私もついつい言いたくなる——『中古典のすすめ』(2)

ざっと並べてみると、最初から箸にも棒にも掛からないという作品があって、これは斎藤美奈子と一緒になって、丁々発止やりあえばいいのだな、とわかる。
 
たとえは『ジャパン アズ ナンバーワン』、『なんとなく、クリスタル』、『気くばりのすすめ』、『ひとひらの雪』、『見栄講座』、『「NO」と言える日本』というような、毒にも薬にもならない本、いやむしろ場合によっては、はっきり毒になるような本である。
 
ただしホイチョイ・プロダクションの『見栄講座』を、齋藤は独自の視点から読んで、高く評価している。
 
とりあえずは読んでいこう。
 
トップはまず『橋のない川』、これは〈名作度〉〈使える度〉ともに、★3つである。結びの文章は次のようだ。

「特に中高生はみんな読んだほうがいいと私は思う。二〇一六年、障害者差別解消法やヘイトスピーチ対策法とともに、部落差別解消推進法が施行されたのはなぜか。今日も差別が解消されていないからである。差別への感受性が鈍っている時代にこそ効くストレートパンチ。『橋のない川』はそういう小説だ。」
 
ちょっとタテマエが鼻につくけども、そして斎藤美奈子は、そういうところがあるけども、これは読んでみよう。
 
あとはピックアップしていく。

『日本の思想』(丸山眞男)は〈名作度〉が★3つ、〈使える度〉が★2つとあるが、私は〈使える度〉も★3つだと思う。これぞ限りなく古典に近づいた中古典!
 
山口瞳の『江分利満氏の優雅な生活』は、サラリーマンのちょっとした苦労を描いた、エッセイのようなもの、というのをオブラートに包んだ、戦争を呪詛する書。これについては、このブログの初めの方に書いた。

〈名作度〉が★3つ、〈使える度〉が★2つとあるが、〈使える度〉は★1つだろう。もちろん山口瞳贔屓の私としては、齋藤の★2つは嬉しい限りだが。
 
遠藤周作『わたしが・棄てた・女』は、どうしようもない代物である。

「森田ミツ」は背が低く小太り、小児麻痺のせいで足が悪く、自己卑下から男に身を任せてしまう。主人公の「吉岡」は、そこにつけ込む。足の悪い小太りの娘とは、一回ヤレば十分だ。

娘は薄幸で、転落の道をたどり、最後は交通事故で死んでしまう。

しかし「吉岡」は、娘が自分を恨んでなかったことを知る。

「理想の女というものが現代にあるとは誰も信じないが、ぼくは今あの女を聖女だと思っている……」
 
あ、あ、あほか! それ、ほとんど同意なきセックスやぞ、レイプやんけ! それを訴えないから「聖女」だとは!

斎藤美奈子は、「その昔、はじめて私が読んだ際の読後感は最悪だった」と吐き捨てる。

これは万人にとって、「わたしが・棄てた・本」になるだろう、と私は思う。評価はもちろん、無星が妥当だ。
posted by 中嶋 廣 at 09:09Comment(0)日記