第4章「羽生善治が見た藤井聡太」で羽生は、「藤井さんの指し手には現代的なスピード感がありますね。チャンスと見れば躊躇せず踏み込んできます」という。
これはずっと前に渡辺明三冠が語った、藤井の攻めは、例えてみれば、スポーツカーかと思っていたらジェット機だった、というのとよく似ている。渡辺は棋聖戦のタイトルを争い、何が何だか分からないうちに負けになっていた、と語っている。
ほかに「炎の七番勝負」を闘った中では何人かが、藤井聡太の進化のスピードが、考えられないほど凄まじいという。
「藤井さんはこの対局の時も強かったが、その後も日に日に強くなっている感じで、そこが恐ろしい。デビュー時より今の方がずっと強くなっているでしょう。……
タイトル獲得はもう既定路線で、いつ取るかが問題です。」
これは、第4局を闘った中村太地の発言だが、増田康宏(第1局)、齋藤慎太郎(第3局)、深浦康市(第5局)、佐藤康光(第6局)なども、同じことを語っている。
しかし私は、ここから、少し違うことを考えてみたい。
『ナンバー 1010』の「藤井聡太と将棋の天才」に、先崎学がこんなことを書いている。
「君が羽生を数字でこせるかは分らないよ、しったこっちゃない。でも君が立派な人間になれることは、今日の将棋を見ていて分ったよ」。
これはこの前のブログにも書いたが、藤井が羽生に負けてあげたものだ。藤井は中学生で夜10時を超えると、指し直しができない。だから決着をつけた方がいいだろう、というので藤井が気をまわしたのだ。
場をわきまえて無理に決着をつけに行く、つまり負けてやるということは、羽生がやるならわかる気もするが、中学生の藤井がやるとはとうてい考えられない。
しかし藤井はそういうことをしたと思う、と先崎は確信を持って述べている。
渡辺明名人が言っていた。自分と藤井聡太を比べると、将棋は別にして、明らかに藤井の方が人格が上だ、と。つまり、ことは人格の問題で、渡辺名人は、はっきり藤井の方が上だと言っている。
どうしてこんなことが起こるんだろう。
『ナンバー 1018』の「藤井聡太と将棋の冒険」で、増田康宏は、こんなことを語っている。
「藤井さんで最も別格だと思うのはメンタルです。今後、技量で藤井さんを上回る棋士も出てくるかもしれないですけど、メンタルで超える人は現れないと思う。ブレないし、不調にも陥らないし、常に100%で指せる。あの精神面の強さはどこから来ているかちょっと分からないです。」
増田は将棋の技量とは別に、藤井の精神面が実に素晴らしいと言っている。果たしてそれは、将棋とダイレクトに関係があるのか、ないのか。
私は、将棋の技量と人格の面は、パラレルだと思う。もしそうだとすれば、将棋は文化の中で、まったく別の位置を占めることになると思う。
(『天才棋士降臨・藤井聡太――炎の七番勝負と連勝記録の衝撃』
書籍編集部・編、日本将棋連盟、2017年8月31日初刷)