには、シーンを切り取ることは巧みでも、長編小説の場合、構成力が必要だったから。そこが彼の弱点だった。

「もうひとつの理由は、日本文学の側が彼のような表現を好まなかったことである。内面を拒否し、長編小説に相応しい構成力を持たず、登場人物の家族関係にも彼らを取り巻く社会的な背景にも目を向けない片岡文学。それは芥川賞からも直木賞からもハジかれる特異な存在だった。いいかえると、片岡文学はどこまでも乾いていた。」
 
私が一作も読んでこなかった理由は、齋藤の分析に尽きている。

ところがこれは〈名作度〉★2つ、〈使える度〉★3つなのである。
 
うーん、どうしよう。代表的な短篇を読んでも、たちまち本を投げつけるに決まっている。それなら脇道にそれたところから、つまりエッセイを読んで、そこから先を考えてみよう。さいわい片岡義男の『珈琲が呼ぶ』が、新刊エッセイで評判を呼んでいるところだ。
 
橋本治『桃尻娘』は、出たときは夢中になって読んだ。それから10年後の『桃尻語訳枕草子』も、傑作だった。
 
しかしあまりに多作で、以後は読まなかった。橋本治が急に亡くなって、久しぶりに何冊か読んだ。

小説もエッセイも、じつに無慙なものだった。橋本治に己れを疑うところが、かけらもないために、とりつくしまがなかった。それはこのブログに詳しく書いた。

『桃尻娘』は〈名作度〉★3つ、〈使える度〉★3つ、とあるが、ここまででよかったのだ。
 
五木寛之『四季・奈津子』は映画になり、主役の「奈津子」を烏丸せつこ、相手役の「ケイ」を阿木燿子が演じた。二人ともヌードが奇麗だった。
 
映画の原作には十分ではあっても、本の方は読む気はなかった。
 
斎藤美奈子の感想。

「発表から四〇年以上が経過したいま読むと、恥ずかしすぎて鼻血が出そうな小説である。奈津子っていう人は、じっくりものを考える習慣がないのだろうか。」
 
鼻血ブーの小説の〈名作度〉は★2つ、〈使える度〉★1つだが、これは〈名作度〉★1つではなかろうか。
posted by 中嶋 廣 at 09:28Comment(0)日記