私もついつい言いたくなる——『中古典のすすめ』(4)

庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』を初めて読んだときは、衝撃だった。後になってみれば、若い物書きや読者は、一様に衝撃を受けていたのだ。

「読者に衝撃を与えたこの小説の新しさは、何よりもその文体だった。
〈ぼくは時々、世界中の電話という電話は、みんな母親という女性たちのお膝の上かなんかにのっているのじゃないかと思うことがある。特に女友達にかける時なんかがそうで、どういうわけか、必ず『ママ』が出てくるのだ〉
 以上が書き出し。」
 
庄司薫の文体については、菊地史彦さんと話したことがある。菊地さんが書下ろしで大作『「幸せ」の戦後史』を書いている頃で、どういう経緯かは忘れたが、庄司薫の文体は素晴らしい、ほとんど革命的であるという話を、お互いにしたことを覚えている。
 
以後この文体は、いろいろなところを広く覆っていった。〈名作度〉★3つ、〈使える度〉★2つであるが、〈使える度〉は★3つとした方がよい。
 
土居健郎『「甘え」の構造』は、大学の遼にいるときに読んだ。向学心に燃えている頃だから、けっこう面白く読んだ記憶がある。
 
しかし斎藤美奈子の評は違う。

「悪いが私の感想は、あなたが『甘え』の構造じゃ、であった。論旨は不明瞭。あちこちに話が飛ぶ。思いつきの域を出ない。文章がまどろっこしい。」
 
クソミソである。〈名作度〉★1つ、〈使える度〉★1つ。これでは読み直す気も失せる。
 
有吉佐和子『恍惚の人』を読んだときの衝撃は、今でもはっきりと覚えている。このころは介護保険制度がなかったし、今の「認知症」も「痴呆」と呼ばれていた。
 
この小説が出た1972年は、平均寿命が女性76歳、男性71歳。対して2018年は、女性は87歳、男性81歳である。50年前であれば、私もそろそろ、寿命が尽きるころだ。
 
1970年には10人で1人の高齢者を支えていればよかったが、現在は2人で1人を支える時代である。軍備なんかに金をかけている時代じゃないことは、ようくわかっているはずだ。
 
なお本文中に、老人介護を描いた小説がいくつか出てくる。そのうち耕治人の3部作、「天井から降る哀しい音」「どんなご縁で」「そうかもしれない」は傑作だ。

『恍惚の人』が、〈名作度〉〈使える度〉ともに★2つなら、耕治人の3部作は、ともに★3つだと私は思う。
 
井上ひさし『青葉繁れる』は読んだときは、愕然とした。まず文体がひどい。読んでいても、一切焦点が合わないのだ。これで物書きとは恐れ入った。
 
そして内容。「ぶす」の女の子が、主人公たちに危うくレイプされそうになる。事の次第を知った男子校の校長の言い分が、また危うく絶句しそうである。

「校長の言い分は〈彼女はひょこひょこ山へ行き、行ったら当然起るであろうことが起こっただけなのに、乱暴されたとわめく。これはじつに卑怯ですなぁ〉。
 生徒が生徒なら校長も校長、とんだ名門校があったものである。」
 
こういうの、どんな顔して読めというのかね。これはともに★1つとあるが、無星がいいところである。