粋を読む――『文学は実学である』(1)

荒川洋二の精選エッセイ選集。1992年から2020年までの書物から、86編を選び、時間を追って並べたもの。
 
選ばれたエッセイ集は、目次に従っていくと、

Ⅰ『夜のある町で』(みすず書房、1998年)、『読書の階段』(毎日新聞社、1999年)、『本を読む前に』(新書館、1999年)
Ⅱ『文学が好き』(旬報社、2001年)、『忘れられる過去』(みすず書房、2003年)
Ⅲ『世に出ないことば』(みすず書房、2005年)
Ⅳ『黙読の山』(みすず書房、2007年)、『読むので思う』(幻戯書房、2008年)
 
最後の章には「未完エッセイ」として、2019年から20年の、8本のエッセイが添えてある。
 
本は2007年までの、やや旧いものから選んである代わりに、「未完エッセイ」は最新である。
 
このあたりは編集の妙だが、これは著者ではなくて、編集者の考えじゃないか。その編集者はみすずの尾方邦雄氏。どちらにしても、絶妙のバランスである。
 
冒頭の「白い夜」は、「一日をまるまる空ける。そして人と話をして過ごす。それができたら、しあわせだと思う」という一文からはじまる。
 
友だちと、本を話題にして長時間を過ごすことは、実は大変なことだ。大人には、さまざまな約束事や決め事があり、「真っ白な一日」を作るためには、半月ほど前から、そのつもりでいなければならない。
 
そして当日。文学のことから、印刷、製本、本の流通のことまで、午前5時まで、えんえん14時間にわたって喋りつづけた。

「本はそこらじゅうに散乱。あとの整頓がたいへんだわ。でもこれから自分たちはどんな本に向かうのか。どんな『書体』で生きたいか。話していくなかで人生の方向も見え、心の整理ができた。雨の季節なのに、視界の洗濯は、できたのである。」

「どんな『書体』で生きたいか」とは、目からウロコの問いですなあ。人によって、一般には明朝といい、ちょっと尖った人はゴチックといい、または斜に構えてナールと答える人もいるかもしれない。

「視界の洗濯は、できたのである」とは、確信に満ちた言葉ではないか。
 
そしてこの一篇が巻頭にあるということが、このエッセイ集を読むための心の準備を、読者にそれとなく促しているようだ。
posted by 中嶋 廣 at 09:33Comment(0)日記