私もついつい言いたくなる——『中古典のすすめ』(3)

田辺聖子の『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニイ)』は芥川賞受賞作。

共産党「党員」との恋を、徹底的に茶化して描き、〈名作度〉★2つ、〈使える度〉★3つの星を付ける。
 
田辺聖子については、不幸な出会いがある。中学生になったとき、『中一コース』を買った。そこに田辺聖子の小説が載っていた。内容はもちろん忘れたが、実に噴飯ものだったことは覚えている。
 
とにかく中学生になったばかりで、思いっきり背伸びして、新潮文庫の『赤と黒』と『月と六ペンス』を、読み始めたころである。

今となってみれば、この2冊は、全体はよく分からないはずだが、それでも読み終わって、ひどく感動した。本を読むとは、こういう感動を味わうことなのだ、と心に刻んだ。
 
それに対して、田辺聖子の、たぶんティーンエイジャーの、『中一コース』向きの恋愛小説である。不幸な出会いというのはあるものだ。このまま一生縁がなくていいのか。そうだ、ここで巡りあったのが機縁で読んでみよう、ということです。

『されどわれらが日々——』(柴田翔)は、〈名作度〉★3つ、〈使える度〉★2つとあるが、なぜ学生が自殺するのかがよくわからない、当時は自殺が流行っていた、としか思えない。〈使える度〉は★1つだろう。
 
山崎豊子『白い巨塔』は〈名作度〉★3つだが、これは甘い。「悪いお医者と良いお医者。じつにわかりやすい悪玉と善玉の描き分けじゃあありませんか!」と書いているのだから、★2つが精々のところだろう。
 
梅棹忠夫『文明の生態史観』、これを評するのは実は難しい。私たちの頃は、江上波夫の「騎馬民族国家」や、加藤周一の「雑種文化論」と並べて読んだ。
 
それに対し斎藤美奈子はこう言う。「いかにも本当らしく見えるこの本は、実証しようがない点で、じつは思いつきの域を出ない。」
 
うーん、そうかい。

「梅棹当人も生態史観は〈単なる知的好奇心の産物〉だと述べているのだ。本書を論拠に世界を語ろうとする人には『バカだね、あれは居酒屋談義だよ。与太話だよ』といってやるべきだろう。」
 
実に痛烈である。

それでも〈名作度〉は★3つ、〈使える度〉は★2つ、と評価大なるものがある。これはどういうことか。ま、これ以上突っ込むのはヤメにしよう。
 
山本茂実『あゝ野麦峠』は、時期が時期だけに読んでみよう。ちなみに「野麦」とはクマザサのことで、この峠にはクマザサが群生しているという。

「経済格差が広がり、非正規雇用者が激増し、劣悪な職場環境が社会問題化し、社会の『野麦峠化』が顕著な今日、本書を読む意味はむしろ上がったんじゃないだろうか。」
 
これは〈名作度〉も〈使える度〉も、★3つである。
 
石川達三『青春の蹉跌』は大学のときに、映画化されたのを見た。神代辰巳監督、長谷川和彦脚本で、萩原健一、桃井かおり、檀ふみらが演じた。ずいぶん話題になった。

〈名作度〉★2つ、〈使える度〉★3つ。しかし私は、読もうとは思わない。
 
もともとシオドア・ドライザーの『アメリカの悲劇』の翻訳版で、これは高校の時に読んだ。陰惨な話で、名作だが、二度三度読む気はしない。

それを映画化したモンゴメリー・クリフト、エリザベス・テイラーの『陽のあたる場所』も、一度見れば十分だ。
 
何よりも石川達三の、通俗の極みである文体が嫌いだ。
posted by 中嶋 廣 at 09:51Comment(0)日記