伝説の正体?!――『鬼才――伝説の編集人 齋藤十一』(1)

齋藤十一については、2006年に冬花社より夫人の齋藤美和編で、決定版といっていい『編集者・齋藤十一』が出た。
 
これは夫人の編にはなっているが、元新潮社のIさんらが尽力されたと聞いた。
 
この本はあまりに面白くて、何十回も繰り返し読んだ。そういう人は、とくに編集者には多いだろう。

そこでは、元新潮社の前田速夫さんや伊藤喜和子さんをはじめ、知っている何人もの編集者が、齋藤十一を縦横に描いている。それが実に魅力的である。
 
こんど森功が書くにあたっては、これ以上のことが書けるだろうか、という危惧があった。
 
しかし結論からいうと、それは杞憂だった。夫人の編になる本はいわば共時的な本で、森功の方は通時的な本である。重なっている部分はあるが、力点の置き方が違う。
 
それに、夫人の編纂本には書かれていなかった、重要な箇所がある。これはあとで述べる。
 
齋藤十一が入社した1935年には、新潮社には150人以上の社員がいた。それが終戦を迎えた1945年8月15日には、わずか31人しか残っておらず、しかもそのうち3人は、なお出征中、徴用中であった。
 
齋藤十一の苦闘、というよりも新潮社の苦闘は、他のすべての出版社と同じく、ここから始まったのである。
 
しかしもちろん私は、いわゆる「新潮ジャーナリズム」をよしとしていない。世の中を斜に構えて、斜め下から見る見方は、いかにもわけ知りふうで、うんざりする。
 
それでも齋藤が、「キミたちは、僕が読みたい本をつくればいいんだよ」と、堂々と言うところには、何とも魅力がある。
 
自分が本当に読みたいものを作る、これはひどく難しい。大学を出て最初に入った筑摩書房は、3か月で倒産したが、その倒産した会社で、最初の編集会議のときに、私は自分が読みたい本を、そういう本だけを作りたいと述べて、出席者の嘲笑を浴びたことがある。
 
笑われた私は、そういうふうなことを言ってはいけないのだと、肝に銘じたが、紆余曲折を経てトランスビューを作ったとき、結局は最初の言葉通りのことをした。
 
だから「キミたちは、僕が読みたい本をつくればいいんだよ」という言い方には、いってみれば、いっそう限りない魅力を感じたのだ。

「編集現場で陣頭指揮を執った生前の斎藤は、どの雑誌でもそう語ってきた。そして、齋藤と接したことのある編集幹部たちはその齋藤の言葉を実践しようとしてきた。」
 
もちろんこれは素晴らしいけれど、私が言っていたこととは違う。

自分が読みたい本だけを作りたい、というのと、自分つまり齋藤十一が読みたい本だけを、他の編集者は作ればいいのだ、というのは、まるで違うことだ。そしてそういうふうに、自分のデザインのままに新潮社を作った人がいるというのは、ただただ驚異だ。
 
齋藤十一にとっては、新潮も、芸術新潮も、週刊新潮も、フォーカスも、自分が読みたい本であり、その中から売れる企画を選りすぐって出したに過ぎない。

それは言葉にすれば簡単だが、よく考えると、ただ呆然としてしまう。
posted by 中嶋 廣 at 15:35Comment(0)日記