この本のブログの第1回目に、「元バーのマダム、Tさんからは、齋藤幸平って面白いわよ、でも世の中がそっちの方向へ行っちゃうのは願い下げだけどね」と書いたら、Tさんから「そんなこと、言ってないわよ、むしろ逆よ」と抗議を受けた。
世界が、斎藤幸平さんの言う方向に、舵を切るのは大賛成だけど、「脱成長コミュニズム」、特にコミュニズムというのには抵抗があるわね、と言うことだった。
これでは私の言ったこととは、真逆のことである。すみません、人の意見を代弁するのは難しい。これからは気をつけます。
この本に戻って、資本主義のまま脱成長を推し進めることは、じつは実現不可能な空想主義だと言うのだ。脱成長で行くなら、この先、資本主義を組み替えた折衷案ではどうしようもない。
「もっと困難な理論的・実践的課題に取り組まねばならない。歴史の分岐点においては、資本主義そのものに毅然とした態度で挑むべきなのである。」
日々の暮らしを、仕事をしながら送っている人にとっては、これは言うは易く、実践するに難しいことではないだろうか。
そしてそれは、こういうところにつながっていく。
「労働を抜本的に変革し、搾取と支配の階級的対立を乗り越え、自由、平等で、公正かつ持続可能な社会を打ち立てる。これこそが、新世代の脱成長論である。」
それは無理だと思うよ。というよりも、こういう空疎な言葉で語られる労働論は、私は願い下げにしたい。
しかし間違えてほしくないのは、齋藤幸平氏の言う脱成長論も、化石燃料を排する環境論にも、大賛成であるということだ。
著者の言うコミュニズムは、もひとつ説得されるところまではいかないけれど、しかし資本主義がどん詰まりに来ていることは、かなりの人がそう思っている。ではどうするかということで、だからこの本を読んでいるのだ。
端的に言って、もうマルクスに拠りかかるのは、やめた方がよい。
「私たちが『人新世』の環境危機を生き延びるためには、まさに、この晩期マルクスの思索からこそ学ぶべきものがあるのだ。」
そうかもしれないが、でもそれは、マルクスを踏み台にした、斎藤幸平氏の意見として出した方がいいと思う。
この本を読めば、マルクスはどう言っているかという異論が、一部読者から必ず出てくる。学生運動はさすがに昔のことだが、それでも「マルクス、我が仏」という手合いが、まだウジャウジャいる。
そんなことで足元を泥に捕らわれるのは、齋藤氏の本意ではなかろう。それともマルクスという「仏」は、絶対に降ろしてはいけない旗印かな。
最高に刺激的! でも待てよ――『人新世の「資本論」』(2)
この本は、ナオミ・クラインの『地球が燃えている――気候崩壊から人類を救うグリーン・ニューディールの提言』と、途中まではまったく同じである。つまり議論の前提が同じなのである。
「二〇一六年に発効したパリ協定が目指しているのは二一〇〇年までの気温上昇を産業革命以前と比較して、二℃未満(可能であれば、一・五℃未満)に抑え込むことである。」
それは世界中、待ったなしで起こっているさまざまな異常気象や、カリフォルニアやオーストラリアの広範な山火事などである。
化石燃料とそれに由来する二酸化炭素が、気候変動を起こし、たとえば日本では、その影響で40℃以上の高温な日々や、何日もかけた集中豪雨と土砂災害、また近年、毎年襲うスーパー台風などがそれである。
それゆえ、ナオミ・クラインと同じく斎藤幸平氏にとっても、これは世界的な話題と同時に、身近なことでもあるのだ。
ナオミ・クラインはそこから、「グリーン・ニューディールの提言」に行きついた。これについては『地球が燃えている』をお読みいただきたい。ブログにはそれに対する批判、あるいは疑問も書いておいた。
齋藤幸平氏も、グリーン・ニューディールについては批判的である。本書をお読みいただきたいが、無理にも一言で言ってしまえば、それは経済成長を前提にした議論であり、将来の成長ジャンルの組み替えに過ぎない、というものである。
それに対し、『資本論』以後のマルクスを研究した斎藤氏は、経済成長を否定する「脱成長コミュニズム」に到達したのである。
著者は経済思想家なので、晩年のマルクスが『資本論』を突き抜けて、この時代に新たな思想家として、もう一度蘇ってくるのを期待している。それがつまり、新しいコミュニズムなのである。
その原理は、ごく簡単に言えばこうなる。
「資本主義がどれだけうまく回っているように見えても、究極的には、地球は有限である。外部化の余地がなくなった結果、採取主義の拡張がもたらす否定的帰結は、ついに先進国へと回帰するようになる。」
これは21世紀には、もう分かってはいることだが、正面切ってこれと取り組むのは、みな避けてきた、と思う。経済思想のことは皆目分からないけれど、多分そうだと思う。
資本主義はどん詰まりにきて、もう何ともならない、格差は世界的に見ても、一国の中だけを見ても、あまりに極端な乖離で、中間層などどこへ行ったものか、である。
資本主義の行きつく果てには、まだ少し時間がある。その間に知恵のあるものが、なんとかしてくれるだろう。こういう姿勢で、しかし今のところは、誰も、何ともなっていないんじゃないか。
その間、化石燃料による気候変動も、待ったなしである。
これが結び付いて、コミュニズムの再登場になったわけである。
「二〇一六年に発効したパリ協定が目指しているのは二一〇〇年までの気温上昇を産業革命以前と比較して、二℃未満(可能であれば、一・五℃未満)に抑え込むことである。」
それは世界中、待ったなしで起こっているさまざまな異常気象や、カリフォルニアやオーストラリアの広範な山火事などである。
化石燃料とそれに由来する二酸化炭素が、気候変動を起こし、たとえば日本では、その影響で40℃以上の高温な日々や、何日もかけた集中豪雨と土砂災害、また近年、毎年襲うスーパー台風などがそれである。
それゆえ、ナオミ・クラインと同じく斎藤幸平氏にとっても、これは世界的な話題と同時に、身近なことでもあるのだ。
ナオミ・クラインはそこから、「グリーン・ニューディールの提言」に行きついた。これについては『地球が燃えている』をお読みいただきたい。ブログにはそれに対する批判、あるいは疑問も書いておいた。
齋藤幸平氏も、グリーン・ニューディールについては批判的である。本書をお読みいただきたいが、無理にも一言で言ってしまえば、それは経済成長を前提にした議論であり、将来の成長ジャンルの組み替えに過ぎない、というものである。
それに対し、『資本論』以後のマルクスを研究した斎藤氏は、経済成長を否定する「脱成長コミュニズム」に到達したのである。
著者は経済思想家なので、晩年のマルクスが『資本論』を突き抜けて、この時代に新たな思想家として、もう一度蘇ってくるのを期待している。それがつまり、新しいコミュニズムなのである。
その原理は、ごく簡単に言えばこうなる。
「資本主義がどれだけうまく回っているように見えても、究極的には、地球は有限である。外部化の余地がなくなった結果、採取主義の拡張がもたらす否定的帰結は、ついに先進国へと回帰するようになる。」
これは21世紀には、もう分かってはいることだが、正面切ってこれと取り組むのは、みな避けてきた、と思う。経済思想のことは皆目分からないけれど、多分そうだと思う。
資本主義はどん詰まりにきて、もう何ともならない、格差は世界的に見ても、一国の中だけを見ても、あまりに極端な乖離で、中間層などどこへ行ったものか、である。
資本主義の行きつく果てには、まだ少し時間がある。その間に知恵のあるものが、なんとかしてくれるだろう。こういう姿勢で、しかし今のところは、誰も、何ともなっていないんじゃないか。
その間、化石燃料による気候変動も、待ったなしである。
これが結び付いて、コミュニズムの再登場になったわけである。
最高に刺激的! でも待てよ――『人新世の「資本論」』(1)
斎藤幸平は1987年生まれ、注目すべき気鋭の経済思想家である。
この人の名は、最初に元岩波書店社長の大塚信一さんから伺った。ちょっと面白い、ということだった。
元朝日カルチャーのNさんからもSNSで、こういう人が評判になっており、大澤真幸さんと対談していて面白い、Nさんは大澤真幸さんと何度も仕事をしており、その大澤さんが買うのだから面白い、というわけだ。
元バーのマダム、Tさんからは、齋藤幸平って面白いわよ、でも世の中がそっちの方向へ行っちゃうのは願い下げだけどね、という話だった。
非常に短期間に3人の方が名前を挙げているので、これは読まねばなるまい。
とはいうものの、経済の本は苦手だ。書評なんてとんでもない、なんとか付いて行った、おぼつかない記録、といったところか。
一方で、経済の本に偏見があるのは、実はこういうことなのだ、ということを最後に述べればと思う。
「人新世(ひとしんせい)」とは、人間の活動が地球上を覆い尽くした年代、という意味で、カンブリア紀など地質年代で見た地球上の、新しい時代という意味である。
これはノーベル化学賞受賞者、パウル・クルッツェンが、人類の経済活動が地球に与える影響があまりに大きいため、それを表わして言った言葉である。
人類の活動によって地球は大きく変えられているのだが、その中でもひときわ深刻なのが、大気中の二酸化炭素であり、これが地球温暖化を急激に促進し、果ては人類を地球上から住みにくく、または住めなくさせてしまうのだ。
では、この気候危機を回避するには、どうしたらよいか。
それには資本主義ではなくコミュニズム、それも経済成長をやめる「脱成長コミュニズム」で行かなければならない、というのが斎藤幸平氏の主張である。
これは昔、講談社におられた鷲尾賢也さんと議論したことがある。私が、もう経済成長はやめて、みんなで本でも読んで暮らしたらどうか、その方が地球上の資源がなくなるであろうときまで、なんとか時間が稼げる、といったのに対して、鷲尾さんは、経済学では、経済は成長することが前提なんだ、とおっしゃった。
鷲尾さんは慶應大学の経済を出ておられたから、文学部の私は、そういうものかと黙ってしまった。
しかし斎藤幸平氏は、成長しないことを前提に経済を考えておられるではないか。しかも資本主義ではなく、何とコミュニズムである。これは面白いぞ!
この人の名は、最初に元岩波書店社長の大塚信一さんから伺った。ちょっと面白い、ということだった。
元朝日カルチャーのNさんからもSNSで、こういう人が評判になっており、大澤真幸さんと対談していて面白い、Nさんは大澤真幸さんと何度も仕事をしており、その大澤さんが買うのだから面白い、というわけだ。
元バーのマダム、Tさんからは、齋藤幸平って面白いわよ、でも世の中がそっちの方向へ行っちゃうのは願い下げだけどね、という話だった。
非常に短期間に3人の方が名前を挙げているので、これは読まねばなるまい。
とはいうものの、経済の本は苦手だ。書評なんてとんでもない、なんとか付いて行った、おぼつかない記録、といったところか。
一方で、経済の本に偏見があるのは、実はこういうことなのだ、ということを最後に述べればと思う。
「人新世(ひとしんせい)」とは、人間の活動が地球上を覆い尽くした年代、という意味で、カンブリア紀など地質年代で見た地球上の、新しい時代という意味である。
これはノーベル化学賞受賞者、パウル・クルッツェンが、人類の経済活動が地球に与える影響があまりに大きいため、それを表わして言った言葉である。
人類の活動によって地球は大きく変えられているのだが、その中でもひときわ深刻なのが、大気中の二酸化炭素であり、これが地球温暖化を急激に促進し、果ては人類を地球上から住みにくく、または住めなくさせてしまうのだ。
では、この気候危機を回避するには、どうしたらよいか。
それには資本主義ではなくコミュニズム、それも経済成長をやめる「脱成長コミュニズム」で行かなければならない、というのが斎藤幸平氏の主張である。
これは昔、講談社におられた鷲尾賢也さんと議論したことがある。私が、もう経済成長はやめて、みんなで本でも読んで暮らしたらどうか、その方が地球上の資源がなくなるであろうときまで、なんとか時間が稼げる、といったのに対して、鷲尾さんは、経済学では、経済は成長することが前提なんだ、とおっしゃった。
鷲尾さんは慶應大学の経済を出ておられたから、文学部の私は、そういうものかと黙ってしまった。
しかし斎藤幸平氏は、成長しないことを前提に経済を考えておられるではないか。しかも資本主義ではなく、何とコミュニズムである。これは面白いぞ!
高齢女性の友――『おらおらでひとりいぐも』
斎藤美奈子の『忖度しません』に挙がっている中で、唯一購入した本。カバーに「63万部突破のベストセラー映画化!/芥川賞&文藝賞W受賞の感動作」とある。
このごろは本が売れないから、目新しいものにはすぐに賞を与える。今回は該当作ナシ、ということには絶対にならない。だから眉に唾をつけつつ、それでも思わず期待してしまう。
斎藤美奈子の本にも書かれていたように、若竹千佐子は63歳で文藝賞を獲り、翌2018年に芥川賞を受賞した。
著者は、「青春小説」ではなく「玄冬小説」を書きたい、と言っていたらしい。なるほど、これからはそちらの方に需要がある、と考えるのが普通だ。
小説の冒頭から東北弁が噴出し、これでノックアウトされちゃった人もいたに違いない、と斎藤美奈子は書く。
たしかにちょっと驚かされる。東北弁に乗せられて、読みにくいことは読みにくいけれども、調子がついてやめることができない。
もっとも内容はといえば、年寄りの繰り言か、井戸端会議のたぐいである。
そこに突然、主人公の「桃子さん」が若い頃、直前に縁談を蹴り飛ばして、出奔した話が出てくる。
「その年の秋、組合長さんの息子との縁談が持ち上がり、好きでも嫌いでもなかったけれど桃子さんは受け入れた。とんとん拍子に話が進み、結納も済み、あと三日でご祝儀という日にあれが鳴ったのだ。ファンファーレ、東京オリンピックのファンファーレ。あの高鳴る音に押し出されるように、式場も段取りも何もかも整っていたのに故郷の街を飛び出してしまった。」
なんだか『卒業』、それも一人で演じる『卒業』みたいだ。
そして実は、「桃子さん」の劇的な話はこれで終わっているのだ。
あとはよくある繰り言。「桃子さん」は結局、実家と仲直りし、あとは母として生きた。
もちろんそれでは、本としてもたないので、東北弁を混ぜ、またはときどき批評を混ぜる。
「愛はくせもの/愛どいうやつは自己放棄を促す/おまげにそれを美徳と教え込む/誰に/女に/あなた好みの女になりたい!/着てはもらえぬセーターを寒さこらえて編んでます/何とかならないのが、この歌詞。この自己卑下。奴隷根性」
斎藤美奈子によればこの小説は、高齢者の女性たちから、とてもよく分かるという葉書がたくさん来たらしい。さもありなん、そしてそれだけのこと、と私には思える。
(『おらおらでひとりいぐも』若竹千佐子
河出文庫、2020年6月20日初刷、10月30日第4刷)
このごろは本が売れないから、目新しいものにはすぐに賞を与える。今回は該当作ナシ、ということには絶対にならない。だから眉に唾をつけつつ、それでも思わず期待してしまう。
斎藤美奈子の本にも書かれていたように、若竹千佐子は63歳で文藝賞を獲り、翌2018年に芥川賞を受賞した。
著者は、「青春小説」ではなく「玄冬小説」を書きたい、と言っていたらしい。なるほど、これからはそちらの方に需要がある、と考えるのが普通だ。
小説の冒頭から東北弁が噴出し、これでノックアウトされちゃった人もいたに違いない、と斎藤美奈子は書く。
たしかにちょっと驚かされる。東北弁に乗せられて、読みにくいことは読みにくいけれども、調子がついてやめることができない。
もっとも内容はといえば、年寄りの繰り言か、井戸端会議のたぐいである。
そこに突然、主人公の「桃子さん」が若い頃、直前に縁談を蹴り飛ばして、出奔した話が出てくる。
「その年の秋、組合長さんの息子との縁談が持ち上がり、好きでも嫌いでもなかったけれど桃子さんは受け入れた。とんとん拍子に話が進み、結納も済み、あと三日でご祝儀という日にあれが鳴ったのだ。ファンファーレ、東京オリンピックのファンファーレ。あの高鳴る音に押し出されるように、式場も段取りも何もかも整っていたのに故郷の街を飛び出してしまった。」
なんだか『卒業』、それも一人で演じる『卒業』みたいだ。
そして実は、「桃子さん」の劇的な話はこれで終わっているのだ。
あとはよくある繰り言。「桃子さん」は結局、実家と仲直りし、あとは母として生きた。
もちろんそれでは、本としてもたないので、東北弁を混ぜ、またはときどき批評を混ぜる。
「愛はくせもの/愛どいうやつは自己放棄を促す/おまげにそれを美徳と教え込む/誰に/女に/あなた好みの女になりたい!/着てはもらえぬセーターを寒さこらえて編んでます/何とかならないのが、この歌詞。この自己卑下。奴隷根性」
斎藤美奈子によればこの小説は、高齢者の女性たちから、とてもよく分かるという葉書がたくさん来たらしい。さもありなん、そしてそれだけのこと、と私には思える。
(『おらおらでひとりいぐも』若竹千佐子
河出文庫、2020年6月20日初刷、10月30日第4刷)
いまだ、漂って沈まず――『忖度しません』(5)
今度の本の中で、唯一私が購入したのは、若竹千佐子の『おらおらでひとりいぐも』だ。2017年の文藝賞受賞作品で、これは斎藤美奈子も選考委員の一人である。そしてどうやらこれを押したらしい。
1940年生まれの「桃子さん」の一人称小説で、東北弁によるモノローグが、全編に噴出していて面白い。これと、標準語の三人称による、説明的な語りとで構成される。
〈あいやぁ、おらの頭(あだま)このごろ、なんぼがおがしくなってきたんでねべか/どうすっぺぇ、この先ひとりで、何如(なんじょ)にすべがぁ/何如(なじょ)にもかじょにもしかたながっぺぇ/てしたごどねでば、なにそれ/だいじょぶだ、おめには、おらがついでっから〉。
方言なので、パソコンで書き写すだけでも一苦労だ。
でもこれを見ただけでも、斎藤美奈子の言うように、冒頭からノックダウンされる人もあるかしらん。
著者の若竹千佐子は「青春小説」ではなく、「玄冬小説」が書きたかったとのこと(この小説については、この後のブログで取り上げたい)。
この章は「老境を描く『玄冬小説』って?」と題して、他に高村薫『土の記』と橋本治『九十八歳になった私』を挙げる。
橋本治は、このブログを読んでいる人ならお分かりだろうが、読む気がしない。
高村薫の方は、野間文芸賞と大佛次郎賞の両方を受賞している。これはなかなかないことだ。
そう思って、章末の『土の記 上下』の梗概を読むと、「長く植物状態にあった妻が逝き、定年退職したいまは妻が丹精した棚田づくりに精力を傾ける。自然や天候、とりわけ雨の描写が印象的。季節ごとの稲の生育状況、親戚縁者の話なども盛り込み、山間の農業小説の趣も」とある。
うーん、農業小説か。
Wで賞を取るんだから、読めばきっと面白いんだろう。でも、そこでもうひと声ないと、とても読む気がしない。だれか近くにいる人で、これはこういうところが面白い、と言ってくれる人がいないものか。
本全体の中には、カミュの『ペスト』も、評判になったチョ・ナムジュの『82年生まれ、キム・ジヨン』も取り上げられている。いずれも大変面白かった。
しかし『ニッポン沈没』に比べると、挙がっている本の中で、読むべき本が少ない。
斎藤美奈子の批評眼は健在だろうから、出版界が沈没しかかっている、というほかないのだろう。
(『忖度しません』斎藤美奈子、筑摩書房、2020年9月20日初刷)
1940年生まれの「桃子さん」の一人称小説で、東北弁によるモノローグが、全編に噴出していて面白い。これと、標準語の三人称による、説明的な語りとで構成される。
〈あいやぁ、おらの頭(あだま)このごろ、なんぼがおがしくなってきたんでねべか/どうすっぺぇ、この先ひとりで、何如(なんじょ)にすべがぁ/何如(なじょ)にもかじょにもしかたながっぺぇ/てしたごどねでば、なにそれ/だいじょぶだ、おめには、おらがついでっから〉。
方言なので、パソコンで書き写すだけでも一苦労だ。
でもこれを見ただけでも、斎藤美奈子の言うように、冒頭からノックダウンされる人もあるかしらん。
著者の若竹千佐子は「青春小説」ではなく、「玄冬小説」が書きたかったとのこと(この小説については、この後のブログで取り上げたい)。
この章は「老境を描く『玄冬小説』って?」と題して、他に高村薫『土の記』と橋本治『九十八歳になった私』を挙げる。
橋本治は、このブログを読んでいる人ならお分かりだろうが、読む気がしない。
高村薫の方は、野間文芸賞と大佛次郎賞の両方を受賞している。これはなかなかないことだ。
そう思って、章末の『土の記 上下』の梗概を読むと、「長く植物状態にあった妻が逝き、定年退職したいまは妻が丹精した棚田づくりに精力を傾ける。自然や天候、とりわけ雨の描写が印象的。季節ごとの稲の生育状況、親戚縁者の話なども盛り込み、山間の農業小説の趣も」とある。
うーん、農業小説か。
Wで賞を取るんだから、読めばきっと面白いんだろう。でも、そこでもうひと声ないと、とても読む気がしない。だれか近くにいる人で、これはこういうところが面白い、と言ってくれる人がいないものか。
本全体の中には、カミュの『ペスト』も、評判になったチョ・ナムジュの『82年生まれ、キム・ジヨン』も取り上げられている。いずれも大変面白かった。
しかし『ニッポン沈没』に比べると、挙がっている本の中で、読むべき本が少ない。
斎藤美奈子の批評眼は健在だろうから、出版界が沈没しかかっている、というほかないのだろう。
(『忖度しません』斎藤美奈子、筑摩書房、2020年9月20日初刷)
いまだ、漂って沈まず――『忖度しません』(4)
「文学はいつも現実の半歩先を行っている」と題して、文学作品ばかりを収めた部がある。これぞ文芸批評家・斎藤美奈子の真骨頂と期待して読んだが、それほどのことはない。
「認知症が『文学』になるとき」の章は、ねじめ正一『認知の母にキッスされ』、中島京子『長いお別れ』、坂口恭平『徘徊タクシー』の三点。
私はこのうち『長いお別れ』を読んでいる。私の母が軽度の認知症になって、そこから進行していくことが予想されたころだ。
この小説はとにかく甘い。認知症の上っ面をなめただけで、これなら認知症も全然恐くない、と誤解させるに十分だ。
認知症の老人が大便を壁にのたくり、そして食べちゃう、または自分の子どもを捕まえて、おまえは誰だ、泥棒だな、と叫ぶようなこともない。
この小説と並ぶと、ほかのもこの程度かと、あまり読む気がしなくなる。
それよりも、この章の前段に挙げられている有吉佐和子『恍惚の人』や、耕治人の三部作『天井から降る哀しい音』『どんなご縁で』『そうかもしれない』の方が、よほど迫力がある。
『そうかもしれない』は、老人ホームの面会日に、「私」(耕治人)が「妻」に会いに行く。看護婦さんは「妻」を連れてきて、旦那さまよ、という。
すると「妻」は、ぼそっと言うのである。「そうかもしれない」、と。
『どんなご縁で』も、もうお分かりになるであろう。かいがいしく「妻」の世話を焼いている耕治人に、妻はそのセリフ、「どんなご縁で」を言うのである。
いずれも本当に切なく、やりきれない。
認知症の認識は、一見変わってきたようだが、実は実態はそれほど変わらないともいえる。
問題は、認知症になる人ではなくて、まわりの人間であろう。それはいくぶん理解が進んだ。
しかし人生の最終段階に来て、それは本人にとっては、どうにもならないものなのだ。
「セクシュアリティと小説のトリッキーな関係」では、性的マイノリティを取り上げた文学を読む。「LGBT」という言葉で総称される人々だ。
伊藤朱里『名前も呼べない』(太宰治賞作品)、春見朔子『そういう生き物』(すばる文学賞作品)、ジャッキー・ケイ『トランペット』(中村和恵・訳)が挙げられている。
この中で、私は『トランペット』を読んだ。
「性別の秘密をあくまでも隠し、完璧な男性を装って生きた主人公の一生を、多様な証言から小説は描き出していく。」
構成に工夫があり、文章も丹念な佳品だが、私は最後まで作品を、十全に味わうところまではいかなかった。
これはこのブログでは珍しく、訳者の中村和恵氏から、どういうところが納得できなかったのか、という懇切なメールをいただいた。
私の方からも返事を差し上げるべきところ、そうしなかった。ブログに書いた以上のことを書く自信がなかったのだ。本当に申し訳ないことをした。
「認知症が『文学』になるとき」の章は、ねじめ正一『認知の母にキッスされ』、中島京子『長いお別れ』、坂口恭平『徘徊タクシー』の三点。
私はこのうち『長いお別れ』を読んでいる。私の母が軽度の認知症になって、そこから進行していくことが予想されたころだ。
この小説はとにかく甘い。認知症の上っ面をなめただけで、これなら認知症も全然恐くない、と誤解させるに十分だ。
認知症の老人が大便を壁にのたくり、そして食べちゃう、または自分の子どもを捕まえて、おまえは誰だ、泥棒だな、と叫ぶようなこともない。
この小説と並ぶと、ほかのもこの程度かと、あまり読む気がしなくなる。
それよりも、この章の前段に挙げられている有吉佐和子『恍惚の人』や、耕治人の三部作『天井から降る哀しい音』『どんなご縁で』『そうかもしれない』の方が、よほど迫力がある。
『そうかもしれない』は、老人ホームの面会日に、「私」(耕治人)が「妻」に会いに行く。看護婦さんは「妻」を連れてきて、旦那さまよ、という。
すると「妻」は、ぼそっと言うのである。「そうかもしれない」、と。
『どんなご縁で』も、もうお分かりになるであろう。かいがいしく「妻」の世話を焼いている耕治人に、妻はそのセリフ、「どんなご縁で」を言うのである。
いずれも本当に切なく、やりきれない。
認知症の認識は、一見変わってきたようだが、実は実態はそれほど変わらないともいえる。
問題は、認知症になる人ではなくて、まわりの人間であろう。それはいくぶん理解が進んだ。
しかし人生の最終段階に来て、それは本人にとっては、どうにもならないものなのだ。
「セクシュアリティと小説のトリッキーな関係」では、性的マイノリティを取り上げた文学を読む。「LGBT」という言葉で総称される人々だ。
伊藤朱里『名前も呼べない』(太宰治賞作品)、春見朔子『そういう生き物』(すばる文学賞作品)、ジャッキー・ケイ『トランペット』(中村和恵・訳)が挙げられている。
この中で、私は『トランペット』を読んだ。
「性別の秘密をあくまでも隠し、完璧な男性を装って生きた主人公の一生を、多様な証言から小説は描き出していく。」
構成に工夫があり、文章も丹念な佳品だが、私は最後まで作品を、十全に味わうところまではいかなかった。
これはこのブログでは珍しく、訳者の中村和恵氏から、どういうところが納得できなかったのか、という懇切なメールをいただいた。
私の方からも返事を差し上げるべきところ、そうしなかった。ブログに書いた以上のことを書く自信がなかったのだ。本当に申し訳ないことをした。
いまだ、漂って沈まず――『忖度しません』(3)
「改元のついでに考えた、平成の天皇制」の章は、これの前のブログが、菊地史彦氏の『「象徴」のいる国で』だったので、それと関連して取り上げておきたい。
といってもここでは、原武史の『平成の終焉』だけを取り上げておく。そこに見逃せない記述がある。
「皇太子時代を含め、天皇皇后が訪れた激戦地は、沖縄をはじめ、硫黄島、サイパン、パラオ、フィリピンと、一九四四年から四五年にかけて、日米が戦い敗北を重ねた島々だった。」
これは大方が、よく知っているところだ。サイパンでは、玉砕した日本兵の墓碑に向かって、頭を垂れた。
「だが、その一方で、瀋陽の柳条湖や北京の盧溝橋、南京、武漢、重慶、真珠湾、マレーシアのコタバルなど、〈満州事変や日中戦争で日本軍が軍事行動を起こした場所や都市〉や〈太平洋戦争でも日本軍が米軍や英軍に奇襲を仕掛けた場所〉は訪れていない。」
なるほどそれはそうだ。
「いかに『おことば』の中で中国や韓国への『深い反省』を示しても、訪問先を見る限り、二人が加害の歴史と向き合っているとはいいがたい。」
これは難しい課題ですね。盧溝橋や真珠湾で、現場にいって祈るとすれば、天皇皇后は何を、あるいは誰に向かって、祈ればいいのか。少なくとも、日本の軍人だけとはいくまい。それは当たり前だ。
あるいは昭和天皇の責任において、戦争は行われたのだから、その罪を悔いて祈ることになるのか。
しかしそれは昭和天皇が行うべきことではないか。そしてそれは、昭和天皇のみが、やって意味のあることになるのではないか。
そんなことになると、国内の世論は限りなく分化して、収拾がつかなくなりはしないか。あるいは、そういうことを避けていてはだめなのか。私にはわからない。
「民営化から三〇年、鉄道はどこへ行く」の章は、結びの一段が面白い。
「人を運ぶだけが仕事ではなくなった今日の鉄道会社。問題はその先だ。地域に密着するか、観光の拡大を狙うのか。どちらを重視するかは地域によるが、もっとも古臭いのは経営の多角化で集客力のある駅ビルを、という発想だろう。渋谷駅周辺再開発のやり方ですよ、つまり。」
これは亡くなる前に坪内祐三さんが、銀座について書いていたこととも重なる。どこもかしこもそういうことだ。
しかし私は、もうそれを、気楽には見られない。
といってもここでは、原武史の『平成の終焉』だけを取り上げておく。そこに見逃せない記述がある。
「皇太子時代を含め、天皇皇后が訪れた激戦地は、沖縄をはじめ、硫黄島、サイパン、パラオ、フィリピンと、一九四四年から四五年にかけて、日米が戦い敗北を重ねた島々だった。」
これは大方が、よく知っているところだ。サイパンでは、玉砕した日本兵の墓碑に向かって、頭を垂れた。
「だが、その一方で、瀋陽の柳条湖や北京の盧溝橋、南京、武漢、重慶、真珠湾、マレーシアのコタバルなど、〈満州事変や日中戦争で日本軍が軍事行動を起こした場所や都市〉や〈太平洋戦争でも日本軍が米軍や英軍に奇襲を仕掛けた場所〉は訪れていない。」
なるほどそれはそうだ。
「いかに『おことば』の中で中国や韓国への『深い反省』を示しても、訪問先を見る限り、二人が加害の歴史と向き合っているとはいいがたい。」
これは難しい課題ですね。盧溝橋や真珠湾で、現場にいって祈るとすれば、天皇皇后は何を、あるいは誰に向かって、祈ればいいのか。少なくとも、日本の軍人だけとはいくまい。それは当たり前だ。
あるいは昭和天皇の責任において、戦争は行われたのだから、その罪を悔いて祈ることになるのか。
しかしそれは昭和天皇が行うべきことではないか。そしてそれは、昭和天皇のみが、やって意味のあることになるのではないか。
そんなことになると、国内の世論は限りなく分化して、収拾がつかなくなりはしないか。あるいは、そういうことを避けていてはだめなのか。私にはわからない。
「民営化から三〇年、鉄道はどこへ行く」の章は、結びの一段が面白い。
「人を運ぶだけが仕事ではなくなった今日の鉄道会社。問題はその先だ。地域に密着するか、観光の拡大を狙うのか。どちらを重視するかは地域によるが、もっとも古臭いのは経営の多角化で集客力のある駅ビルを、という発想だろう。渋谷駅周辺再開発のやり方ですよ、つまり。」
これは亡くなる前に坪内祐三さんが、銀座について書いていたこととも重なる。どこもかしこもそういうことだ。
しかし私は、もうそれを、気楽には見られない。
いまだ、漂って沈まず――『忖度しません』(2)
「四〇年後のロッキード事件と田中角栄」は、ここに来て田中角栄の復権が目立つことを取り上げたもの。しかし復権といってもいろいろある。
『天才』(石原慎太郎、幻冬舎)、『冤罪――田中角栄とロッキード事件の真相』(石井一、産経新聞出版)、『田中角栄――昭和の光と闇』(服部龍二、講談社現代新書)の3冊が取り上げられる。
最初の慎太郎の『天才』は「田中角栄を語り手にした一人称小説だった。そう聞くとおもしろそうだが、中身はひどい。メリハリもない。構成の工夫もない。一人称小説らしい内面すらもない。」これでは復権もクソもない。
版元があんまり宣伝しているので、ウッカリ買ってみようかと思ったこともある。危ないところだった。
しかし「一人称小説らしい内面すらもない」とは、どういうことか。一人称で内面を書かないとは、徹底してハードボイルドなのか。ちょっと興味がある。でも読まないけどね。
『冤罪――田中角栄とロッキード事件の真相』は、元衆議院議員、石井一の手になる。
これは田中派議員として一貫して田中に同情的だが、事件の真相を追う手つきはジャーナリストのそれに近く、拾いものであった。
「〈ロッキード事件は米国のある筋の確かな意図のもとに、日本政府、最高裁、そして東京地検特捜部が一体となって、推し進めてしまった壮大なる「冤罪事件」だとの疑念を、私は今も払拭することができません〉と石井はいう。〈おそらくその背後には、キッシンジャーとCIA、米国政府関係者がいたと思います〉。」
田中角栄は米国に先駆けて、日中国交回復をやり遂げた。日本列島改造論からここまで、田中は、やり過ぎたのだという。
田中角栄とロッキード事件については、去年秋に春名幹男の『ロッキード疑獄――角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス』が出て、これはずいぶん評判になった。
今年1月には、真山仁の『ロッキード』も出た。こちらは帯に「なぜ角栄は葬られたのか?」とある。
これくらい時間が経てば、真相が浮かび上がるということか。
服部龍二『田中角栄――昭和の光と闇』は、ロッキードから5億円を受け取ったとしており、その評価は厳しい。
ただ評価は違っても、田中角栄という政治家の特異な姿は浮かび上がる。
「今日の田中角栄ブームの背景にあるのは、ああいう政治家がいまいたら、もうちょっと景気もよくなるんじゃないかという願望にも思える。田中角栄の政策は、金権政治、土建屋国家と揶揄もされたが財政出動型だったし、利益誘導型政治に陥りやすい半面、列島改造論はいまにして思えば、地方から中央への反逆、または中央と地方の格差を縮める貧困脱出策だった。」
田中角栄を逆から見れば、こうも言えようという見立てだが、私はこういう見方は取らない。たとえ冤罪であるにせよ、田中の失脚は当然のことだ。それについては、長い議論が必要になる。
ただひとこと言わせてもらえば、彼が総理大臣であるのは、子どもの教育に良くない。その点では、今の菅何某という、言葉を使えない、言葉を封殺する総理は、子どもの教育にはもっと良くない。
『天才』(石原慎太郎、幻冬舎)、『冤罪――田中角栄とロッキード事件の真相』(石井一、産経新聞出版)、『田中角栄――昭和の光と闇』(服部龍二、講談社現代新書)の3冊が取り上げられる。
最初の慎太郎の『天才』は「田中角栄を語り手にした一人称小説だった。そう聞くとおもしろそうだが、中身はひどい。メリハリもない。構成の工夫もない。一人称小説らしい内面すらもない。」これでは復権もクソもない。
版元があんまり宣伝しているので、ウッカリ買ってみようかと思ったこともある。危ないところだった。
しかし「一人称小説らしい内面すらもない」とは、どういうことか。一人称で内面を書かないとは、徹底してハードボイルドなのか。ちょっと興味がある。でも読まないけどね。
『冤罪――田中角栄とロッキード事件の真相』は、元衆議院議員、石井一の手になる。
これは田中派議員として一貫して田中に同情的だが、事件の真相を追う手つきはジャーナリストのそれに近く、拾いものであった。
「〈ロッキード事件は米国のある筋の確かな意図のもとに、日本政府、最高裁、そして東京地検特捜部が一体となって、推し進めてしまった壮大なる「冤罪事件」だとの疑念を、私は今も払拭することができません〉と石井はいう。〈おそらくその背後には、キッシンジャーとCIA、米国政府関係者がいたと思います〉。」
田中角栄は米国に先駆けて、日中国交回復をやり遂げた。日本列島改造論からここまで、田中は、やり過ぎたのだという。
田中角栄とロッキード事件については、去年秋に春名幹男の『ロッキード疑獄――角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス』が出て、これはずいぶん評判になった。
今年1月には、真山仁の『ロッキード』も出た。こちらは帯に「なぜ角栄は葬られたのか?」とある。
これくらい時間が経てば、真相が浮かび上がるということか。
服部龍二『田中角栄――昭和の光と闇』は、ロッキードから5億円を受け取ったとしており、その評価は厳しい。
ただ評価は違っても、田中角栄という政治家の特異な姿は浮かび上がる。
「今日の田中角栄ブームの背景にあるのは、ああいう政治家がいまいたら、もうちょっと景気もよくなるんじゃないかという願望にも思える。田中角栄の政策は、金権政治、土建屋国家と揶揄もされたが財政出動型だったし、利益誘導型政治に陥りやすい半面、列島改造論はいまにして思えば、地方から中央への反逆、または中央と地方の格差を縮める貧困脱出策だった。」
田中角栄を逆から見れば、こうも言えようという見立てだが、私はこういう見方は取らない。たとえ冤罪であるにせよ、田中の失脚は当然のことだ。それについては、長い議論が必要になる。
ただひとこと言わせてもらえば、彼が総理大臣であるのは、子どもの教育に良くない。その点では、今の菅何某という、言葉を使えない、言葉を封殺する総理は、子どもの教育にはもっと良くない。
いまだ、漂って沈まず――『忖度しません』(1)
斎藤美奈子が、一度に関連する3冊を取り上げて、そのときどきの時事ネタを論評する、これは言ってみれば書評コラム集である。
前に同じ手法で『ニッポン沈没』があった。ちょうど5年前、私がブログを始めたころである。
「私は一年ちょっと前に脳出血で手術をした。2か月たっても寝たっきりで、女房子供の名が言えず、3か月目に、試しにパソコンをさわってみたが、文字通り一字も打てなかった。医療保険で決められた、リハビリの期限が来たので、今年の半ばに退院したが、その間の記憶が曖昧である。
そのころ出た本をいくつか読んでも、事の軽重や繋がりが、よくわからない。その時、この本に出会ったのである。『ニッポン沈没』という本に出会って、私はかろうじて『沈没』を免れたのである。」
そういうわけで期待して続編を読む。
と言っても、日本の右傾化はますますひどく、それを正面から取り上げても、あまりに低級で面白くない。さすがの斎藤美奈子も、やや手を焼いている感じだね。
たとえば「安倍ヨイショ本で知る『敵』の手の内」というコラム。ここでは『安倍官邸の正体』(田﨑史郎、講談社現代新書)、『総理』(山口敬之、幻冬舎)、『総理の誕生』(阿比留瑠比、文藝春秋)の3冊が取り上げられる。
そこで田﨑史郎と山口敬之は、どういうふうに取り上げられるか。
「首相と頻繁に会食していることから、ネット上では、田﨑史郎は田﨑スシロー、山口敬之は山口ノリマキと呼ばれて嘲笑されている始末である。」
これが世間一般の評価であるが、斎藤美奈子はそれでも果敢に、その著書に挑戦する。これはむかし、養老孟司先生の言っていた「臨床読書」である。この読み方によれば少なくとも、その本が実に下らない、ということだけはわかる。
引用するのはあまりにバカバカしいから、まとめのところだけを引いておく。
「半ばわかっていたこととはいえ、官邸支配がいかに盤石かってことである。『安倍一強』とは与党が多数を占める国会の勢力以上に、官邸の独裁体制のことなのだ。森友問題に限らず、これでは官僚の『忖度』が全面的に働くのも当然だろう。」
3番目の阿比留瑠比は産経新聞の記者で、安倍にベッタリなことで有名。
ちなみに山口敬之は、伊藤詩織さんの性暴力事件の加害者として有名になった。ろくなものではない。同様に、そういう同じ穴の狢もろくなものではない。
前に同じ手法で『ニッポン沈没』があった。ちょうど5年前、私がブログを始めたころである。
「私は一年ちょっと前に脳出血で手術をした。2か月たっても寝たっきりで、女房子供の名が言えず、3か月目に、試しにパソコンをさわってみたが、文字通り一字も打てなかった。医療保険で決められた、リハビリの期限が来たので、今年の半ばに退院したが、その間の記憶が曖昧である。
そのころ出た本をいくつか読んでも、事の軽重や繋がりが、よくわからない。その時、この本に出会ったのである。『ニッポン沈没』という本に出会って、私はかろうじて『沈没』を免れたのである。」
そういうわけで期待して続編を読む。
と言っても、日本の右傾化はますますひどく、それを正面から取り上げても、あまりに低級で面白くない。さすがの斎藤美奈子も、やや手を焼いている感じだね。
たとえば「安倍ヨイショ本で知る『敵』の手の内」というコラム。ここでは『安倍官邸の正体』(田﨑史郎、講談社現代新書)、『総理』(山口敬之、幻冬舎)、『総理の誕生』(阿比留瑠比、文藝春秋)の3冊が取り上げられる。
そこで田﨑史郎と山口敬之は、どういうふうに取り上げられるか。
「首相と頻繁に会食していることから、ネット上では、田﨑史郎は田﨑スシロー、山口敬之は山口ノリマキと呼ばれて嘲笑されている始末である。」
これが世間一般の評価であるが、斎藤美奈子はそれでも果敢に、その著書に挑戦する。これはむかし、養老孟司先生の言っていた「臨床読書」である。この読み方によれば少なくとも、その本が実に下らない、ということだけはわかる。
引用するのはあまりにバカバカしいから、まとめのところだけを引いておく。
「半ばわかっていたこととはいえ、官邸支配がいかに盤石かってことである。『安倍一強』とは与党が多数を占める国会の勢力以上に、官邸の独裁体制のことなのだ。森友問題に限らず、これでは官僚の『忖度』が全面的に働くのも当然だろう。」
3番目の阿比留瑠比は産経新聞の記者で、安倍にベッタリなことで有名。
ちなみに山口敬之は、伊藤詩織さんの性暴力事件の加害者として有名になった。ろくなものではない。同様に、そういう同じ穴の狢もろくなものではない。
冷静に批評はできない――『「象徴」のいる国で』(4)
明仁は国民とともに歩む大衆天皇制という、昭和天皇とは違うところに活路を求めた。
「そのためにも、天皇制を持続可能なものにしていかなければならない。アメリカへの依存を徐々に減らし、その分だけ国民の支持を取り付けていく必要がある。〔中略〕『大衆天皇制』を地道に育て、根付かせていくことがどうしても求められていた。」
そのとき明仁のもとで、なによりも献身的だったのは美智子妃である。そのことは明仁も、骨身に沁みてわかっていた。
「美智子はその使命をよく理解し、有能なパートナーとして夫を助けた。二〇一八年一二月の記者会見で、明仁が美智子を『六〇年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきた』と賞賛したのはそのような意味合いである。」
しかし問題は、この二人を待ち受けた国民である。
「二〇一九年四月三〇日、二人の『旅』はひとまず終わりを告げた。我々はまだ彼ら二人が描き出した『象徴天皇』の絵の全貌をつかみ切れていない。(それはたぶん徳仁と雅子にとっても同様だろう)。確かなことは、それが本当に我々の望んだものかどうかを我々自身が考え尽くしていないことである。」
この本の結びの一節は、読者に投げ返されて終る。
たしかにそうである。考え尽くしてはいない。
しかし天皇については、考え尽くすより前に、冷静に距離を置いて、対象として見ることが難しいと、私などは感じてしまう。
私にとっては父の問題が全面的に出てきて、まず昭和天皇が冷静な考察の対象とは言えない。父は陸軍士官学校を出て、満州に派兵され、そのまま終戦になってソ連に捕虜に取られた。
その間の話は、ほとんど二人ではしたことがない。戦争でどういう目に会ったか。それは知らない。それを聞き出すのは、親子では無理だ。
終戦で捕虜になり、歩いてシベリアを縦断して、モスクワの近くまで行ったことは、断片的に聞いたことがある。そのとき捕虜は、三分の一に減っていたとも。
そういう体験は、究極、昭和天皇の責任において行われたのだ。
そういう親子が、天皇親子を、冷静に距離を置いて考察することはできない。
できる人もいるかもしれないが、私には無理だ。第一、父親が戦後の日本で生きてはいない。
ではどこで生きていたか。たぶん満州の、あるいはシベリアの平原を、死んだ友と一緒に、さまよっていたに違いない。
平成天皇が美智子妃とともに、何を、何のために努力したのかは、たぶん私の代では、冷静に理解することは無理なんだろう。理解することの前に、胸の内に噴き上げてくるものがある。
「我々自身が考え尽くしていない」と菊地史彦さんに言われても、ただ茫然と立ち竦むのみである。
(『「象徴」のいる国で』菊地史彦、作品社、2020年12月25日初刷)
「そのためにも、天皇制を持続可能なものにしていかなければならない。アメリカへの依存を徐々に減らし、その分だけ国民の支持を取り付けていく必要がある。〔中略〕『大衆天皇制』を地道に育て、根付かせていくことがどうしても求められていた。」
そのとき明仁のもとで、なによりも献身的だったのは美智子妃である。そのことは明仁も、骨身に沁みてわかっていた。
「美智子はその使命をよく理解し、有能なパートナーとして夫を助けた。二〇一八年一二月の記者会見で、明仁が美智子を『六〇年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきた』と賞賛したのはそのような意味合いである。」
しかし問題は、この二人を待ち受けた国民である。
「二〇一九年四月三〇日、二人の『旅』はひとまず終わりを告げた。我々はまだ彼ら二人が描き出した『象徴天皇』の絵の全貌をつかみ切れていない。(それはたぶん徳仁と雅子にとっても同様だろう)。確かなことは、それが本当に我々の望んだものかどうかを我々自身が考え尽くしていないことである。」
この本の結びの一節は、読者に投げ返されて終る。
たしかにそうである。考え尽くしてはいない。
しかし天皇については、考え尽くすより前に、冷静に距離を置いて、対象として見ることが難しいと、私などは感じてしまう。
私にとっては父の問題が全面的に出てきて、まず昭和天皇が冷静な考察の対象とは言えない。父は陸軍士官学校を出て、満州に派兵され、そのまま終戦になってソ連に捕虜に取られた。
その間の話は、ほとんど二人ではしたことがない。戦争でどういう目に会ったか。それは知らない。それを聞き出すのは、親子では無理だ。
終戦で捕虜になり、歩いてシベリアを縦断して、モスクワの近くまで行ったことは、断片的に聞いたことがある。そのとき捕虜は、三分の一に減っていたとも。
そういう体験は、究極、昭和天皇の責任において行われたのだ。
そういう親子が、天皇親子を、冷静に距離を置いて考察することはできない。
できる人もいるかもしれないが、私には無理だ。第一、父親が戦後の日本で生きてはいない。
ではどこで生きていたか。たぶん満州の、あるいはシベリアの平原を、死んだ友と一緒に、さまよっていたに違いない。
平成天皇が美智子妃とともに、何を、何のために努力したのかは、たぶん私の代では、冷静に理解することは無理なんだろう。理解することの前に、胸の内に噴き上げてくるものがある。
「我々自身が考え尽くしていない」と菊地史彦さんに言われても、ただ茫然と立ち竦むのみである。
(『「象徴」のいる国で』菊地史彦、作品社、2020年12月25日初刷)