すこし前のブログで、中公文庫の『漱石先生』を取り上げた。「誰が編纂したのか?」というタイトルである。
巧みな編集だが、編集者名が記されていないのは解せない、という趣旨だった。
するとほどなく、編集者・河野通和氏と電話で新年の挨拶を交わしているときに、『漱石先生』は中公の社員の編集で、だから表立って編者名を立てなかったんだろう、という話になった。
河野さんは、今は「ほぼ日の學校長」をやっているが、少し前までは新潮社の『考える人』の編集長であり、その前は中央公論の編集総責任者であった。
だから中公の人事にも詳しい。それによると『漱石先生』は、文庫編集部員のОさんの手になるものだという。
しかし社員がそんなことをしても、説得力がなくて企画が通らないだろうというと、それが、Оさんは中公文庫の編集長なので、自分で企画を通せるんだという。
参ったなあ、そんな手があったのか。
聞けばОさんは途中入社で、河野さんは定年を前にして中公を辞めたので、Оさんとはわずかの間しか重なっていない。
河野さんが辞めるときには衝撃が走ったから、Оさんもびっくりしたろう。
以来、河野さんは、Оさんの作った中公文庫は、かならず目を通すようにしてきたという。
それは例えばどんなものかと聞くと、少し前に出た本では、梅崎春生『怠惰の美徳』(荻原魚雷・編)があると言う。
さっそく読んでみよう。
梅崎春生は20代前半の頃、夢中になったものだ。『桜島』『日の果て』『ボロ屋の春秋』『春の月』『砂時計』『幻化』、どれも心の中に染み渡ってくる、何とも言えないおかしみがあった。
この本は編者に、荻原魚雷を立てている。それもまた、あまりにドンピシャで可笑しい。
この本はⅠ部とⅡ部で構成されており、Ⅰ部は随筆、Ⅱ部は短篇小説である。
Ⅰ部の随筆は、面白いことは面白いが、でもそう面白くなかった。なんだかはっきりしない言い方だが、でもそういうことなのだ。梅崎春生は、怠けることの美徳を正面から書いた。戦争中または戦後すぐに、「怠惰の美徳」を書くことには、はっきりした意思が要ったろう。
しかしこれを今になって読むと、こういうものは本の中にも、すでに一つの生き方として存続している。梅崎春生はその元祖かもしれないが、今読むとやっぱり古いのだ。
ではⅡ部の短篇小説群はどうか。これは素晴らしかった。
そのころ私は大学を出て筑摩書房に入り、しかしすぐに会社は倒産した。そのころが無理にも思い出されて、脂汗が出た。
粋を読む――『文学は実学である』(5)
だらだら書くのはこれで終わりにする。最後に印象に残った文章をいくつか。
表題にもなった「文学は実学である」は、2頁のごく短いものだ。
「文学は、経済学、法律学、医学、工学などと同じように『実学』なのである。社会生活に実際に役立つものなのである。そう考えるべきだ。特に社会問題が、もっぱら人間の精神に起因する現在、文学はもっと『実』の面を強調しなければならない。」
これはまったくその通りなのだが、文学は、経済学、法律学、医学、工学などと違って、俗に言う子どもでも分かるところから段階を踏んで、というふうにはなっていない。
そこが難点で、多くの子どもにとっては、経済学、法律学、医学、工学などよりも、はるかに難しい。
だから、これはもう内容ではなくて、文学作品の形や文体を叩きこむほかはあるまい、という空想的な考えに落ちていく。
「今日の一冊」は、出かけるときに何を1冊を持って行くか、という話だ。
これは以前、出張のときなど迷ったものだ。著者は、出発の時間が迫り、頭はパニックになるのが、いつものことであるという。
「本を入れたときのカバンのふくらみと、重み。それを感じとっているひとときが楽しいのだ。でもこれはこのエッセイを、エッセイらしくするための、ぼくのことばに過ぎない。ほんとうのところはまだわかっていない。」
最初の予定調和を、「エッセイらしくするための、ぼくのことばに過ぎない」と否定するところは、いつもの荒川洋治だ。
しかしここは、「ぼくのことばに過ぎな」い、なんて言わなくていいと思う。「本を入れたときのカバンのふくらみと、重み」、最高じゃないですか。
それでも著者は、続けてこう書く。
「昔、山へ入る人が、腰にぶらさげた弁当みたいなものかもしれないと思う。でも少しちがうようだ。手をつけないときもあるのだから。」
ふふふ、どう思います。弁当だって手を付けないときもある、とは思うんだけど。
本に対するこの感覚は、以前取り上げた北上次郎の『書評稼業四十年』と似ている。
「いちばんいいのは、本を外から見ていることだろう。本を手に取って、これは面白そうだなあと外から見ているときがいちばんしあわせである。」
荒川洋治とはちょっと違うけど、でもまあ同じようなものだ。
「水曜日の戦い」はフラナリー・オコナーという作家について。
この人は39歳の若さで亡くなったのだが、「読む人の内部を壊して、別の物と取り替える。そんな作品を残した。」
どんなことか分かるかな。私には全然わからない。
「文章に、会話のはしばしにユーモアと、深淵がのぞく。おそろしいほどの緊迫感がたちこめる。オコナーは、かつて例のない非情の目をみひらいて人間を愛し、人間を見つめた。いまも『善良な』読者を震わせる。」
善良な読者である私は、早く震わせてほしいと、心待ちにしているのだ。
(『文学は実学である』荒川洋治
みすず書房、2020年10月1日初刷、11月6日第2刷)
表題にもなった「文学は実学である」は、2頁のごく短いものだ。
「文学は、経済学、法律学、医学、工学などと同じように『実学』なのである。社会生活に実際に役立つものなのである。そう考えるべきだ。特に社会問題が、もっぱら人間の精神に起因する現在、文学はもっと『実』の面を強調しなければならない。」
これはまったくその通りなのだが、文学は、経済学、法律学、医学、工学などと違って、俗に言う子どもでも分かるところから段階を踏んで、というふうにはなっていない。
そこが難点で、多くの子どもにとっては、経済学、法律学、医学、工学などよりも、はるかに難しい。
だから、これはもう内容ではなくて、文学作品の形や文体を叩きこむほかはあるまい、という空想的な考えに落ちていく。
「今日の一冊」は、出かけるときに何を1冊を持って行くか、という話だ。
これは以前、出張のときなど迷ったものだ。著者は、出発の時間が迫り、頭はパニックになるのが、いつものことであるという。
「本を入れたときのカバンのふくらみと、重み。それを感じとっているひとときが楽しいのだ。でもこれはこのエッセイを、エッセイらしくするための、ぼくのことばに過ぎない。ほんとうのところはまだわかっていない。」
最初の予定調和を、「エッセイらしくするための、ぼくのことばに過ぎない」と否定するところは、いつもの荒川洋治だ。
しかしここは、「ぼくのことばに過ぎな」い、なんて言わなくていいと思う。「本を入れたときのカバンのふくらみと、重み」、最高じゃないですか。
それでも著者は、続けてこう書く。
「昔、山へ入る人が、腰にぶらさげた弁当みたいなものかもしれないと思う。でも少しちがうようだ。手をつけないときもあるのだから。」
ふふふ、どう思います。弁当だって手を付けないときもある、とは思うんだけど。
本に対するこの感覚は、以前取り上げた北上次郎の『書評稼業四十年』と似ている。
「いちばんいいのは、本を外から見ていることだろう。本を手に取って、これは面白そうだなあと外から見ているときがいちばんしあわせである。」
荒川洋治とはちょっと違うけど、でもまあ同じようなものだ。
「水曜日の戦い」はフラナリー・オコナーという作家について。
この人は39歳の若さで亡くなったのだが、「読む人の内部を壊して、別の物と取り替える。そんな作品を残した。」
どんなことか分かるかな。私には全然わからない。
「文章に、会話のはしばしにユーモアと、深淵がのぞく。おそろしいほどの緊迫感がたちこめる。オコナーは、かつて例のない非情の目をみひらいて人間を愛し、人間を見つめた。いまも『善良な』読者を震わせる。」
善良な読者である私は、早く震わせてほしいと、心待ちにしているのだ。
(『文学は実学である』荒川洋治
みすず書房、2020年10月1日初刷、11月6日第2刷)
粋を読む――『文学は実学である』(4)
荒川洋治のこの本は、書評している側が、エッセイを書くようなつもりになって来て、だらだらと切りがない。
でも、もう少し続けたい。
「いつまでも『いい詩集』」は、茨木のり子の『倚りかからず』を扱う。
それはとてもいい詩集だ。
「わかりやすく厳正な日本語、ふくよかなユーモア。読者が時代のなかの自分をたしかめるには、とてもよい詩集だと思う。流れる静かな時間がここちよい。散文に荒らされた神経が癒される。」
最後の、「散文に荒らされた神経が癒される」が実にいい。しかしこれだけでは、荒川洋治のエッセイとしては物足りない。
その前に、表題になった「倚りかからず」を引いておく。
「もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ」
私も、これはいい詩だと思う。詩集にしては珍しくベストセラーになったのも頷ける。
ところが荒川洋治は、続けてこんなことを言う。
「この詩集をさらに『いい詩集』にしているものがある。それは自分の詩集を人間の書くものとしてとても『いい詩集』であると理解する読者の存在を疑ったことがないことだ。読めばすぐに意味が伝わり、たちどころに『倫理的な効果』をあげてしまう自分の詩のしくみに、著者は『倚りかか』ろうとする。」
はっきり言って、ぼろくそである。著者も、このままではあんまりだと思ったのか、続けてこう書く。
「だから読み終えたときに奇妙な味わいが残る。『いい詩集』というものはいつもこのようなところがあるものだ。このようなものなしには生きられないのだ。」
この「このようなものなしには生きられないのだ」は、詩集一般にそうだと言っているのか、それとも「いい詩集」とは、そういうものだと言っているのか。
私はこれは、「いい詩集」に限って言っていることだ、と受け取った。それは後のところを読めばわかる。もう少し読んでみよう。
「いまは『背もたれだけ』というがほんとうなのか。きれいごとではないのか。著者は自分という一個の人間の現場で起きているであろうことにふれないまま(あるいは気づこうとしないまま)いささか現実離れした人間像を、ことばのなかにゆらめかせる。人間がうたわれているのに、人間の一人である自分がいない。そこに独特の世界が現われる。」
なるほどそういうことか。「倚りかかるとすれば/それは/椅子の背もたれだけ」というのは、実にかっこいいけれども、そこには生身の自分がいないんじゃないか、ということだね。
だからつまり、「いい詩集」は「いい詩集」にとどまっているだけだ。そういいたいのである。
「著者はこの『いい詩集』からこれからも脱却することはないだろう。なぜならこの詩人は社会に文句をつけても、自分とたたかうことはしないのだから。この倫理的な閉塞感がこの詩集の個性である。それは読者をゆたかにする。まずしくもする。」
茨城のり子が、社会に文句をつけるばかりで、「自分とたたかうことはしない」のかどうかは、この詩集からも、他の詩集からも、私にはわからない。茨木のり子を、そういう目で見たことはなかったから。
ただ、こういうエッセイを書いた荒川洋治が、ある覚悟を決めて詩を書いていることは分かる。それが、読者をゆたかすることはあっても、決してまずしくしないことも。
でも、もう少し続けたい。
「いつまでも『いい詩集』」は、茨木のり子の『倚りかからず』を扱う。
それはとてもいい詩集だ。
「わかりやすく厳正な日本語、ふくよかなユーモア。読者が時代のなかの自分をたしかめるには、とてもよい詩集だと思う。流れる静かな時間がここちよい。散文に荒らされた神経が癒される。」
最後の、「散文に荒らされた神経が癒される」が実にいい。しかしこれだけでは、荒川洋治のエッセイとしては物足りない。
その前に、表題になった「倚りかからず」を引いておく。
「もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ」
私も、これはいい詩だと思う。詩集にしては珍しくベストセラーになったのも頷ける。
ところが荒川洋治は、続けてこんなことを言う。
「この詩集をさらに『いい詩集』にしているものがある。それは自分の詩集を人間の書くものとしてとても『いい詩集』であると理解する読者の存在を疑ったことがないことだ。読めばすぐに意味が伝わり、たちどころに『倫理的な効果』をあげてしまう自分の詩のしくみに、著者は『倚りかか』ろうとする。」
はっきり言って、ぼろくそである。著者も、このままではあんまりだと思ったのか、続けてこう書く。
「だから読み終えたときに奇妙な味わいが残る。『いい詩集』というものはいつもこのようなところがあるものだ。このようなものなしには生きられないのだ。」
この「このようなものなしには生きられないのだ」は、詩集一般にそうだと言っているのか、それとも「いい詩集」とは、そういうものだと言っているのか。
私はこれは、「いい詩集」に限って言っていることだ、と受け取った。それは後のところを読めばわかる。もう少し読んでみよう。
「いまは『背もたれだけ』というがほんとうなのか。きれいごとではないのか。著者は自分という一個の人間の現場で起きているであろうことにふれないまま(あるいは気づこうとしないまま)いささか現実離れした人間像を、ことばのなかにゆらめかせる。人間がうたわれているのに、人間の一人である自分がいない。そこに独特の世界が現われる。」
なるほどそういうことか。「倚りかかるとすれば/それは/椅子の背もたれだけ」というのは、実にかっこいいけれども、そこには生身の自分がいないんじゃないか、ということだね。
だからつまり、「いい詩集」は「いい詩集」にとどまっているだけだ。そういいたいのである。
「著者はこの『いい詩集』からこれからも脱却することはないだろう。なぜならこの詩人は社会に文句をつけても、自分とたたかうことはしないのだから。この倫理的な閉塞感がこの詩集の個性である。それは読者をゆたかにする。まずしくもする。」
茨城のり子が、社会に文句をつけるばかりで、「自分とたたかうことはしない」のかどうかは、この詩集からも、他の詩集からも、私にはわからない。茨木のり子を、そういう目で見たことはなかったから。
ただ、こういうエッセイを書いた荒川洋治が、ある覚悟を決めて詩を書いていることは分かる。それが、読者をゆたかすることはあっても、決してまずしくしないことも。
粋を読む――『文学は実学である』(3)
「おかのうえの波」は、文章を書くことをめぐって、本質的で、革新的なことを言う。
まず文章を書くときに心がけること。
①知識を書かないこと。
②情報を書かないこと。
③何も書かないこと。
知識や情報を書かないことは、分かる人には分かろうが、3番目の「何も書かないこと」は、禅問答に似てよく分からない。
著者の言うことを聞いてみよう。
「文章は読者を威圧することがあってはならない。だがこれはむずかしい。文章を書くよりむずかしいことかもしれない。それには何も書かないのが一番だとすら思う。書かなければ威圧にも荷物にもならない。」
うーん、なんのこっちゃ。著者も、これだけではわからない、と思ったのだろう。
「以上の心がけが生まれるのはぼくが詩を書いていることに関わりがあるかもしれない。詩は知識とも情報とも無縁。『持てる』ものを排除して見えてくるものをこそ求めようとする。そうではない場所からやってくる文章に対してはおのずと、はながきくようになるのだ。」
やっぱり難しい。「そうではない場所からやってくる文章に対してはおのずと、はながきくようになるのだ」というところが、まったく分からない。詩人にあらざる者の口惜しさというか、悲哀というか、迷路に入ったみたいだ。
そこからさらに、文章が生まれてくるその微妙な端境を、丁寧に述べるが、それはかなり面倒なので、直接この本を見てほしい。
ただ最後に、こんなことを言っている。
「文章には、文章になる前の状態があり、そこからリズムをもらいうけて文章がはじまる。そのかくれた発祥の地点は作者の個性に関わるものだけに、もう少し話題のなかにとりいれていいかもしれない。目に見える文章やことばは分析の対象にされやすい。それはだが文章というできごとの一部にすぎない。」
これが最終的に荒川洋治の言いたいことなのだ。しかし「文章というできごとの一部」とは、いったい何だろうか。
荒川洋治には、はっきり捉まえられていることが、私にはわからない。
しかし、その分からないということは、分かっているわけだから、手応えはあるのだ。久しくこういう文章に行き当たったことがなかったから、非常に新鮮であった。
「編集者への『依頼状』」は、編集者にこれだけは言っておきたい、という不満をいくつか。原因はいろいろあるが、不満・憤懣の元はつぎのようなことである。
「大手の出版社の社員ともなると、同年配の作家より年収が上。だから、見下してしまう。その感覚がだらけた日常を生む。最近、特にひどい。」
このエッセイは1999年の『本を読む前に』に入っているから、こんなことも言えたかもしれない。
その後、約20年たって、大手出版社もコミックを持っているところ以外は、凋落甚だしいから、必ずしもそういうことも言えない。
それはともかく、一般的に昔は、原稿の依頼状は手紙と決まっていたが、今はどうしているんだろう。メールがあるし、ケータイもある。で、どうするか。考えてみると、けっこう難しい。
鷲尾賢也さんの『編集とはどのような仕事なのか』を担当したときは、著者に初めて連絡を取るときは手紙と決めておこう、そして筆記具は万年筆と決めておく、というのを間違いのない手として推奨してあった。私もそれでいいと思っていた。
でもどうだろう、ここ一番は手紙と決めておいて、果たしてそれでいいかどうか。
若い著者によっては、手紙など大げさな、とかえって敬遠されるかもしれない、そうでないかもしれない。私にはもう分からない。
まず文章を書くときに心がけること。
①知識を書かないこと。
②情報を書かないこと。
③何も書かないこと。
知識や情報を書かないことは、分かる人には分かろうが、3番目の「何も書かないこと」は、禅問答に似てよく分からない。
著者の言うことを聞いてみよう。
「文章は読者を威圧することがあってはならない。だがこれはむずかしい。文章を書くよりむずかしいことかもしれない。それには何も書かないのが一番だとすら思う。書かなければ威圧にも荷物にもならない。」
うーん、なんのこっちゃ。著者も、これだけではわからない、と思ったのだろう。
「以上の心がけが生まれるのはぼくが詩を書いていることに関わりがあるかもしれない。詩は知識とも情報とも無縁。『持てる』ものを排除して見えてくるものをこそ求めようとする。そうではない場所からやってくる文章に対してはおのずと、はながきくようになるのだ。」
やっぱり難しい。「そうではない場所からやってくる文章に対してはおのずと、はながきくようになるのだ」というところが、まったく分からない。詩人にあらざる者の口惜しさというか、悲哀というか、迷路に入ったみたいだ。
そこからさらに、文章が生まれてくるその微妙な端境を、丁寧に述べるが、それはかなり面倒なので、直接この本を見てほしい。
ただ最後に、こんなことを言っている。
「文章には、文章になる前の状態があり、そこからリズムをもらいうけて文章がはじまる。そのかくれた発祥の地点は作者の個性に関わるものだけに、もう少し話題のなかにとりいれていいかもしれない。目に見える文章やことばは分析の対象にされやすい。それはだが文章というできごとの一部にすぎない。」
これが最終的に荒川洋治の言いたいことなのだ。しかし「文章というできごとの一部」とは、いったい何だろうか。
荒川洋治には、はっきり捉まえられていることが、私にはわからない。
しかし、その分からないということは、分かっているわけだから、手応えはあるのだ。久しくこういう文章に行き当たったことがなかったから、非常に新鮮であった。
「編集者への『依頼状』」は、編集者にこれだけは言っておきたい、という不満をいくつか。原因はいろいろあるが、不満・憤懣の元はつぎのようなことである。
「大手の出版社の社員ともなると、同年配の作家より年収が上。だから、見下してしまう。その感覚がだらけた日常を生む。最近、特にひどい。」
このエッセイは1999年の『本を読む前に』に入っているから、こんなことも言えたかもしれない。
その後、約20年たって、大手出版社もコミックを持っているところ以外は、凋落甚だしいから、必ずしもそういうことも言えない。
それはともかく、一般的に昔は、原稿の依頼状は手紙と決まっていたが、今はどうしているんだろう。メールがあるし、ケータイもある。で、どうするか。考えてみると、けっこう難しい。
鷲尾賢也さんの『編集とはどのような仕事なのか』を担当したときは、著者に初めて連絡を取るときは手紙と決めておこう、そして筆記具は万年筆と決めておく、というのを間違いのない手として推奨してあった。私もそれでいいと思っていた。
でもどうだろう、ここ一番は手紙と決めておいて、果たしてそれでいいかどうか。
若い著者によっては、手紙など大げさな、とかえって敬遠されるかもしれない、そうでないかもしれない。私にはもう分からない。
粋を読む――『文学は実学である』(2)
「横光利一の村」は、敗戦直後に横光利一が窮乏生活をおくった鶴岡や、その近くにある温海(あつみ)温泉を訪ねた文学紀行である。そのころの苦しい生活は、「夜の靴」に描かれている。
私は横光利一を読んだことがない。だからこの話は、本当の共感をもっては読めない。しかし面白いところはある。
荒川洋治があつみ温泉に着いて。
「ぼくは木造のK旅館に泊まった。家庭的な料理が楽しめるとガイドにあるが、出てきた料理はくまなく冷えていた。
ほぼ全品、冷えたトマトみたいにつめたいのである。まずカレイの煮たの。これ冷えていた。海が近いというのに、カレイはしょぼくれ、味がしない。さしみ。これが冷えているのはよいとして、あと、何かの大きな魚のカシラがどんとある。これ冷えていた。僕はペンギンではないのだ。」
いやあ、ひどいところだねえ。ところがひどいのは、これだけではなかった。
「あと、ハムのサラダは野菜が古い。煮物にいたっては、椎茸などひからび状態。期待のスキヤキは、皿を見ると、古いネギ三つ、何かの肉がヘロッとあるだけ。おばさんは、これにはこれをつけてね、あれにはあのタレをなどととても親切だが、何をつけても冷たいものは冷たいのだ。まだ七時だというのに、ごはんも冷えているのには驚いた。しんから冷えていた。」
これだけひどいと、むしろ笑ってしまう。著者はそういう心境になっている。
こうして「ペンギン旅館の夜はふけ」ていくのだ。
身もふたもない言い方だが、文学紀行はこういうところがないと、興味のない文学者の場合、なかなか読み続けることはできない。
「大きな小事典」の章は、子どものときに使っていた『学習必携小事典』のうち、『国語』の事典が懐かしいという話だ。
子ども用の事典なので、「はしがき」はあるけれど、誰が編纂したかというクレジットはない。それでも内容はいいもので、著者は大人になった今も重宝している。
その文学史編が面白い。文学者の生没年などのあとに、34字以内で作風が記されている。
「尾崎紅葉=内容の通俗性と手馴れた風俗描写により旧文壇に君臨した。硯友社主宰。」
この俗物があ、という対象に厳しい筆遣いである。
「葛西善蔵=実生活における貧窮と敗北を小説化することを文学の本道と信じた作家。」
ああ勘違いという、著者の皮肉交じりの視線が厳しい。
「高見順=繊鋭な都会人的気質を新しい散文の形式によって写し出した作家。」
これは素直にほめている。ちなみに荒川洋治は別の書評集で、高見順を絶賛している。
こういう受験用ではない子ども用の事典は、いつごろまで書店に置かれていたのだろう。この本は「新興出版社・啓林館」の発行である。
私は中学生のときに福音館書店の、豆本のような英語の小事典を愛用していたことを、懐かしく思い出した。児童文学の福音館にも、そんな時代があったのだね。
私は横光利一を読んだことがない。だからこの話は、本当の共感をもっては読めない。しかし面白いところはある。
荒川洋治があつみ温泉に着いて。
「ぼくは木造のK旅館に泊まった。家庭的な料理が楽しめるとガイドにあるが、出てきた料理はくまなく冷えていた。
ほぼ全品、冷えたトマトみたいにつめたいのである。まずカレイの煮たの。これ冷えていた。海が近いというのに、カレイはしょぼくれ、味がしない。さしみ。これが冷えているのはよいとして、あと、何かの大きな魚のカシラがどんとある。これ冷えていた。僕はペンギンではないのだ。」
いやあ、ひどいところだねえ。ところがひどいのは、これだけではなかった。
「あと、ハムのサラダは野菜が古い。煮物にいたっては、椎茸などひからび状態。期待のスキヤキは、皿を見ると、古いネギ三つ、何かの肉がヘロッとあるだけ。おばさんは、これにはこれをつけてね、あれにはあのタレをなどととても親切だが、何をつけても冷たいものは冷たいのだ。まだ七時だというのに、ごはんも冷えているのには驚いた。しんから冷えていた。」
これだけひどいと、むしろ笑ってしまう。著者はそういう心境になっている。
こうして「ペンギン旅館の夜はふけ」ていくのだ。
身もふたもない言い方だが、文学紀行はこういうところがないと、興味のない文学者の場合、なかなか読み続けることはできない。
「大きな小事典」の章は、子どものときに使っていた『学習必携小事典』のうち、『国語』の事典が懐かしいという話だ。
子ども用の事典なので、「はしがき」はあるけれど、誰が編纂したかというクレジットはない。それでも内容はいいもので、著者は大人になった今も重宝している。
その文学史編が面白い。文学者の生没年などのあとに、34字以内で作風が記されている。
「尾崎紅葉=内容の通俗性と手馴れた風俗描写により旧文壇に君臨した。硯友社主宰。」
この俗物があ、という対象に厳しい筆遣いである。
「葛西善蔵=実生活における貧窮と敗北を小説化することを文学の本道と信じた作家。」
ああ勘違いという、著者の皮肉交じりの視線が厳しい。
「高見順=繊鋭な都会人的気質を新しい散文の形式によって写し出した作家。」
これは素直にほめている。ちなみに荒川洋治は別の書評集で、高見順を絶賛している。
こういう受験用ではない子ども用の事典は、いつごろまで書店に置かれていたのだろう。この本は「新興出版社・啓林館」の発行である。
私は中学生のときに福音館書店の、豆本のような英語の小事典を愛用していたことを、懐かしく思い出した。児童文学の福音館にも、そんな時代があったのだね。
粋を読む――『文学は実学である』(1)
荒川洋二の精選エッセイ選集。1992年から2020年までの書物から、86編を選び、時間を追って並べたもの。
選ばれたエッセイ集は、目次に従っていくと、
Ⅰ『夜のある町で』(みすず書房、1998年)、『読書の階段』(毎日新聞社、1999年)、『本を読む前に』(新書館、1999年)
Ⅱ『文学が好き』(旬報社、2001年)、『忘れられる過去』(みすず書房、2003年)
Ⅲ『世に出ないことば』(みすず書房、2005年)
Ⅳ『黙読の山』(みすず書房、2007年)、『読むので思う』(幻戯書房、2008年)
最後の章には「未完エッセイ」として、2019年から20年の、8本のエッセイが添えてある。
本は2007年までの、やや旧いものから選んである代わりに、「未完エッセイ」は最新である。
このあたりは編集の妙だが、これは著者ではなくて、編集者の考えじゃないか。その編集者はみすずの尾方邦雄氏。どちらにしても、絶妙のバランスである。
冒頭の「白い夜」は、「一日をまるまる空ける。そして人と話をして過ごす。それができたら、しあわせだと思う」という一文からはじまる。
友だちと、本を話題にして長時間を過ごすことは、実は大変なことだ。大人には、さまざまな約束事や決め事があり、「真っ白な一日」を作るためには、半月ほど前から、そのつもりでいなければならない。
そして当日。文学のことから、印刷、製本、本の流通のことまで、午前5時まで、えんえん14時間にわたって喋りつづけた。
「本はそこらじゅうに散乱。あとの整頓がたいへんだわ。でもこれから自分たちはどんな本に向かうのか。どんな『書体』で生きたいか。話していくなかで人生の方向も見え、心の整理ができた。雨の季節なのに、視界の洗濯は、できたのである。」
「どんな『書体』で生きたいか」とは、目からウロコの問いですなあ。人によって、一般には明朝といい、ちょっと尖った人はゴチックといい、または斜に構えてナールと答える人もいるかもしれない。
「視界の洗濯は、できたのである」とは、確信に満ちた言葉ではないか。
そしてこの一篇が巻頭にあるということが、このエッセイ集を読むための心の準備を、読者にそれとなく促しているようだ。
選ばれたエッセイ集は、目次に従っていくと、
Ⅰ『夜のある町で』(みすず書房、1998年)、『読書の階段』(毎日新聞社、1999年)、『本を読む前に』(新書館、1999年)
Ⅱ『文学が好き』(旬報社、2001年)、『忘れられる過去』(みすず書房、2003年)
Ⅲ『世に出ないことば』(みすず書房、2005年)
Ⅳ『黙読の山』(みすず書房、2007年)、『読むので思う』(幻戯書房、2008年)
最後の章には「未完エッセイ」として、2019年から20年の、8本のエッセイが添えてある。
本は2007年までの、やや旧いものから選んである代わりに、「未完エッセイ」は最新である。
このあたりは編集の妙だが、これは著者ではなくて、編集者の考えじゃないか。その編集者はみすずの尾方邦雄氏。どちらにしても、絶妙のバランスである。
冒頭の「白い夜」は、「一日をまるまる空ける。そして人と話をして過ごす。それができたら、しあわせだと思う」という一文からはじまる。
友だちと、本を話題にして長時間を過ごすことは、実は大変なことだ。大人には、さまざまな約束事や決め事があり、「真っ白な一日」を作るためには、半月ほど前から、そのつもりでいなければならない。
そして当日。文学のことから、印刷、製本、本の流通のことまで、午前5時まで、えんえん14時間にわたって喋りつづけた。
「本はそこらじゅうに散乱。あとの整頓がたいへんだわ。でもこれから自分たちはどんな本に向かうのか。どんな『書体』で生きたいか。話していくなかで人生の方向も見え、心の整理ができた。雨の季節なのに、視界の洗濯は、できたのである。」
「どんな『書体』で生きたいか」とは、目からウロコの問いですなあ。人によって、一般には明朝といい、ちょっと尖った人はゴチックといい、または斜に構えてナールと答える人もいるかもしれない。
「視界の洗濯は、できたのである」とは、確信に満ちた言葉ではないか。
そしてこの一篇が巻頭にあるということが、このエッセイ集を読むための心の準備を、読者にそれとなく促しているようだ。
いまは昔――『お茶をどうぞ――向田邦子対談集』
向田邦子のこの本は、2016年8月に単行本が出て、それから3年たって2019年1月に文庫になっている。
こんな時期に、昔死んだ作家の本が出るのは何かある、と普通は思うじゃないですか。
それでも、買うところまではいかなかった。
ところが東京新聞の書評面に、女性作家がエッセイを書いていて、そこでこの文庫を取り上げていたのだ。その内容は忘れたけど、とてもチャーミングに紹介してあった。それでついふらふらと。
今から40年前、1980年前後に、雑誌に載った対談を集めたものだが、結論から言うとあまり面白くなかった。
河出が5年前に、これを集めて単行本にしたのは、新刊が払底して、にっちもさっちもいかなくなったからだろう。
ところがこれが、そこそこ売れたものだから、文庫にしたわけだ。
対談者は次の通り。
黒柳徹子、森繁久彌、小林亜星、阿久悠、池田理代子、山本夏彦、ジェームス三木、和田勉・久世光彦(これは鼎談)、橋田壽賀子・山田太一・倉本聰(四人で座談)、原由美子、大河内昭爾、青木雨彦、常盤新平。
対談者を見れば、丁々発止やってると思うでしょうが、違うんだね。
40年前は、向田邦子であっても、一応はホステスの役割をしなければ、いけなかったのだ。
あるいは向田邦子だから、そういうふりをしなければ、いけなかったのか。ほとんどの場合、対談者は向田の容姿をほめる。それに対して「そんなことはございません、とんでもないことですわ」と、答礼を交わす。これが実に煩わしい。
と嫌なことをあげつらって、書くつもりだったが、考えてみれば、いやなことは書きたくない。それで一つだけ書いておく。
阿久悠との対談の場面である。
「向田 〔自動車の〕事故があった時の対処能力が遅いんですって。女はぶつかった時に、あっと言ってまず目をつむっちゃう。男は目をあく。これが基本的に違う。私、これは大変な名言だと思いましてね。女はそういうふうにできてますからね。一朝事ある時に目をつむる。男は目をあく。……それは、そういうふうにできてるんですから、しようがないと思うんですね。」
40年前には、こんな無益なヨタ記事で、女はかわいらしい、でも男に劣っている、ということを活字にして、公開していたんだ。心底、恥ずかしい。
それを考えると、女も、そして男も、40年間に、微々たるものかもしれないが、はっきり進歩はあったのだ。
(『お茶をどうぞ――向田邦子対談集』向田邦子、河出文庫、2019年1月20日初刷)
こんな時期に、昔死んだ作家の本が出るのは何かある、と普通は思うじゃないですか。
それでも、買うところまではいかなかった。
ところが東京新聞の書評面に、女性作家がエッセイを書いていて、そこでこの文庫を取り上げていたのだ。その内容は忘れたけど、とてもチャーミングに紹介してあった。それでついふらふらと。
今から40年前、1980年前後に、雑誌に載った対談を集めたものだが、結論から言うとあまり面白くなかった。
河出が5年前に、これを集めて単行本にしたのは、新刊が払底して、にっちもさっちもいかなくなったからだろう。
ところがこれが、そこそこ売れたものだから、文庫にしたわけだ。
対談者は次の通り。
黒柳徹子、森繁久彌、小林亜星、阿久悠、池田理代子、山本夏彦、ジェームス三木、和田勉・久世光彦(これは鼎談)、橋田壽賀子・山田太一・倉本聰(四人で座談)、原由美子、大河内昭爾、青木雨彦、常盤新平。
対談者を見れば、丁々発止やってると思うでしょうが、違うんだね。
40年前は、向田邦子であっても、一応はホステスの役割をしなければ、いけなかったのだ。
あるいは向田邦子だから、そういうふりをしなければ、いけなかったのか。ほとんどの場合、対談者は向田の容姿をほめる。それに対して「そんなことはございません、とんでもないことですわ」と、答礼を交わす。これが実に煩わしい。
と嫌なことをあげつらって、書くつもりだったが、考えてみれば、いやなことは書きたくない。それで一つだけ書いておく。
阿久悠との対談の場面である。
「向田 〔自動車の〕事故があった時の対処能力が遅いんですって。女はぶつかった時に、あっと言ってまず目をつむっちゃう。男は目をあく。これが基本的に違う。私、これは大変な名言だと思いましてね。女はそういうふうにできてますからね。一朝事ある時に目をつむる。男は目をあく。……それは、そういうふうにできてるんですから、しようがないと思うんですね。」
40年前には、こんな無益なヨタ記事で、女はかわいらしい、でも男に劣っている、ということを活字にして、公開していたんだ。心底、恥ずかしい。
それを考えると、女も、そして男も、40年間に、微々たるものかもしれないが、はっきり進歩はあったのだ。
(『お茶をどうぞ――向田邦子対談集』向田邦子、河出文庫、2019年1月20日初刷)
鮮烈な、あまりに鮮烈な――『天才棋士降臨・藤井聡太――炎の七番勝負と連勝記録の衝撃』(3)
第4章「羽生善治が見た藤井聡太」で羽生は、「藤井さんの指し手には現代的なスピード感がありますね。チャンスと見れば躊躇せず踏み込んできます」という。
これはずっと前に渡辺明三冠が語った、藤井の攻めは、例えてみれば、スポーツカーかと思っていたらジェット機だった、というのとよく似ている。渡辺は棋聖戦のタイトルを争い、何が何だか分からないうちに負けになっていた、と語っている。
ほかに「炎の七番勝負」を闘った中では何人かが、藤井聡太の進化のスピードが、考えられないほど凄まじいという。
「藤井さんはこの対局の時も強かったが、その後も日に日に強くなっている感じで、そこが恐ろしい。デビュー時より今の方がずっと強くなっているでしょう。……
タイトル獲得はもう既定路線で、いつ取るかが問題です。」
これは、第4局を闘った中村太地の発言だが、増田康宏(第1局)、齋藤慎太郎(第3局)、深浦康市(第5局)、佐藤康光(第6局)なども、同じことを語っている。
しかし私は、ここから、少し違うことを考えてみたい。
『ナンバー 1010』の「藤井聡太と将棋の天才」に、先崎学がこんなことを書いている。
「君が羽生を数字でこせるかは分らないよ、しったこっちゃない。でも君が立派な人間になれることは、今日の将棋を見ていて分ったよ」。
これはこの前のブログにも書いたが、藤井が羽生に負けてあげたものだ。藤井は中学生で夜10時を超えると、指し直しができない。だから決着をつけた方がいいだろう、というので藤井が気をまわしたのだ。
場をわきまえて無理に決着をつけに行く、つまり負けてやるということは、羽生がやるならわかる気もするが、中学生の藤井がやるとはとうてい考えられない。
しかし藤井はそういうことをしたと思う、と先崎は確信を持って述べている。
渡辺明名人が言っていた。自分と藤井聡太を比べると、将棋は別にして、明らかに藤井の方が人格が上だ、と。つまり、ことは人格の問題で、渡辺名人は、はっきり藤井の方が上だと言っている。
どうしてこんなことが起こるんだろう。
『ナンバー 1018』の「藤井聡太と将棋の冒険」で、増田康宏は、こんなことを語っている。
「藤井さんで最も別格だと思うのはメンタルです。今後、技量で藤井さんを上回る棋士も出てくるかもしれないですけど、メンタルで超える人は現れないと思う。ブレないし、不調にも陥らないし、常に100%で指せる。あの精神面の強さはどこから来ているかちょっと分からないです。」
増田は将棋の技量とは別に、藤井の精神面が実に素晴らしいと言っている。果たしてそれは、将棋とダイレクトに関係があるのか、ないのか。
私は、将棋の技量と人格の面は、パラレルだと思う。もしそうだとすれば、将棋は文化の中で、まったく別の位置を占めることになると思う。
(『天才棋士降臨・藤井聡太――炎の七番勝負と連勝記録の衝撃』
書籍編集部・編、日本将棋連盟、2017年8月31日初刷)
これはずっと前に渡辺明三冠が語った、藤井の攻めは、例えてみれば、スポーツカーかと思っていたらジェット機だった、というのとよく似ている。渡辺は棋聖戦のタイトルを争い、何が何だか分からないうちに負けになっていた、と語っている。
ほかに「炎の七番勝負」を闘った中では何人かが、藤井聡太の進化のスピードが、考えられないほど凄まじいという。
「藤井さんはこの対局の時も強かったが、その後も日に日に強くなっている感じで、そこが恐ろしい。デビュー時より今の方がずっと強くなっているでしょう。……
タイトル獲得はもう既定路線で、いつ取るかが問題です。」
これは、第4局を闘った中村太地の発言だが、増田康宏(第1局)、齋藤慎太郎(第3局)、深浦康市(第5局)、佐藤康光(第6局)なども、同じことを語っている。
しかし私は、ここから、少し違うことを考えてみたい。
『ナンバー 1010』の「藤井聡太と将棋の天才」に、先崎学がこんなことを書いている。
「君が羽生を数字でこせるかは分らないよ、しったこっちゃない。でも君が立派な人間になれることは、今日の将棋を見ていて分ったよ」。
これはこの前のブログにも書いたが、藤井が羽生に負けてあげたものだ。藤井は中学生で夜10時を超えると、指し直しができない。だから決着をつけた方がいいだろう、というので藤井が気をまわしたのだ。
場をわきまえて無理に決着をつけに行く、つまり負けてやるということは、羽生がやるならわかる気もするが、中学生の藤井がやるとはとうてい考えられない。
しかし藤井はそういうことをしたと思う、と先崎は確信を持って述べている。
渡辺明名人が言っていた。自分と藤井聡太を比べると、将棋は別にして、明らかに藤井の方が人格が上だ、と。つまり、ことは人格の問題で、渡辺名人は、はっきり藤井の方が上だと言っている。
どうしてこんなことが起こるんだろう。
『ナンバー 1018』の「藤井聡太と将棋の冒険」で、増田康宏は、こんなことを語っている。
「藤井さんで最も別格だと思うのはメンタルです。今後、技量で藤井さんを上回る棋士も出てくるかもしれないですけど、メンタルで超える人は現れないと思う。ブレないし、不調にも陥らないし、常に100%で指せる。あの精神面の強さはどこから来ているかちょっと分からないです。」
増田は将棋の技量とは別に、藤井の精神面が実に素晴らしいと言っている。果たしてそれは、将棋とダイレクトに関係があるのか、ないのか。
私は、将棋の技量と人格の面は、パラレルだと思う。もしそうだとすれば、将棋は文化の中で、まったく別の位置を占めることになると思う。
(『天才棋士降臨・藤井聡太――炎の七番勝負と連勝記録の衝撃』
書籍編集部・編、日本将棋連盟、2017年8月31日初刷)
鮮烈な、あまりに鮮烈な――『天才棋士降臨・藤井聡太――炎の七番勝負と連勝記録の衝撃』(2)
内容は前回でほぼ尽きているのだが、とくに面白いところがある。
「第1章 藤井聡太 炎の七番勝負と公式戦29連勝」では、短評の項目に「☖大橋孝洸四段:127手 〔服〕紺系スーツ 〔昼〕天もりそば」とある。
服装や食べ物がいっしょに出ている。これはおかしいや。
29連勝目は「増田康宏四段:91手 〔服〕紺系スーツ 〔昼〕豚キムチうどん(みろく庵) 〔夕〕わんたんめん(紫金飯店) 〔取〕40社100人」
服装は中学生だから、学生服のときがある。でもこのときは紺系スーツ。藤井は豚キムチうどんがお好みで、麺類もしばしば摂っている。
〔取〕は取材陣のこと。このころは各局の朝、昼、夜のニュースで、大々的に放映していた。
藤井聡太の勝負飯とかいって、食事の取材も丹念に行っていた。私は初めのうちは、将棋を知らない若い女やおばさんが、せめて食事に何を摂ったかくらいしか、話題にすることがないんだろうと思っていた。
そういう面もあるにはあるだろうが、それだけでもないことに気づいた。
藤井聡太は、彼に関心を持つ人を、幸福にするようなのだ。
たとえば師匠の杉本昌隆七段。彼は一念発起して将棋のクラスを上げ、そして八段になった(クラスを上げることと、段以が上がることは別のことだ)。
他の棋士たちも、藤井聡太と戦うときは血眼である。もちろん藤井は圧倒的に若いから、相手もむざむざやられる訳にはいかない。
しかしそれだけではない。どうも藤井聡太とやるときは、集中の度合いが違うのだ。あえて言えば、相手もある高みに立っているのだ。だから藤井とやるときは、みな好勝負になる。
藤井聡太に関わりを持つことは、何らかの幸にあずかることなのだ。それがつまり、下々では(とあえて言いたい)、みろく庵の豚キムチうどんであり、紫金飯店のわんたんめんなのである。実際に店に行って、同じものを食べる人が大勢いるという。
第2章のインタビューは、そのパーソナリティが面白い。
「――今の得意科目は?
藤井 やはり数学です。
――今の苦手科目は?
藤井 やはり美術です。頭の中で絵を描くイメージがありません。」
面白い。むかし池田晶子さんが、頭の中に絵が浮かぶことは全くないわね、と仰っていた。人間の脳には個性があって、そういう特殊な働きをするものがある。
奨励会に入ったときは可笑しい。
「――将棋を指すときはどんな子供でしたか?
藤井 自分はよく覚えていないんですが、負けるとよく泣いたと言われます(笑)。・・・・・奨励会に入ったら誰も泣かないし、周りも真剣な雰囲気だし、これは泣いている場合じゃないと思って泣かなくなりました。」
最後の1行が本当に可笑しい。
「第1章 藤井聡太 炎の七番勝負と公式戦29連勝」では、短評の項目に「☖大橋孝洸四段:127手 〔服〕紺系スーツ 〔昼〕天もりそば」とある。
服装や食べ物がいっしょに出ている。これはおかしいや。
29連勝目は「増田康宏四段:91手 〔服〕紺系スーツ 〔昼〕豚キムチうどん(みろく庵) 〔夕〕わんたんめん(紫金飯店) 〔取〕40社100人」
服装は中学生だから、学生服のときがある。でもこのときは紺系スーツ。藤井は豚キムチうどんがお好みで、麺類もしばしば摂っている。
〔取〕は取材陣のこと。このころは各局の朝、昼、夜のニュースで、大々的に放映していた。
藤井聡太の勝負飯とかいって、食事の取材も丹念に行っていた。私は初めのうちは、将棋を知らない若い女やおばさんが、せめて食事に何を摂ったかくらいしか、話題にすることがないんだろうと思っていた。
そういう面もあるにはあるだろうが、それだけでもないことに気づいた。
藤井聡太は、彼に関心を持つ人を、幸福にするようなのだ。
たとえば師匠の杉本昌隆七段。彼は一念発起して将棋のクラスを上げ、そして八段になった(クラスを上げることと、段以が上がることは別のことだ)。
他の棋士たちも、藤井聡太と戦うときは血眼である。もちろん藤井は圧倒的に若いから、相手もむざむざやられる訳にはいかない。
しかしそれだけではない。どうも藤井聡太とやるときは、集中の度合いが違うのだ。あえて言えば、相手もある高みに立っているのだ。だから藤井とやるときは、みな好勝負になる。
藤井聡太に関わりを持つことは、何らかの幸にあずかることなのだ。それがつまり、下々では(とあえて言いたい)、みろく庵の豚キムチうどんであり、紫金飯店のわんたんめんなのである。実際に店に行って、同じものを食べる人が大勢いるという。
第2章のインタビューは、そのパーソナリティが面白い。
「――今の得意科目は?
藤井 やはり数学です。
――今の苦手科目は?
藤井 やはり美術です。頭の中で絵を描くイメージがありません。」
面白い。むかし池田晶子さんが、頭の中に絵が浮かぶことは全くないわね、と仰っていた。人間の脳には個性があって、そういう特殊な働きをするものがある。
奨励会に入ったときは可笑しい。
「――将棋を指すときはどんな子供でしたか?
藤井 自分はよく覚えていないんですが、負けるとよく泣いたと言われます(笑)。・・・・・奨励会に入ったら誰も泣かないし、周りも真剣な雰囲気だし、これは泣いている場合じゃないと思って泣かなくなりました。」
最後の1行が本当に可笑しい。
鮮烈な、あまりに鮮烈な――『天才棋士降臨・藤井聡太――炎の七番勝負と連勝記録の衝撃』(1)
これは藤井聡太が中学生のときの記録である。
この本も『漱石先生』と同じく謎が残る。誰が書いたかわからないのである。
『漱石先生』は、書き手が寺田寅彦であることはわかっていた。しかし編纂者がわからない。
今度の本は、編纂者は一応、日本将棋連盟の書籍編集部である。しかし書き手が匿名で、わからないのである。
たぶん将棋雑誌の引用記事や、書き下ろし、インタビュアーが入り混じって、いちいち書き留めていられなかったのだろう。
しかしこういう記事は、個別に書き手を特定しておいた方がいい。どこに宝石の原石があるやもしれない。
ということを前提にして本文を見てゆくと、これはなかなか巧みな構成である。
第1章 藤井聡太 炎の七番勝負と公式戦29連勝
これはデータと短評を記した、日誌ふうの記録。
第2章 藤井聡太インタビュー
七番勝負と公式戦29連勝の頃を振り返ってのインタビュー。
第3章 炎の七番勝負第7局自戦記 藤井聡太
わざわざ炎の7番勝負の第7局だけをクローズアップして、自戦記を載せている。これは相手が羽生だから。このとき羽生は3冠を保持しており、まさか現役の中学生に敗れるとは、本人も周りも思わなかったろう。
第4章 羽生善治が見た藤井聡太 羽生善治三冠
ここではわざわざ「藤井聡太四段との対戦を振り返って」という小見出しが付されている。羽生が藤井をどう見ているか、これはぜひ知りたい。
第5章 炎の七番勝負第1局~第6局自戦記 藤井聡太
第6章 藤井聡太四段と対戦して――対局者のコメント
自戦記があって、対局者のコメントがついている。これは一局の将棋をどう見ているか、というズレを見るのに一番いい。そしてここが、もっとも面白い。
第7章 炎の七番勝負を振り返って
炎の七番勝負企画者 鈴木大介九段
アベマTVはインターネットテレビで、放映を始めて間がなく、認知度は低かった。そこでこの企画を売り込んだ者がいたのだ。鈴木大介九段の功績ははかり知れないとはいえ、藤井聡太がもし一勝もできなかったらと思うと、夜も眠れなかったろう。
第8章 藤井の七番勝負を見て 師匠 杉本昌隆七段
杉本七段はさすがに師匠だけあって、よく見ている。大胆な受けで相手に攻めさせ、一手で体を入れ替え鮮やかに勝つ。こういうパターンが大変多くなっているとのこと。
第9章 公式戦29連勝の軌跡
プロとしての始まりであり、連勝の始まりでもある加藤一二三九段戦、20連勝目の近藤誠也五段戦、そして29勝目の増田康宏四段戦の棋譜と短評を収める。
本全体として非常にバランスがいい。何度でも読めるし、記録としても長く残したい。
この本も『漱石先生』と同じく謎が残る。誰が書いたかわからないのである。
『漱石先生』は、書き手が寺田寅彦であることはわかっていた。しかし編纂者がわからない。
今度の本は、編纂者は一応、日本将棋連盟の書籍編集部である。しかし書き手が匿名で、わからないのである。
たぶん将棋雑誌の引用記事や、書き下ろし、インタビュアーが入り混じって、いちいち書き留めていられなかったのだろう。
しかしこういう記事は、個別に書き手を特定しておいた方がいい。どこに宝石の原石があるやもしれない。
ということを前提にして本文を見てゆくと、これはなかなか巧みな構成である。
第1章 藤井聡太 炎の七番勝負と公式戦29連勝
これはデータと短評を記した、日誌ふうの記録。
第2章 藤井聡太インタビュー
七番勝負と公式戦29連勝の頃を振り返ってのインタビュー。
第3章 炎の七番勝負第7局自戦記 藤井聡太
わざわざ炎の7番勝負の第7局だけをクローズアップして、自戦記を載せている。これは相手が羽生だから。このとき羽生は3冠を保持しており、まさか現役の中学生に敗れるとは、本人も周りも思わなかったろう。
第4章 羽生善治が見た藤井聡太 羽生善治三冠
ここではわざわざ「藤井聡太四段との対戦を振り返って」という小見出しが付されている。羽生が藤井をどう見ているか、これはぜひ知りたい。
第5章 炎の七番勝負第1局~第6局自戦記 藤井聡太
第6章 藤井聡太四段と対戦して――対局者のコメント
自戦記があって、対局者のコメントがついている。これは一局の将棋をどう見ているか、というズレを見るのに一番いい。そしてここが、もっとも面白い。
第7章 炎の七番勝負を振り返って
炎の七番勝負企画者 鈴木大介九段
アベマTVはインターネットテレビで、放映を始めて間がなく、認知度は低かった。そこでこの企画を売り込んだ者がいたのだ。鈴木大介九段の功績ははかり知れないとはいえ、藤井聡太がもし一勝もできなかったらと思うと、夜も眠れなかったろう。
第8章 藤井の七番勝負を見て 師匠 杉本昌隆七段
杉本七段はさすがに師匠だけあって、よく見ている。大胆な受けで相手に攻めさせ、一手で体を入れ替え鮮やかに勝つ。こういうパターンが大変多くなっているとのこと。
第9章 公式戦29連勝の軌跡
プロとしての始まりであり、連勝の始まりでもある加藤一二三九段戦、20連勝目の近藤誠也五段戦、そして29勝目の増田康宏四段戦の棋譜と短評を収める。
本全体として非常にバランスがいい。何度でも読めるし、記録としても長く残したい。