カメレオン作家――『我が家の問題』(1)

奥田英朗は不思議な作家だ。読んでいるものは結構多い。

『最悪』『邪魔』『無理』、精神科医・伊良部が活躍する『イン・ザ・プール』『空中ブランコ』『町長選挙』の3作、『サウスバウンド』、『ララピポ』、『噂の女』、『罪の轍』と並べてみれば、現代の作家では最も多いくらいだ。
 
どれも面白かったけれど、みんな面白いというのは、逆に代表作がないのと同じことだ。
 
そこそこ面白くて、代表作がないなら、いかにもという気がするけれど、どれも抜群に面白くて、代表作が選べないというのは、考えてみれば不思議なことだ。
 
どれを書いても代表作というのは、いわばカメレオン作家と言ってもいい(これ、誉め言葉ですよ)。

『我が家の問題』は短篇が六つ入っていて、文字通り「我が家のトラブル」に限定して、話が進んでいく。

「甘い生活?」は、新婚の夫婦がぎくしゃくして、ついに派手な夫婦喧嘩に至る。しかしそれが、遠慮を取っ払って、本当の夫婦になる道をつける。

「ハズバンド」は、ふとしたことで夫は仕事ができないことを知った妻が、弁当だけは最高のものを作ろうとする。だって仕事ができないということを除けば、夫は理想的なハズバンドだもの。するとその弁当が、会社で評判になっている妻の、ささやかな幸せを描く。

「絵里のエイプリル」は、ふとしたことで両親が離婚したがっているのを知った、高校三年生の絵里の、ショックを経て立ち直っていく過程を描く。

「夫とUFO」は、会社で板挟みになっている夫が、くたびれ果てて、ついにUFOと交信したという話を、妻がどう捌いていくかが見もの。

「里帰り」と「妻とマラソン」は、それぞれ夫婦の絆を確かめる話。
 
どれもまさに「我が家の問題」に限定してあって、そこから世間の方へは、一歩も出て行かない。
 
それでは面白くないだろうというのは、さにあらず。奥田英朗はここで一つ、日常を超える仕掛けを作っている。
 
たとえば、「甘い生活?」では、

「『信じられない。見損なった』昌美が素っ頓狂な声を上げる。夫婦喧嘩は徐々に白熱していった。
 二人の間で、ブラックコーヒーにミルクが混ざっていくような感じがあった。言い合いをしながら、何かがほぐれていく。
 不快感はなかった。むしろ高揚感がある。」

よくある夫婦喧嘩ではあるが、「何かがほぐれていく。/不快感はなかった。むしろ高揚感がある。」ここでは一つ、何かが突き抜けている。
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一行目の起爆力――『素敵なダイナマイトスキャンダル』(3)

この本の後半で、中心にいるのは荒木経惟である。著者が会ったのは昭和51年の春。このころは荒木経惟と会えば、写真の話ばかりしていた。
 
そこで荒木と喋っていたのは、「写真論」のない写真を復権させよう、ということだった。

「写真論がない写真は、カメラ雑誌、写真雑誌から排除されてしまうのである。僕は、写真雑誌が捨ててしまったこれらの写真を、なるべく多く入れて写真雑誌を作りたいと思っていた。捨てたものを拾うのだから、クズ拾いと言っていた。」
 
そういうことを言うと、それは写真ではないと言われるが、しかしそういう「写真フィールドを広くしないと窒息してしまうぞ」、というのが著者の気持ちだった。
 
そして、そういうことがよく分かっているのが、荒木経惟であった。
 
著者にそんなふうに言われると、そうだろうなあ、荒木経惟しかいないよなあ、と思ってしまう。しかし僕は、荒木経惟を、好きでもなければ嫌いでもない。縁なき衆生というほかはない。
 
この本は終わりに、「そのまた終わりのまた終わりに」がついている。

「気がついたら、五十を過ぎていた。この本を書いたときは、僕が三十四歳のときだから、もう十六年以上たったことになる。」
 
その間、『パチンコ必勝ガイド』は売れに売れ、月刊から月二回刊にし、それでも部数は伸び、ついに50万部も発行することになった。
 
そしてその間に、『パチスロ必勝ガイド』『漫画パチンカー』『パチンカーワールド』『パチンコ一番』といった、パチンコ関連雑誌や増刊号を作りまくり、会社は莫大な利益を上げた。
 
しかし個人的には、ろくなことがなかった。

「先物取り引きにハマり一億円ものお金がなくなり、バブルの頂点で土地やマンションを買いまくり二億円以上の負債を作り、麻雀や競馬やカジノに夢中になってボロボロになる、ということもあった。」
 
しかしここでも、著者は「ダイナマイトの母」の教えを頼みにして、なんとかバランスを保っている。

「会社はどんどん儲かり、僕はどんどん借金地獄になっていったのだが、良く分からないが、それはそれでバランスが取れていたように思う。だから、そのことが苦になっていたわけではないのだが、なんだかいつも心に風が吹いているみたいな感じになってしまった。おそらく、生きる支えのようなものがなくなっていたのかもしれない。」

ダイナマイトで死んだ母の教えは、急場でバランスを取るにはいいが、日常を生きてゆくには、持続力の点で問題があったのだ。まあ、ダイナマイトだから当たり前だ。
 
そんなことを考えているとき、50歳近くなって、一人の女を好きになり、それまでの家を飛び出して、一緒に暮らすことになった。それでようやく心に吹く風がやんだ。
 
人のこととはいえ、ここまで読んできて、少しほっとした。
 
なお、この本には書いてないが、この女性は神蔵美子という写真家で、写真集『たまもの』で、自身と末井昭、坪内祐三の三角関係を撮ったことで有名である。

(『素敵なダイナマイトスキャンダル』
 末井昭、1999年4月22日初刷、2018年3月5日第4刷)
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一行目の起爆力――『素敵なダイナマイトスキャンダル』(2)

末井昭はピンク・サロンの看板描きから、ヒニール本、エロ本の制作と、そういう業界を流れ歩く。しかし荒んだ感じはしない。
 
そこが、ダイナマイトで死んだ母の存在が、母の教えというのとは違うが、効いているような気がする。
 
たとえばピンク・サロンで働いているときも、いやだなあとは思うけれども、拗ね者が僻む、という感じはしない。
 
例えば、こういうところ。ピンク・サロンでホステスが、途中で別のテーブルに呼ばれ、「インケー丸出しの人」が放っておかれる時がある。

「インケーの上にオシボリをかけた男たちが、ションボリ座っている光景は、もの悲しいものがある。
 僕は、インケーにオシボリをかけたりもしていたが、地下室で泣いたり、触られたり、裸になったりしていたホステスさんのことや、マネージャーに殴られるお客のことなんか頭にあったので、なんとなく熱中できなかった。」
 
普通こういう人は、犯罪すれすれの底辺を行く感じがあって、だんだん荒んでくる。

あるいは、そういうところから浮かび上がろうとして足搔いたり、またはより深く、犯罪の方へ身を寄せたりする。つまり、非常に不安定になりがちだ。
 
著者はそこでは、ある種達観している。せいぜい仕事に、「なんとなく熱中できなかった」くらいだ。
 
白夜書房で『NEW SELF』を作っているときも、これが「射精産業専門誌」であることを、ついつい忘れてしまう。
 
警察にワイセツと言われて、こういうのがワイセツなのか、と気づくありさまだ。

「『NEW SELF』は、廃刊になる頃になると、〔オナニーの〕専門誌からイツダツする一歩手前にあった。これは僕が雑誌を編集する上でマズイのであった。専門誌からイツダツしてしまうと、単なる芸術雑誌や単なる写真雑誌や単なる若者向け総合雑誌になってしまう。あくまでも専門誌でありながら、何だか分からないようなものが僕は好きなのだった。」
 
最後の「何だか分からないようなものが僕は好きなのだった」というところを、もう少し詰めていけば、もっと面白い内容になったのになあと、ここは残念に思う。

「僕は、そういうエロ雑誌のことを、単に専門誌と呼んでいた。エロにもいろいろ要素があって、オナニーに役立つか役立たないかということでまず分類される。当然バタイユのエロティシズムなんかではオナニーできないから、これは専門誌に向かない、ということになる。
 だいたい僕はバタイユなんかも好きだった芸術青年だった。ところが、キャバレー以来今日までやってきている仕事は、ずっと射精産業なのである。」
 
この、はた目にもわかる落差が、末井昭の売りである。
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一行目の起爆力――『素敵なダイナマイトスキャンダル』(1)

この作品は1982年に単行本が出た。それが1984年に角川文庫で再刊された。
 
そしてさらに、それがなくなると、1999年にちくま文庫で再々刊され、第4刷が2018年に出された(僕が持っているのはそれだ)。版元を変えながらもなかなかの、というか非常な生命力である。
 
著者の末井昭は白夜書房で『ウイークエンドスーパー』『写真時代』『パチンコ必勝ガイド』などを編集し、それがよく売れたので、業界の注目を集めた。
 
カバー袖の著者紹介を見ると、1948年生まれとあるから、今年70歳をいくらか超えたくらい。フリーで執筆やライブ活動を行っているとある。

『ウイークエンドスーパー』はどんな雑誌か忘れたが、というか、手に取らなかったかもしれないが、『写真時代』はコンビニでときどき見かけた。手に取ってもみたが、買いたくなるような本ではなかった。たぶん読者対象ではなかったのだろう。

パチンコは、独身のときも、結婚してからも、子どもが生まれるまではよくやったが、『パチンコ必勝ガイド』を手に取ったことはない。

ところでこの本は、冒頭一行目が、もっとも力がある。

「芸術は爆発だったりすることもあるのだが、僕の場合、お母さんが爆発だった。」
 
このことを下手に解釈したりせずに、淡々と綴っていく。

「正確に言うと、僕のお母さんと近所の男の人が抱き合って、その間にダイナマイトを差し込み火を付けたのであった。ドカンという爆発音とともに、二人はバラバラになって死んでしまった。」
 
冒頭の1ページ目が、そういうわけで異様に力があるので、それで最後まで思わず読んでしまう。冒頭のバイアスが、その後もずっとかかっている。

「僕はグラフィック・デザイナーになる決心をしたのだった。グラフィック・デザイナーになるためには、とりあえずその頃いっぱいあったデザイン専門学校に入ろうと思って、その入学金が必要だから牛乳配達まで始めた。ついでに、夜は目覚まし時計の組み立てという内職も始めた。
 朝四時に起きて牛乳配達、昼間は工場でイネムリ、夜はレタリングの通信講座と目覚まし時計の組み立て、という毎日が続いた。」
 
青年の刻苦勉励の物語が、「お母さんが爆発だった」というせいで、異様な色合いを帯びている。それはそれで、興味深いことではある。
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今度は正真正銘、ハードボイルド――『騙(かた)る』

『オール讀物』に、おおよそ1年に1回掲載された、黒川博行の連作短編集。2015年から2020年までの、6篇が収められている。
 
目次は雑誌の掲載順ではない。そこは細かく神経を使っている。
 
黒川雅子のジャケットの装画が見事である(この人が黒川博行の女房だろう)。艶やかな衣装で日本髪を結った舞子が、手をついてお辞儀をする全身像を捉えている。
 
その眼がこちらを見通すようで、じつは何も見ていない、つまり読者と向き合っているのに、読者を見ていない。その眼は『騙る』というテーマを、まさしく象徴したものだ。

佐保は美術雑誌『アートワース』をビジネスにして、業界に巣食っている。佐保編集長を狂言回しにして、騙し騙されの世界が繰り広げられる。もちろん佐保も、徹底したワルではないが、腹の中は黒い。

絵画や彫刻だけでなく、正倉院と同時代の上代裂(じょうだいぎれ)や、ヴィンテージアロハが、取引のテーマになっているのが面白い。
 
また中国の古い墨、乾隆御墨(けんりゅうぎょぼく)や、中国古代王朝の青銅器、鶯文六花形盒子(うぐいすもんろっかがたごうす)など、読んでも何だかわからず、想像するほかないものもある。
 
もちろん全部が偽物である。それをどういうふうに細工し、本物に見せるか、そして誰が最後にババを摑むか、そういう面白さを、心理面は最小にして、行動だけを描いていく。まさにハードボイルドだ。
 
黒川博行は、長編だとかならずコンビを描く。警察かヤクザの二人連れだ。それ以外は、乱闘やドンパチがないからしょうがない。

行動だけを描いていくと、大半は追跡しか描くことがないので、実に単調になる。ハードボイルドは単調をどうやって逃れるか、腕が要るのだ。

結果、二人のコンビは、漫才をやるしかなくなる。僕は黒川博行の、そういうところが大好きなのである。

しかし長編全体としては、なんというか、ちょっとヨレてしまう。

僕はそれでもいいが、それは関西特有の風土に育ったものだけが楽しめるのだろう、たぶん。
 
短編の場合は、その冗漫さがない。全体が引き締まって、文句のつけようがない。

本当に久しぶりに短篇の粋を味わい、つづけて二度読んだ。二度目は、描写に唸るところがあり、より面白くコクがあった。

(『騙る』黒川博行、文藝春秋、2020年12月15日初刷)
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人間が濃い――『師弟―棋士たち 魂の伝承―』(4)

この本は『師弟』というタイトルで、弟子ばかりではなく、師匠の方にも同量の原稿が割かれている。
 
必ずしも超一流ではない、と言ったら怒られそうな石田和雄、この人はNHK杯の解説をさせれば、右に出る者はなかった。
 
また森信雄は、村山聖の師匠として名高い。映画『聖の青春』ではリリー・フランキーが、いかにも冴えない、しかし味わい深い師匠役を演じていた。
 
同じ師弟でも、その関わりはすべて違う。たとえば第二章の森下卓と増田康宏の場合、その章題は「葛藤」である。
 
自分のすべてを弟子に注ぎ込みたい森下と、自分の考えを押し立てて進みたい増田は、そこで葛藤が生じるのだ。
 
そういえば増田のカラーページは、タイトルが「独房」だった。そのネームはこうだ。

「増田六段の自宅研究は、パソコンを相手に立ち続けて一日6時間。集中するために、気が散るものは一切置かない。まさに独房だ。」
 
いろんな師弟関係があって、何度読んでも飽きることがない。
 
ここに挙げられた、都成竜馬、増田康宏、佐々木大地、糸谷哲郎、佐々木勇気は、次世代を担う若手のトップだ。
 
羽生善治以下、佐藤康光、森内俊之、 郷田真隆といったところが五十の坂を越え、次の渡辺明名人、豊島将之竜王を倒すべく、若手は照準を絞った。
 
そこに、藤井聡太という異次元の天才が現われた。彼ら若手にしてみたら、渡辺、豊島を追いかけていると思っていたところ、およそ一回り下の、十代の高校生から猛烈に追い上げられていて、去年はついに王位・棋聖の二冠を取られた。それは驚愕すべきことなのだ。

このまま順当に行けば、八冠の全タイトルを、この2,3年で手中に収めそうだと、何よりもプロ棋士が見ている。「藤井君ならしょうがない。だって人生、二回やってるんだもの」。

そんな中で、それは絶対に阻止しなければ、と思っているのが、『師弟』に挙げられた若手棋士なのだ。そうしなければ、彼らの存在は全否定されることになるからだ。

『師弟』なんて読むんじゃなかった。これを読めばどの棋士も、力を入れて応援したくなるじゃないか。
 
そしてもう、そうなっている。僕は現在、67歳。あと何年生きるかわからないが、藤井聡太とその一群を思えば、人生はいよいよ色濃くなるような気がする。

(『師弟―棋士たち 魂の伝承―』野澤亘伸、光文社文庫、2021年2月20日初刷)
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人間が濃い――『師弟―棋士たち 魂の伝承―』(3)

カラーグラビアで、藤井聡太と杉本昌隆が一枚の写真に納まっているのは、「恩返しの朝」と名付けられている。
 
藤井がプロになって初めて、師匠の杉本と公式戦を闘ったのだ。
 
この一戦は千日手になった。30分の休憩後、先後を入れ替えて再開。

千日手は杉本の意地と見えた。すでに藤井の方が強いことは分かっている、しかし簡単に負けはしないぞ、そういう気迫が、まざまざと見えた。
 
そういう千日手だから、藤井もそれが成立することを、当然のこととして受け入れた。
 
再開後の一局は藤井の勝ちだった。杉本は手洗いから戻ると負けを告げ、藤井はそれに対し、しばらく頭を下げていた。
 
それから感想戦に入った。その感想戦も終わった後の一枚の写真が、モノクロ、見開きで出ている。部屋を圧する無数のカメラマンを背景に、藤井は頭を下げ続けている。杉本は体を起こし、じっと藤井を見つめている。
 
弟子が師匠に勝つ「恩返し」を、これほど強烈に印象付けるものはない。背景になった無数のカメラマンは、いつまでも頭を下げ続ける藤井を見て、何を思ったろうか。
 
谷川浩司は藤井についてこう話す。

「記者からの質問など、深い考えもなしにあれだけ答えられるものではない。発言を聞いていると、彼が高校生だということを忘れてしまう。棋士たちの間では『藤井君はすでに人生2回目だから』と言われているそうですよ。そう思えば、合点がいきますね」。
 
たしかに、そう思わせるところがある。
 
この本は他に付録として、羽生善治に対する特別インタビューと、森下卓九段・深浦康市九段・杉本昌隆八段による座談会、「おらが弟子自慢」が載っている。
 
その中から、印象に残る文章を引いておく。

「羽生善治は永世七冠を達成したときに、『将棋そのものを本質的にわかっていない』と語った。自らの記録は『通過点』であり、長く膨大な研究の一端にすぎないという。」
 
こういう言葉は、まったく分からないものとしておくのがいい。僕のようなのが、なんとなく分かるような気がする、と述べることはまったくの間違いだ。これは当たり前だ。
 
つぎは座談会における杉本昌隆の発言から。これまで普通は個性の強い若手が、ベテランの棋士には理解が難しい、新しい作戦を使って活躍するケースを見ることが多かった。

「ただ藤井二冠に関しては、先輩が理解できないことがまったくないというか、逆にとても理解しやすいんですね。だから結果として、デビュー戦の加藤一二三九段戦もそうですけど、相手の一番いいものを引き出していく。それで勝ち上がるのは相当に大変なんじゃないかと思います。」
 
ここに藤井の本性というか、そのまっすぐな性格が出ている。矢倉なら矢倉の本質を、先達に教えてほしい、まっすぐに、ただそれだけを思うのだ。
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人間が濃い――『師弟―棋士たち 魂の伝承―』(2)

巻頭に「棋士の貌」と題する、8ページのカラーグラビアがある。構成は次の通り。

 永世永世名人  谷川浩司(1p)
 勝負の鬼  佐々木勇気(2-3p)
 恩返しの朝  杉本昌隆ー藤井聡太(4p)
 独房  増田康宏(5p)
 師を追う  深浦康市ー佐々木大地(6-7p)
 眠れぬ夜  都成竜馬(8p)

プロカメラマンらしく、どれも素晴らしい。

そして最初の「谷川浩司ー都成竜馬」が、まず唸らせられる。

都成竜馬は谷川浩司の、ただ一人の弟子である。

都成の生まれた日は平成2年1月17日。阪神淡路大震災は、平成7年の1月17日に起きた。
 
谷川は、1月17日という日付に反応したのだ。
 
けれども都成は、奨励会を抜けてプロになることが、なかなかできなかった。26歳までにプロにならなければ、奨励会を退会しなければならない。
 
その最後の26歳で、都成竜馬はプロの四段になった。最後の三段リーグは息詰まる戦いであった。
 
こういう文章を読むと、都成竜馬の存在が常に気にかかる。もともと三段リーグにいるときから、強い棋士だったのだ。

六段まで参加資格がある新人王戦に参加して、三段リーグのときに優勝している。プロは四段からで、三段はアマチュアである。都成は本当に強い棋士なのだ。

26歳で最後の三段リーグを迎えるとき、師匠谷川はどんな思いだったろうか。

その胸中を思うと、というか谷川永世名人の胸中は、誰にもわからないけれど、それでも胸が締め付けられ、息苦しくなる。
 
深浦康市の弟子の佐々木大地は、11歳のとき、酸素ボンベのような危惧をつけて現われた。9歳のとき、拡張型心筋症を発症したのだ。
 
深浦はこの子を、弟子として取る。そこに至るまでに、佐々木大地とその両親、そして深浦康市の三者は、凄まじいドラマを演じている。
 
もし対局中に心臓発作が起きたら、どうするのか。親がいくら責任を持つといっても、結局は深浦が最終決断をしなければ、どうにもならないのだ。
 
その後、佐々木大地は奇跡的に、拡張型心筋症を克服した。医師はただ、「信じられない、奇跡だ」と言ったという。
 
テレビでNHK杯の将棋を見ているとき、藤井聡太の相手が佐々木大地だったら、僕はどっちを応援すればいいんだろう。
 
異次元からやって来た藤井聡太だろうか、それとも心臓病を克服する奇跡を演じた佐々木大地だろうか。
 
もう将棋は、正面からは見たくない。そうでないと僕はまた、脳出血を起こしかねない。
posted by 中嶋 廣 at 12:23Comment(0)日記

人間が濃い――『師弟―棋士たち 魂の伝承―』(1)

先の5月6日は、大変だった。

アメリカではパドレスのダルビッシュ有が先発で投げ、日本では王座戦で、藤井聡太が深浦康市九段と戦った。
 
両方推しの僕としては、テレビとパソコンの両方の画面が気になって、何も手につかない。
 
昼までに、まずダルビッシュの方が6回で交代になった。このときは2対2の同点で、ダルビッシュに勝敗はつかなかった。もっと早めに点を取ってやらんか、といつものように毒づく。でも試合は勝ったから、ホッとした。これで変わらず3勝1敗。5月初めにこの調子ならまずまずだ。
 
藤井・深浦戦は、わりとのんびり見ていた。藤井はこのとき18連勝していて、約半年前から負けていない。藤井はもう負けないんじゃないか。負けるとすれば、交通事故みたいなもんだろう。

昼過ぎには、コンピューターの評価値は、60%対40%で藤井有利と出ていた。
 
それですこし仕事をして、夕方になって見てみると、何ということだ。評価値は逆転して、80%対20%で、深浦の圧倒的有利ではないか。うううむ。
 
でも大丈夫。最後の最後に、奇跡のAI超えの手を連発し、いつものように勝ってくれる、と思う間もなく、なんと藤井聡太は半年ぶりに負けたではないか。
 
しばらくは何も手につかない。同じ日に出てきて、2人ともに勝ちがつかないということがあるだろうか。……悪夢だ。
 
しばらくは呆然とし、それから、書棚から藤井聡太に関連する文庫本を取り出した(そうでもしないと、胸のモヤモヤの収まりがつかない)。

『師弟―棋士たち 魂の伝承―』(野澤亘伸(ひろのぶ)著)は、新聞に著者インタビューが出ていて、この人は本職、フリーランスのカメラマンである。
 
著者紹介の一部を引く。

「フリーランスとして、ソマリア、ナイジェリア、東ティモール、グアテマラ、レソト王国、ブルキナファソなど世界各地の子どもの貧困、人身売買、HIV問題を取材。一方、多数の雑誌の表紙・グラビア撮影を手がけ、タレント写真集約60冊を撮影している。著書に『美しすぎるカブトムシ図鑑』(双葉社)、『この世界を知るための大事な質問』(宝島社)などがある。」
 
これでは単行本のときは、手を出すのが躊躇われる。いったい何者だ。
 
しかし文庫になったのを読んでみると、棋士の師弟を描いて読ませる。ちなみに本書は、第31回将棋ペンクラブ大賞を受賞している。

師弟関係は次の六組。

 谷川浩司ー都成竜馬

 森下卓ー増田康宏

 深浦康市ー佐々木大地

 森信雄ー糸谷哲郎

 石田和雄ー佐々木勇気

 杉本昌隆ー藤井聡太

もちろん、最後の「杉本昌隆ー藤井聡太」があって初めて、企画として成立したのだろう。
 
しかし読み進めていくと、どの師弟関係も、人間の濃い味が出ていて唸った。
posted by 中嶋 廣 at 09:19Comment(0)日記

謎の核心はどこに――『ロッキード』(2)

『ロッキード』は前回も述べたように、約600ページの堂々たる本である。しかしノンフィクションとしては切れ味に欠ける。
 
田中角栄や児玉誉士夫らの、明らかになっていない面を白日の下にさらす、というのではなくて、ロッキードを取り巻く地平を、どこまでも隈なく拾い上げて、この疑獄事件がより大きな絵図に収まることを示そうとする。
 
ただ、その画面があまりに大きすぎて、読み終わったとき、うまく焦点が絞れない。
 
いや、もちろん焦点はある。

「米国、三木総理、検察庁、そしてメディア――はそれぞれが欲しいものを手に入れるために、角栄にとっては、余りに理不尽で不運な事態が、重なった。
 だが、角栄を破滅させた本当の主犯は、彼らではない。
 政治家・田中角栄の息の根を止めたのは、別にあった。
 世論だ。
 かつては今太閤と持て囃した国民こそが、角栄を葬ったのだ。」
 
いかにもなるほどと膝を打ちたくなるが、しかしよく考えてみると、これは何も言ってないに等しい。
 
この結論を持ってくるには、まったく違う組み立てと、それを述べる叙述が必要である、と私は思う。
 
それよりも私は、この600ページの本の中で、ただ一カ所、どうしても腑に落ちない点がある。
 
それは総理秘書官・榎本敏夫が、丸紅から5億円の現金を受け取り、それを田中角栄に届ける際、角栄付きのドライバーである笠原政則が運んでいることだ。

検察はそう主張しているし、それに基づき、榎本は外為法違反の罪が確定している。

問題は笠原政則である。

「笠原は、七六年七月三一日と八月一日に検事の取り調べを受け、翌朝、自宅近くの山中で、排ガスを車内に引き込んで自殺している。」
 
笠原に関する、この本の叙述はこれだけ。2日間、取り調べを受け、翌朝、自殺。これこそ、最大の謎である、と真山仁は思わなかっただろうか。
 
まさか笠原運転手に榎本敏夫が、これは賄賂で黒い金だから慎重に運ぶように、とは言わなかっただろう。
 
笠原は検事に、何をしゃべったのだろう。あるいは逆に、それはすぐに命を絶たなければいけないほど、隠しておくべきことなのだろうか。
 
ロッキード事件では、総理大臣も右翼の大物も、航空会社の社長も丸紅の重役も、みんなあたふたし(国会の証人喚問を思い出そう)、場合によってはお縄を受けることになるけれども、しかし考えてみれば所詮は金のことだ。

しばしほとぼりが冷めるまで、人前には出られないかもしれないが、ちょっと我慢していればいいことではないか。極端に言えばそういうことだ。
 
しかし笠原運転手は耐えきれず、車内にガス管を引いて死んでいる。
 
ロッキードの関係者は、金で横っ面を叩けば弱い連中ばかりだ。これはもう、そういうところは全員同じである。そして当然、何よりも命が大事だ。
 
独り、運転手の笠原政則だけは違っている。自殺をしても守りたいものがあったのだ。その謎をぜひ説いてほしい。

(『ロッキード』真山仁、文藝春秋、2021年1月10日初刷、30日第3刷)
posted by 中嶋 廣 at 09:30Comment(0)日記