国会議員にぶちかます――『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。』(1)

これは新聞広告を見たとき、ちょっと面白そうだなと思った。
 
著者のライター・和田靜香は知らないが、取材協力の小川淳也は衆議院議員で、そのあとを追ったドキュメンタリー映画、『なぜ君は総理大臣になれないのか』が評判になっていたからだ(ちなみに僕は、この映画をまだ見ていない)。
 
和田靜香は56歳、単身で都内に暮らす。音楽その他のライターが主たる仕事だが、雑誌が次々に廃刊になり、さまざまなバイト、つまりコンビニ、パン屋、スーパー、おにぎり屋、レストランなどで糊口を凌いできた。
 
ちなみにその時々の時給は、常に最低賃金!(ここを大きく)だった。
 
ところが、2年になろうとしているコロナ禍で、生活そのものが破綻する人が増え、自分もバイトを馘になった。このままでは絶望の淵に立ち尽くし、破綻していくだけだ。
 
そこで『なぜ君は総理大臣になれないのか』の記事を書いた縁で、小川淳也・衆議院議員に、暮らしにまつわる諸々の疑問を、突っ込んで聞いてみた。これはそのドキュメントである。
 
考えてみるとこの本は、小川淳也が和田靜香のインタビューに答えた限りのもので、きつい言い方をすれば、新手の選挙公報ともいえるものである。
 
ただそれに留まっていないのは、和田靜香のライターとしての腕だ。

「私の人生はとりとめがなく、いつも行き当たりばったり。先行きは見通せず不安で、どうしようどうしようとジタバタしてきた。
『ええっと、和田さん、あなたの人生のダメさや不安は、あなた自身の問題じゃないですか? いい年をして、もっと計画的にやるとか、努力されたらいかがでしょう?』
 きっと、そんな風に自己責任を問われるだろう。まったくその通りだけど、世の中そうそううまくは生きられない。〔中略〕私みたいな人があっちにもこっちにもいて、みんな不安で、息もできないよう。」
 
著者はこの位置に立つ。最底辺ではないが、下層階級の庶民だ。
 
そしてコロナ禍の周りを見渡して見る。

「街へ出れば、無料の食料配布に数百人が並び、生理用品が買えない女性に区役所が無料で配ったり、昨日まで普通に働いていた人が仕事も家も失くして路上に寝るとか、日々貧困がアップデートされている。これまでと様相が違うのは、誰もが明日は我が身になり得ること。みんながビクビクして、互いをけん制し合ってるかのよう。」
 
まったくおっしゃる通り。しかし政府は何もしない。いや、何かをしようとしているのだが、それがどこにも届かない。

「なのに、政府は260億円もかけてスカスカで飛沫が飛び散るようなマスクを送りつけてみたり。覚えていますか? お肉券だのお魚券だの迷走した末にやっと10万円を配り、私たちに寄り添うそぶりも見せないままGoToだ、オリンピックだと浮ついてきた。一体なんで、そうなるの?」
 
そこで思い切って、国会議員・小川淳也に直接体当たりで、聞いてみることにしたのだ。

転調の激しさ――『極東セレナーデ』(上・下)

小林信彦の小説は、20代まではずいぶん読んだ。それからふっつり読まなくなった。
 
風俗小説のきらいがあり、またその風俗、とくにテレビ番組に、小林の好き嫌いがあって、そこが面白いけれど、ぴたりとは合わなかった。

たとえば、テレビ黎明期におけるシャボン玉ホリデー、どこがそれほど面白いんだ。
 
しかし今回久しぶりに、『極東セレナーデ』を読んで、あまりの面白さに我を忘れた。
 
この小説が朝日新聞夕刊に連載されたのは、1986年1月20日から1987年1月17日まで。

主人公の「朝倉利奈」は、1964年12月生まれの20歳で、短大の英文科を出て、ポルノ雑誌でアルバイトをしている。
 
その雑誌が廃刊になると、そこからはジェットコースター張りに、夢のような仕事が舞い込み、ニューヨークに出かけ、ショービジネス関係の情報を集める。
 
いったいなぜ、そんなことになるのか。日本に帰って、種明かしをするところまでは、いかにもギョーカイ風に軽やかに流れていく。

しかしそこで、チェルノブイリ原発事故が起こる。
 
日本の原子力行政は、ここを正念場と考え、電通を先頭に広告業界とタイアップしながら、一大キャンペーンを巻き起こす。
 
小説の中では、「朝倉利奈」をポスターとパンフレットに起用し、キャッチフレーズはアイドルにふさわしく、「だって――日本の原子力発電は安全なんだもん」で行こうとする。
 
さてこの後、クライマックスで、「朝倉利奈」はどういう行動に出るのか。
 
斎藤美奈子は書いている。

「福島第一原発の事故(二〇一一年)の後、この小説を読み直した私はその先見性にあらためて舌を巻いた。」
 
がらりと転調する後半も良いのだが、前半のギョーカイ小説風のところも、陰翳があってなかなか良い。昔は感じていなかった、コクを感じる。
 
この本の最初に、文化書房のポルノ雑誌、『Cパワー』の編集長、上野直美が出てくる。と思ってたら、『Cパワー』はたちまち廃刊になる。

「『Cパワー』廃刊記念と称して、上野直美と利奈がヤケ酒を飲み始めたのは、新大久保のカフェバーで、それから、大塚、田端、三河島、北千住と飲み歩いた。〔中略〕
 上野直美があれほど歌が好きだとは知らなかった。しかも『バットマンのテーマ』などというわけのわからぬ歌をうたい、私たちはバットマンとロビンなのよ、悪と戦わなきゃ、と利奈に言った。〔中略〕
 最後のバーで『イエロー・サブマリン音頭』を何度もうたった直美は他の客たちの怒りをかって、店を追い出された。夜空の星に向かって、二人で『せーの、お星さまのばか!』と叫んだのは、はっきり覚えている。」
 
こういう編集長は、ある時代までは必ず、どこの出版社にもいた。編集者が意気盛んだったころだ。
 
こういう調子で物語は進んでいくから、チェルノブイリ原発事故が起こった後は、転調のあまりの激しさに、足元がぐらついてくるのだ。
 
これはもう、古典と呼ぶべきだろう。

(『極東セレナーデ』上・下、小林信彦、新潮文庫、
 上、1989年11月25日初刷、1992年11月15日第3刷、 下、1989年11月25日初刷)

私も珈琲が飲みたくなる――『珈琲が呼ぶ』(2)

「小鳥さえずる春も来る」という表題は、『一杯のコーヒーから』の歌詞から取ったものだ。
 
この歌は服部良一が作曲し、藤浦洸が歌詞をつけた。調子のよい明るい歌で、懐メロだが、気楽に口ずさんできた。
 
それがそうでなくなったのは、片岡義男が発売された時を、書きつけたからだ。
 
この曲が発表されたのは1939年。国民精神総動員運動は1937年に始まっていた。
 
これはもう、日中戦争に勝ち目が無くなって、国中が狂気の世界に入りかけていた頃だ。それでもまだ、1942年のアメリカとの太平洋戦争は始まっていない。

「このような凄惨さのなかで、服部良一も藤浦洸もその日々を生きていた。戦争へと向かう国を、彼らはあらゆるかたちで感じていたはずだ。まったく反対側の世界である『一杯のコーヒーから』は、そのような歌として意図されたものだったのだろうか。明確な意図がなければ、このようにはならないはずだ、と僕は思う。」
 
気軽に口ずさんでる歌に、そういう事情があったのか。しかし世相を考えなければ、あまりに明るい歌だ。いや、そうではない。世相に反逆して、あまりに明るい歌を作ったのだ。
 
結びの一節はこうだ。

「その思いに重なるのは、この歌のレコードがよく無事に発売されたものだ、という驚きだ。『磁極柄まことに不謹慎である』というひと言によって、レコードの販売はもちろん、録音もなにもかも、当局によって禁止された可能性は充分にあった。」

『一杯のコーヒーから』という歌が、世に出てゆくまでに、どういう物語があったのか。空想は尽きない。

「辰巳ヨシヒロ、広瀬正、三島由紀夫」、という長いエッセイの中に一箇所、「僕が最初に喫茶店に入ったのは、一九五七年、十七歳の頃、下北沢のマサコだったと思う」というのがある。
 
このタイトルも、片岡義男の自伝の一片を語って興趣は尽きないのだが、今は内容には触れない。
 
それよりも「マサコ」だ。東大駒場から、井の頭線二駅で下北沢に出て、駅から歩いて五分ほどのところにマサコはあった。
 
学生時代、友だちともよく行ったが、一人でも入った。会社に入ってからは、思う女の人とも行った。それも複数の人と。
 
僕が行かなくなって、しばらくしてママのマサコは亡くなり、喫茶店の「マサコ」も店を閉じた。
 
今はまた、店で働いていた女性が、やはり下北沢の別の場所に、「マサコ」を名乗って店を出しているらしい。
 
マサコは特別な空間だった。そこに思いをやると、ママのマサコと一緒に、今はない、あの独特の雰囲気が蘇ってくる。
 
片岡義男の『珈琲が呼ぶ』は、もう一つ、写真が素晴らしい。どの写真も本文を補うだけでなく、本文と合わせて、独特の立体空間を出現させている。
 
本当はエッセイの大半をしめる、アメリカやイギリスの音楽や文学が、十全に味わえればいいのだが、僕にはそれは無理だ。
 
それでも分かった限りでいうと、とても面白かった。

(『珈琲が呼ぶ』片岡義男
 光文社、2018年1月20日初刷、2019年2月15日第7刷)

私も珈琲が飲みたくなる――『珈琲が呼ぶ』(1)

斎藤美奈子の『中古典のすすめ』に、片岡義男『スローなブギにしてくれ』が取り上げられている。しかも〈名作度〉★2つ、〈使える度〉★3つ。
 
けれども内容を読むと、とても手が出そうにない。ハードボイルドのオートバイ小説、だから出てくる人物の内面は描かない、あるいは描けない。
 
しかしまったく読まないのもシャクだ。
 
というわけで、最近売れているという、珈琲をめぐるエッセイを読むことにする。
 
それにしても上手な本作りだ。
 
まずオビに唸る。

「なぜ今まで/片岡義男の/珈琲エッセイ本が/なかったのか?」
 
そうだ、なぜなんだろう、と同調したら、もう取り込まれている。
 
なぜ、なかったのか。それは必要なかったから。そう答えればいいのだが、そうはいかない。ポーズをつけて珈琲を飲むなんて、片岡義男らしいじゃないか。読んだことがなくても、ついそう思ってしまう。
 
ついでにオビ裏は「ああ、珈琲が飲みたくなる。」オビの裏表が、微妙に対になっている。こういうオビは芸である。
 
最初は「一杯のコーヒーが百円になるまで」。

コンビニの淹れたての珈琲が、今は100円であるのに対し、よく行った都心のホテルは当時、860円くらい、今なら1100円くらいにはなっただろうか。

「およそ考えられることすべてを考えて百円になったコンビニの淹れたてコーヒーと、従業員の誰もがなにひとつ考えていないコーヒーとのあいだに、千円を越える格差のあるコーヒーが、東京には存在している。」
 
面白いですね。よく考えると、「従業員の誰もがなにひとつ考えていないコーヒー」は、ちょっとおかしいのだけれど、しかし幕切れが鮮やかなので、ついなるほどと笑ってしまう。

「スマート珈琲店へいくときには、御池から寺町通りを下りていく」。(「去年の夏にもお見かけしたわね」)
 
伝説の女優謙歌手が、小さい頃に、京都のその喫茶店に、しばしば来ていたという。

「とんでもない遠い過去のなかで、僕と美空ひばりとの時空間がほんの一瞬だけ交錯する想像の場所が、その席だから。十三、四歳の美空ひばりがホットケーキを食べたのは、その席だった、と僕は信じている。」
 
これは優れたエッセイである。その最後の場面――。

「京都で撮影があるたびに、美空ひばりがお母さんとふたりでスマート珈琲店へ来て、ホットケーキを食べたのは歴史的な事実だ。それ以外の部分、つまり僕が関係してくる部分は、僕が何年もかけて想像のなかに作ったフィクションだと、重ねて書いておく。」
 
本当にこれは優れたエッセイである。そして、この水準のものが何本も並んでいる。
 
次の「ミロンガとラドリオを、ほんの数歩ではしごする」は、神保町裏通りの喫茶店、ミロンガとラドリオが、それぞれ1ページのカラー写真に収まっていて、限りなく懐かしい。
 
他にも、お茶の水の駅の並びの喫茶店「穂高」や、「画翠レモン」の2階がカフェだったという話が出てきて、これはもう懐かしいではすまない。さかのぼって、じっと考えていくと、胸の奥をかきむしられるような気がする。

これは名作!――『うたかた』

田辺聖子の名作、とまではいかなくとも、せめていい作品が読みたい。それで女房に推薦されたのが、これだった。

「うたかた」、良かったねえ。文句なしに名作だった。
 
街のチンピラが、正体不明の女に恋をした。あちこち連れ回すのだが、女は嬉々としてついてくる。
 
神戸を中心として、夜の街の猥雑な喧騒が、圧倒的な筆致で迫ってくる。
 
ジャン=ポール・ベルモンドが死んで、追悼で放映した『勝手にしやがれ』を思い出しちまった。あちらがパリなら、こちらは神戸だ。そしてどちらの恋も成就しない。
 
最後に女に向かって、「お前は最低だ」というのがパリ篇なら、神戸篇は「だまれ、ドすべた」と怒りに震えながら、静かに言う。
 
しかし、最後の一文はこうだ。

「人間なんてうたかたみたいなもんだ、――ただ、恋したときだけ、その思いが人間自身より、生きているようだ。」
 
この本には他に、「大阪の水」「虹」「突然の到着」「私の愛したマリリン・モンロウ」が入っている。

「大阪の水」は、東京から大阪に、長期の出張で来ている男と、深い関係を結ぶ女の話。男は結婚したいと言うが、女はそういう気にならない。
 
これを推し進めれば、ある種の自立した女の典型になったに違いない。
 
男は焦れて、別の女と結婚するという。女は、男といるときは愉しかったけれど、「結婚だけが勘定やあらへん」という。

「人間、自分にいちばんええように生きな、あかんわなア。あの人はあの人で生きたらええのやわ。」
 
いや、実に格好いいね。大阪の女とは思えない、というと差別と偏見にひっかかるかな。

「愁嘆場になるところを、すっと身をかわすそのタイミング」が、この女の素晴らしいところだ。
 
それほど綺麗でもなく、口数も少ない、地味な女、それが読み進むにつれて、輝きを増す。
 
大阪弁の女は嫌いだが、この短篇の女はよかった。

「虹」は、脚の悪い少女、つまり田辺聖子の自伝的小説。これも掛け値なしの名作である。

「わたしはごく幼いときから侮辱に敏感な、ふるえる魂をかたく抱いて大きくなったのだ。小学校へ通うようになっても、足はよくなるどころか、ますますひどくなる。」
 
率直な文章を武器に、どこまでも突き進む。

「そのころのわたしは人々の視線を、おのれの視線で防ごうとしていたのだと思う。わたしは年齢にふさわしからぬ鋭さで、ハッタと通りすがりの人々の眼をねめつけていくのだ。たち止まってふりかえる人々には、憤怒で身をふるわせるのだ。傲慢と卑屈は体臭のようにわたしのからだにしみつき、わたしは自分のよりどころを求めるためにやみくもに勉強した。」

「虹」は『文芸大阪』に、昭和32年に出た。これは田辺聖子の処女作である。これが、一番ではないかと思う。

(『うたかた』田辺聖子
 講談社文庫、1980年1月15日初刷、1989年7月20日第13刷)

どう読めばいいのか?――『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニー)』

斎藤美奈子が『中古典のすすめ』に、〈名作度〉★2つ、〈使える度〉★3つで推奨していたものだ。
 
先にも書いたように、田辺聖子とは不幸な出会いがあって、これが見直す最後のチャンスと見た。
 
しかしダメだった。
 
ある時期、共産党は、日本の知識人にとって踏み石だった。この党は戦争中も節を曲げず、信念を通したのだ。戦後、すべての価値観が崩れ去った後、ただ一つ脚光を浴びたのが日本共産党だった。

野間宏『暗い絵』、柴田翔『されど われらが日々――』から、倉橋由美子『パルタイ』まで、文学者はそのとき目の前にある、「共産党」という課題と格闘した。
 
そして1964年に、田辺聖子の『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニー)』が現れて、「共産党」に最後のダメ出しをした。これはなんと、芥川賞まで取ってしまった。
 
当時、女主人公は37歳、今ならバリバリのキャリアウーマンだが、この当時は完全な「オールドミス」。それがはるか年下の「党員」と恋に落ちた。
 
けれども「党員」の話す言葉がわからない。

プレハーノフって何なの? 弁証法的唯物論は、唯物論的弁証法とどう違うの? トロツキストっていいほう、わるいほう?
 
最初から予想される通り、この恋はドタバタの末に雲散霧消する。
 
これだけ読むと、きつい批判を含んだ佳編、という気がするだろう。
 
ところがこれがダメなのだ。
 
およそ女主人公を始めとして、恋人の党員、主人公と寝る羽目になる若い放送作家、そのた諸々の誰一人として、生きていないのだ。すべてが戯画化されており、余りのバカバカしさに、読み続けるのが苦痛だった。
 
これは「新潮現代文学」というシリーズの一冊で、「田辺聖子」が一人で収められている。ほかに「休暇は終った」「びっくりハウス」「ムジナ鍋」「文車日記」が収録されているが、巻頭の『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニー)』を読んだだけで、他は推して知るべし、読む気がしない。
 
斎藤美奈子は〈名作度〉★2つ、〈使える度〉★3つ、としたけれど正気かね。
 
と思っていたら、『うたかた』というのは、とてもよかったよ、と横から田中晶子の合いの手が入った。
 
そうだよな、こんな駄作を量産していれば、とっくに名前が消えているはずだもの、よし、それでは次に『うたかた』を読んでみよう。

(『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニー)・休暇は終った』、田辺聖子、
 新潮社、1979年3月10日初刷)

奇跡の漫画――『将棋の渡辺くん』①~⑤(2)

まあそうはいっても、あまりからかわれると、「渡辺くん」、ちょっとかわいそう。
 
②巻の19番目の漫画は、「旦那は断然/布団派」「ベッドは/落ちそうで/怖い」で始まり、布団は敷きっぱなしにして、と言い、最後のコマは、夫人の目から見た旦那の、「布団とぬいぐるみ/のセットを見ると/中に入らずには/いられない」、「ゴキブリホイホイ/みたいな感じだ」で終わる。
 
これで、「君が僕をどう描こうが、僕の仕事には一切関係がない」、と言えるのは、まさに名人、第一級の人物である。
 
ここで初めて得た知識もある。たとえば、トーナメントで力の入るのが、決勝よりも準決勝なんて、まったく知らなかった(②巻の28番目)。
 
将棋界では1・2位は、優勝・準優勝として名前が残るけども、3・4位は残らない。1・2位は、対局料以外に賞金が出るが、3・4位は、対局料以外は何ももらえない。
 
渡辺が語る最後のコマ。

「だから/気合が入るのは/2位以上になれるか/どうかを決める/準決勝の方だね!」
 
でもね、お言葉を返すようですが、準優勝は棋界の内では名前が残るかもしれないが、外の我々一般には名前は残らないですね。
 
でも渡辺が言うように、「ツウの方は/準決勝も楽しんで/いただければ!」というのは、新しい知識として知っておこう。
 
⑤巻の14番目の漫画は、息を呑む。2017年度の渡辺の成績は、21勝27敗、勝率4割と自己最低だった(ちなみに渡辺の通算勝率は6割6分強である)。
 
このときの夫人の会話。「正直言うとね/君はもう勝てないと/私も思ってたよ」。いやあ、よく言うねえ。
 
このときは得意だった戦法をやめて、思い切って新しい戦法に変えてみた。それも血の滲むような努力をして。

すると翌年、40勝10敗、勝率8割で、自己最高を記録した。
 
どん底から復活までを、赤裸々に、真っ正直に描いて、躊躇するところがない。舌を巻く。

最後の場面はこうだ。

「そしてそうこう/している内に/藤井くんが/来るんだよ」
「で 俺も含めた/棋士みんなが/そっちの対策に/追われるの」
「もう真後ろに/いるんじゃん?」
「え?」
 
ちょっとゾクッとするような、素晴らしい幕切れである。
 
⑤巻の17番目は、渡辺明と藤井聡太の初対戦、朝日杯決勝である。これは公開対局であった。

渡辺はこれに敗れた。
 
家に帰って、伊奈めぐみの取材を受ける渡辺だが、これがまた正直なのである。
 
藤井くんの将棋はどうだった、という夫人の質問に対して、渡辺の答えは、長所は一杯あって短所はない、序盤の理解度が深くて、普段から勉強している上に、その場での順応が早い、一番の長所は、中盤戦での読みのスピード、1分間でそんなに読めるのかよ、というぐあい。とにかく大絶賛である。
 
最後に「渡辺明ブログ」が引いてあり、「(藤井くんだって)たまには負けたり苦戦する将棋もあるはずなので、次回までにそれを研究したいと思います」と締め括る。
 
それに対して伊奈めぐみは、「小学生の作文みたいだな…(かわいいな おい)」と受ける。
 
しかしこれは「小学生の作文みたい」、なんかじゃない。まったく素直に、思ったままを吐露しているのだ。渡辺の真の強さは、ここにもはっきり出でいる。
 
そして夫人の伊奈めぐみも、それを分かっているのだ。

『将棋の渡辺くん』はまだまだ続く、本当に楽しみだなあ、と小学生の作文みたいな感想を書いたりして。

(『将棋の渡辺くん』①~⑤伊奈めぐみ、講談社マガジンコミックス、
 ①2015年12月9日初刷、2020年10月2日第10刷、
 ②2016年8月9日初刷、2021年4月19日第10刷、
 ③2018年3月9日初刷、2020年11月6日第6刷、
 ④2019年8月8日初刷、2020年11月6日第5刷、
 ⑤2020年9月9日初刷、2020年11月6日第3刷)

奇跡の漫画――『将棋の渡辺くん』①~⑤(1)

渡辺明名人を中心に将棋指しの奇妙な生態を、夫人の伊奈めぐみさんが、漫画にしたもの。
 
中身は全部ノンフィクションらしいのだが、渡辺名人が漫画用にデフォルメされていて、思わず笑ってしまう。
 
それにしても、将棋界も変わったものだ。むかし内藤國雄夫人が、主人も40歳を超えると物忘れするようになって、先日は傘をタクシーの中に置き忘れたんですよ、とさる所で喋ると、内藤が、そんなことを言ってはいけない、と嗜めたことがある。ライバルである有吉道夫に、弱みを見せたくなかったのだ。
 
いまでもそういう風潮は、ひょっとすると棋士の底流にあるのかもしれない。
 
しかし「渡辺くん」と、伊奈めぐみのカップルは違う。そもそもお互いを呼ぶときに、夫人の方が年上なこともあって、「きみ」だものね。こういう形式は、世間的には徐々に変わっていくだろう。

僕は妻を呼ぶときは、「きみ」で通している。だって田中晶子を呼ぶときに、「おまえ」とは呼べない。「おまえ」と呼んだら、「あなた、何様のつもりよ」、となるだろう。
 
この漫画は、しかしよく考えてみると、ほとんど奇跡の上に成り立っている。
 
まず伊奈めぐみが、将棋界と独立して立っている。だから将棋指しを、客観的に描くことができる。これは将棋指しという変わった種族というか、はっきり言って変人集団を、距離を置いて描くのに都合がいい。
 
もう一つは、渡辺明の実力、というか将棋界における地位である。長年「龍王」の位置にあり、いまはまた「名人」2期目である。これでは棋界や、その周りの少々のやっかみは、封印されざるを得ない。
 
この人が亭主では、悪口でない限り、細君は何を言っても許される。というか、漫画を通して、夫人の歯に衣着せぬ、しかし限りなくチャーミングなところが滲み出ていて、何度も読み、何度も納得されてしまう。
 
この漫画が成り立っている要めの位置に、渡辺名人の、「僕は、君が何を描こうが、僕の仕事にはまったく影響しない」という一言がある。
 
伊奈めぐみは、渡辺名人をどんなにからかって描こうが、渡辺明はまったく気にしてないのである。
 
渡辺名人は、将棋に関しては、徹底的に合理的なのだ。対戦相手の戦法を細かく研究し、場合によっては初手から詰みまでを暗記する。
 
藤井聡太3冠が、渡辺明名人にただ1回敗れたときは、そんなふうだった。渡辺は100手前後まで暗記してきたのである。
 
そしてそういうことは、夫人の仕事とはいっさい関係がない。
 
だから、こういうことをすれば、縁起が良いとか悪いとか、あるいはゲンを担ぐということがない。

周りの雑音にも惑わされない。藤井とやるときでも、全員が藤井を応援しても、アウェー感がない(ま、将棋は室内ゲームで、しかも密室に近いから、アウェー感もなにもないが)。
 
そういう夫君であればこそ、伊奈めぐみは、縦横の活躍ができるのだ。これはどれが欠けても、『将棋の渡辺くん』は成立しなくなるのである。

私もついつい言いたくなる——『中古典のすすめ』(8)

盛田昭夫・石原慎太郎の『「NO」と言える日本』は、もう取り上げるのはやめようかと思っていた。
 
しかし著者が調子に乗りまくり、出版社が後押しすると、こんな本ができてしまう、という典型として上げておく。
 
1989年、竹下登政権の時代、アメリカは製造業の不振で、貿易赤字と財政赤字に苦しんでいた。対日感情は悪化し、激しいジャパン・バッシングが起こった。

しかしバブル景気に沸く日本は、アメリカの反感など、日本が一流になった証拠で、たいしたことではないと考えていた。まだGAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)が、一社もなかったころの話である。

「そういう時代の産物だと思うと、『「NO」と言える日本』はまことにおもしろい、というか恥ずかしい本である。大言壮語というか傲岸不遜というか、二人とも吹きまくっており、『人間、増長するとこうなります』という見本のようだ。」
 
斎藤美奈子の★は〈名作度〉〈使える度〉ともに1つだが、ここでは藤井聡太の常に謙虚なたたずまいを見習うのがよかろう、と一言付け加えて、ともに無星としたい。(あるいは藤井に習うことが、高尚すぎて無理だとすれば、吉本新喜劇でMr.オクレが舞台から下がるときのセリフ、「ア~ホ~」を進呈したい。)
 
司馬遼太郎『この国のかたち』は、私には読めなかった。『この国のかたち』だけではなく、司馬遼の小説、『竜馬がゆく』や『菜の花の沖』も読めない。5ページも読むと、もういけない。
 
とにかく床屋政談が、エッセイでも小説でも頻繁に出てくるが、そして著者は得々とそれを語るが、噴飯もの以外の何ものでもない。

その文体もまた、目の粗い花崗岩のようで、まことにウンザリする。

もうそろそろ全国の書店で、潮が引くように、一斉に返品の洪水になっているだろう。斎藤美奈子は〈名作度〉〈使える度〉ともに★1つだが、もちろん無星、できればここに取り上げるのもやめてほしい。
 
全部の本について読んでくると、1990年代のものがあまりに寂しい。『この国のかたち』、『清貧の思想』、『マディソン郡の橋』の3本ではどうにもならない。
 
年代的に近くなれば、選ぶのが難しくなる、というのならわかるが、90年代以降、じつはろくな本がないから、というのではどうしようもない。だからいま私は、どちらかといえば新刊に軸足を置いて、書評を書いているのだ。
 
それはともかく、この本は役に立った。とりあえず『橋のない川』住井すゑ、『感傷旅行』田辺聖子、『あゝ野麦峠』山本茂実、『極東セレナーデ』小林信彦、そして片岡義男の新刊エッセイを読んでみよう。
 
最後に斎藤美奈子は、「あとがき」にかいている。

「単行本化するにあたり、結局ほとんど本を読み直し、原稿も書き直すことになった。一四年の間に世の中は進み、同じ本でも二〇一〇年に読んだのと、二〇二〇年に読むのとでは、気分がやっぱり違うのだ。」
 
そうなのである。だから縁がないと思っていた、『橋のない川』や『あゝ野麦峠』も、読もうと思ったのだ。

(『中古典のすすめ』斎藤美奈子、紀伊國屋書店、2020年9月10日初刷)

私もついつい言いたくなる——『中古典のすすめ』(7)

1987年のベストセラー第1位は、俵万智の『サラダ記念日』だった。第2位はG・キングスレイ・ウォードの『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』(城山三郎訳)。 
 
そして第3位が安部譲二『塀の中の懲りない面々』である。斎藤美奈子は、「なぜこのような本がミリオンセラーになったのか。いまとなっては謎だけど」と書いているが、この年のベストテンには、安部譲二の『極道渡世の素敵な面々』と『塀の中のプレイ・ボール』の2冊が入っている。安部は、短かったけども、ナンバーワンの売れっ子作家の時代があったのだ。

『塀の中の懲りない面々』は何といっても、山本夏彦が主宰する雑誌、『室内』に連載されたことが大きかった。

大立者というよりは、小言幸兵衛といった方がぴったりの山本夏彦が、チンピラ風に見える安部譲二を、言葉は悪いが、子犬を手なずけるように転がしている。そこも良かった。
 
それにしても、今から見るとベストテンの顔ぶれは、実に豊かだったと言わざるを得ない。本当はこの時代には、読み応えのあるしっかりした本が、もう無くなってきていた。
 
ふり返っていまは、年間のベストテンを見る気もしない。
 
ちなみに『塀の中の懲りない面々』は、〈名作度〉★2つ、〈使える度〉★2つだが、これが古典に格上げされることはないだろう。
 
小林信彦『極東セレナーデ』は、『中古典のすすめ』に導かれて読んだ本の中では、圧倒的に面白かった。まさに掘り出し物だった。
 
このバブルの時代は、よってたかってアイドルを作り上げ、そこにギョーカイ人が押し寄せる。

「ま、あり得ない話です。あり得ない話なんだけど、バカげたカネを使ってバカげた商売を考える人たちが実際いたのも、この時代ではあった。そのうえ利奈〔主人公〕の周りを固めているのがまた、いかにもギョーカイ然とした怪しいやつばっかりなんだ。」
 
後半の最後、チェルノブイリの原発事故が起こる。小説の明るい調子は転調し、時代は暗転する。
 
ここを先途と東京電力と広告会社は躍起となって、「だって――日本の原子力発電は安全なんだもん」キャンペーンを打ち出す。これを背負わされたアイドルは、どうなっていくのか。

「文化人やタレントを積極的に活用した、巧妙な原発安全キャンペーンがスタートしたのが九〇年代だったことを思えば、不吉な未来を予言していたともいうべきかもしれない。」

「かもしれない」どころではない。この結末は、数々の事故、中でも福島原発の事故を予言し、この先の日本をあまりに精確に見ていた。
 
こんな優れた小説があったのか。しかも小林信彦の新聞小説で。
 
これは福島第一原発の事故後、もっと読まれてしかるべきだった。それとも実際に、この時期読まれたのに、私が知らなかっただけか。どうせ小林信彦だから通俗小説と思って、見ていたのかもしれない。実にバカだった。
 
ちなみにこれは、〈名作度〉★2つ、〈使える度〉★3つだが、こういうものが、大きく言えば、千変万化する「中古典」と呼ぶにふさわしい。